第一章〈2〉天野 翔


 僕も彼はきらいじゃない。


 今日の一件でさらに見方が変わった。さかは僕を見て『女にしか見えなかった』と言った。それは女装をする者にとって最高のめ言葉だ。れられるのは困るが僕はうれしかった。


 だが……秘密を知られた以上は口止めするしかない。


「今日のこと、みんなにはないしよだからな?」地声ですごんでみる。


「違う。〝内緒だよ?〟……やり直し」


 気持ち悪かった。さかの言動は僕より真剣で冗談を言ってるようには見えない。


「真面目に聞いてくれ。僕の女装は内緒に……」


「なんで?」


「学校へ行けなくなる」


 まさか! かぶりを振るさか


あまは人気者になる。間違いない。こういうことには鼻がくんだ」


「ありえない」


「なんで悲観する? こんな美人なのに。学校だけじゃない、雑誌やテレビにも出られるぞ」


 耳が熱くなる。乗せられてるようでくやしかった。


「居場所なんかどこにもないよ」


 思わずムキになった。


「女装に対する世間の目を知ってる? 〝気持ち悪い〟だよ」


「そりゃ偏見だ。あまの場合ブタにカツラ乗っけるのとは話が違うだろ」


「チワワにウエディングドレス着せるのと大差ないよ」


「……もったいないなあ。美人なのに」


 そっぽを向くともう何も言ってこなかった。


 間もなく料理が運ばれ、テーブルは六人分のオーダーで埋まる。


 パスタ、パスタ、ハンバーグ、チーズハンバーグ、オムライス。僕のパフェ。


「食べ過ぎでしょ」


 女声で指摘する。周りからはカップルに見られるんだろうか? あまり考えたくない。


「今日は……運動して……腹が減った」


 大食い野郎にありがちな口いっぱい詰め込むスタイルでパスタをこぼしまくる。


「気になってたんだけど……そのぼうは何?」


 さかは出会った時から長さ二メートルほどの木の棒を持ち歩いていて、今は壁にもたせかけている。


「ホームセンターで加工してきたんだ。すごいだろ? 木の棒さ」


 見れば分かるよ。言ってやりたかったけど、やめた。


「前カゴに植木ばちが入ってるけど?」


 窓から駐輪場にめられたさかのママチャリが見える。前カゴには土を盛った植木鉢が入れられていた。芽は出ていない。


「花を育ててるんだ。ああやって持ち歩けば陽に当てられるし水もやれる。頭いだろ?」


「変わってるね」


 僕は今持ち得る最高のめ言葉を贈った。


「荷台の箱には何が入ってるの?」


 自転車のキャリアに木箱のようなものが積んである。ひもでしっかりくくられ、箱の脇からワイヤーが複数伸びている。どろけを経てフレームに巻き付き、コイル状に固定されている。


「あれはレコードプレイヤーさ。ペダルを回すと音楽が流れるように改造してある。針が飛ばないようしようげきかんさせるため、サスペンションも装備した」


 さかは自分のことを聞かれてうれしいのか、とてもじようげんだった。二皿目のパスタはもう腹の中で、今はハンバーグに取り掛かっている。


「レコードは何を聴くの?」


「ボレロ」


 つかどころのない男だった。なぞの棒と植木鉢、クラシック音楽。何がなんだかサッパリだ。


「いい曲だよ、ボレロは。タン、タタタン、タタタン、タンタン~♪」


 指揮棒よろしくナイフを振り始める。


「繰り返される二つのメロディ、繰り返される一つのクレシェンド。まるで俺の日常そのものだ」


「毎日が同じ繰り返しってこと?」


 もんだったらしい。


 その顔から笑みが消え、食べることさえやめた。怒っているのか、まぶたの肉で目を細める。


こうようしていくんだ。一歩ずつ、一歩ずつ。同じに見えて、同じじゃない……生きるってのはそういうもんだろ」


「なんとなく分かるけど……」


「ボレロのすごいところは躍動感だよ。多彩な楽器編成はハ長調から成るどうのリズムを反復させ、聴者と共鳴する。一歩ずつでいいんだ。きざみ続けた一歩が自分を大きくしていく……君がそうだったように」


 ……驚いた。さかは僕の努力を見抜いている。〝おとこ〟としての自分を認めてもらえたようでうれしかった。


 そうして、僕は初めてさか自身に興味を持った。木の棒でもはちでもボレロでもなく、さかこうしんという男を知りたいと思った。


 彼の考えを一つでも多く知っておきたい……気付けばさかに夢中だった。


さかは何かに全力だったことはある?」


 僕は期待を込めて聞いた。


「俺はいつだって全力さ。手は抜かない。死ぬ気でやるんだ」


 かんちがいするなよ、さかが言い添える。


「いつ死んでもいいように、とかそういうことじゃないんだ。むしろ逆、生きるかてを作るのさ」


かて?」


「夢だよ」そうかいな笑みだった。「誰もが自由に描いて、語ることのできる、おろかなしろものだ」


「夢は愚かじゃないよ」


「愚かさ。愚かで、美しい」


さかの夢は?」


「サンタになって空を飛んでやる」


 ……確かに愚かだ。


「どうしてサンタなの?」


「いないと分かったからさ!」


 さかは身を乗り出し、目を輝かせて言った。


あま、俺たちは飛べるんだ。希望があれば俺たちはどこまでも飛べる!」


 さかを見てると不可能なんてない気がしてくる。『希望』というクサい言葉も彼にはだかしっくりくる。気付くと僕は笑いかけていた。


「飛ぶにはまずせなきゃね」


「……努力しよう」


 さかずかしそうに肩をすくめた。




あま


 さかが僕を呼んだ。駅前でのわかぎわだった。


「俺は君を〝気持ち悪い〟だなんて思わないよ」


 うれしかった。


 四年間の努力が報われるようなひとことだった。


「だから」


 だから……?


明後日あさつての授業、女装してこい」


 参った。こいつはひとすじなわじゃいかない。


「なんでそうなるの?」


「もったいないだろ」


「もったいない……?」


「じゃあこうしよう。俺も女装してくる。二人でやろう」


「待っ……」


「決まり!」


 百キロのにくかいが自転車にまたがり、ボレロをかなでながら軽快に走り去っていく。が、すぐに立ち止まり振り向いた。


「気をつけろ。十秒後にでかいのがくるぞ」


 何のことか分からず、満足そうに走り去っていく大きな背中を見送った。数秒後、強風がしつしスカートをめくり上げた。

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