第一章〈3〉天野 翔


五月七日




 僕はみの学ランにそでを通し、そのまま家を出た。一応、着換えとメイクセットだけは持っていくことにした。あのさかを相手取ってうまく逃げられるとは思えなかった。なんせ彼はいつだって全力で、男にごんはねえとか豪語するようなやつなのだ。


 でも、それが自分をだます口実だと僕は気付いている。


 僕は〝おとこ〟として存在できる居場所をずっとさがしていた。


 さかがその居場所を提供してくれるなら、それにけてみようと思った。世間が僕の女装を認めてくれるなら、あいつを信じてみようと思った。それで何かが変わるなら……カバンにセーラー服を入れてみるのも悪くないなと思ったんだ。




 教室のドアを開けるとひとがきが見えた。高笑いやはやし立てる声が聞こえる。女子も男子もいつしよくたに騒々しい。


 僕はカバンを置くのももどかしく、切れ間から向こうをのぞいた。鳥肌が全身をおおった。そこに見えたのは〝おとこ〟ではなく、カツラをかぶった〝しやべるブタ〟だった。


「あたしとぉ、話したいならぁ、ジュース一本ねぇ~」


 さかの声が聞こえる。取って付けたような女声、ひんいてるだけの上目づかい、百均のパーティー用ブロンドヘア、絵の具で塗ったくったような厚化粧、はち切れんばかりのセーラー服。


 あんなのは女装じゃない……にせものだ。がんさくだ。


 さかへの好意が急速に冷めていった。一体何を期待したんだろう? 彼に何を望んだんだろう? 怒りを通り越して悲しくなってきた。


 周囲のクラスメイトが興奮して質問を投げかけている。ばつゲーム? 先生への挑発? 趣味なの? 普段は参考書がお友達の大人おとなしいやつらさえ遠目からながめている。


 くやしかった。僕ならもっとうまくやれる。あの中心で優雅なはなになれる。


あまくん、アロ~ハ~」


 さかが陽気に声を掛けてきた。みんなの注目が僕に集まる。


「何してんの?」


 僕は冷めた目でさかを見た。飽くまでしらを切るつもりだった。


「見れば分かるでしょ。あたしぃ、今日から〝コウキシン・ヤサカ・アメリア二世〟」


 黙れ。


「お前、僕をバカにしてるだろ」


「えぇ~、やだぁ、何で怒ってるのぉ?」


 さかが巨体をくねくねさせるとみんな笑った。僕が笑われてるようで腹が立った。


「ふざけんな、ブタ野郎」


「みんな助けてぇ、あまくんがこわいぃ~」


 さかに加勢するクラスメイト。謝罪しろだのブタは言い過ぎだのはなはだうっとうしい。


「あたしが人気者だからってぇ、しつしないでくれるぅ?」


 限界だった。


 僕は教室を出てトイレへとけ込んだ。個室で着換えを済ませ、薄く化粧を乗せる。手がふるえてアイラインが引けない。が、黒髪ショートのウィッグをかぶりながら腹を決めた。目に物見せてやる。ぐうの音も出ないほど。圧倒してやる。


 僕は完成度七十五パーセントの〝おとこ〟で廊下へ繰り出した。


 ななきたのセーラー服。ネイビーカラー・ハイソックス。はずむ黒髪セミロング。


 異常だ。教室へ向かいながら察した。僕は息絶える寸前まで、今日を思い出すたびもだえ、奇声を発して走り回りたくなるしようどうにかられるだろう。


 異常だ。こんな状況はありえない。


 でも……僕は一人じゃない。教室にはさかがいる。あいつは僕が女装してこないと分かっててわざと挑発した。あんなことを言って僕を怒らせ、女装をじよくすることで僕が〝おとこ〟になると算段したんだ。


 教室へ踏み込むと話し声が小さくなった。見慣れない子が入ってきたよ、そんな視線と沈黙だった。さかの席へ向かうと、自然にひとがきが割れ、彼と向かい合う形になった。


「私の夢を見せてあげる」


 笑いかけるとさかの顔がみるみるほころんだ。


 ひとみが輝き、鼻の穴が広がる。空気を吸い込む音が掃除機の吸引音のごとく聞こえてきて、ただでさえデカい体が更にふくらんだ。


 ついにはカツラを放り投げぶとほうこうを上げる。立ち上がった反動でが吹っ飛び制服がたてける。僕を肩車し、机ごと周りの生徒をらした。


 下ろせ! 落ち着け! 僕は地声で叫びながらしがみ付くしかなく、無力にも、スカートの中のトランクスが眼下にさらされるのを許した。


 何人かは僕の正体に気付き、教室は悲鳴とぜつきようと暴れ回るにくかいで大パニックとなった。




 さかが平静を取り戻すのに五分かかった。教室の机を全てなぎ倒すには十分な時間だったし、もっと言えば、廊下をけ回りよく分からない言語をしこたま叫べるだけのゆうさえあった。無論、僕を肩車しながらの話だ。


 半壊した教室へ戻るやクラスメイトに取り囲まれた。さながら人類滅亡をたくらようかい〝ブタカツラ〟を退たいした帰りに教室へ寄り道した正義のヒロインだった。


 どういうこと!? 何でそんなにかわいいの!? 肌キレイ! 脚細っ! 顔小さっ!


 さかは輪の中心からはずれた所でえつげにぼうかんしている。


「何年も続けてきた女装がさかにバレて、学校で一緒にやろうってさそわれたんだ」


 女声を出すとクラス中がどよめいた。意外にも女子からのウケが良く、参考にしているコーデ雑誌や付き合ってる男の有無を聞かれた。


「男子とはそういう関係にならないよ。心も体も立派な男だし、女装はただの趣味だからね」


「始めたきっかけは?」


「姉ちゃんのスカートだよ。中二の時、急に穿いてみたくなった」


「それうちのセーラーだよね、もらい物?」


「ネットでとした」


 みんな笑った。もちろん、普段の僕はこんなことを言って笑いを取ったりしない。どっちかと言えば地味な方で、会話を持ちかけるほどのコミュ力もない。


 もう一人の自分……それを言うなら女としての自分が別の人格を得て勝手にしやべっているようだった。称賛され、舞い上がってヒートアップしたどんの果てだ。


 予鈴前に着換えを済ませ、僕は男子生徒へ戻った。担任はさかさんなセーラー服姿に腹をかかえて笑い、「似合ってるが目に毒だ!」そう言って息も絶え絶えにクラス名簿を開いた。


 女子はひたいを寄せ合い、出欠確認の際に僕がどっちの声で返事をするのか予想しあった。お望みどおり、出席番号一番の僕は高らかに女声を張り上げ、クラスの笑いをさそった。


「調子良さそうだな」


 ジャージに着替えたさかが休み時間に声を掛けてきた。こうかつな笑みを浮かべている。


「俺から一つ、提案があるんだ」

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