第30話 夜の不安、闇への恐れ 6/6
ちょっとしたこともあったが、あの本のことは一旦置いておき、ミーナが本棚に戻してくれている間に風呂に湯を張り始めた。十数分とすれば終わりそうな給湯速度だったので、玄関先で煙草でも喫みながら風呂が沸き終わるのを待つことにした。
ミーナにその旨を伝えると、
「本棚の本のバランスが少し悪いので整理しておきます。少しだけ時間が要るのでお風呂が出来たらお先に入って下さい」
と返ってきた。本のバランスという言葉が気になり、何のことかと考えたが力仕事なら手伝ったほうが良さそうだ。
「何か手伝おうか? 非力だが力仕事なら多少はやれるよ?」
「ありがとうございます、でも大丈夫です。それにこの作業は一人の方がやりやすいんです」とのことであった。
なるほどよくは分からないが一人の方が良いならおまかせしておき、本のバランスのことについては今度聞くことにした。
そんなやりとりをし、玄関先で煙草を呑んでいる内に風呂が沸いたようである。私は風呂の蛇口を閉めてから、ミーナに作業の進捗を聞くとまだかかるようだったので先に入らせて貰うことにし、寝巻を自室から持ってきて風呂に入った。
湯船に入るのは久しぶりな気がして少し嬉しかったが、先に体を洗わない事には湯船には浸かれない。出かける前にシャワーを浴びたとは言え買い物で汗ばんでしまったのは事実だ。
他人と湯船を共有する場合入る前には掛け湯か、出来れば体を洗っておかないと湯を汚してしまい非常に失礼なのである。(自分一人しか入らない時は気にしないが)
まして共有する相手が十七のミーナなのだから余計に気を使う。先に入らせてもらえるだけでも気が引けるというものだ。一概には言えぬがこの年頃なら男が先に入った風呂など入りたくないという気持ちがあってもおかしくないのである。
全国の、いや全世界のお父さん、お兄さんは苦労が絶えないだろう。
そんなことを考えながら全身を洗い終わり、湯船に浸かったがやはり湯船は良いものだ。それにこの家の風呂は湯船が大きく、私でも余裕で足が伸ばせるのでありがたい。体が縦に長いと風呂には本当に不自由するがこの湯船は良い、足を伸ばし肩まで浸かれるというのは中々家庭では実現しにくいものだ。
足の伸ばせる風呂に有り難みを感じながら浸かっているとどうやら私にしては長風呂だったようで、三十分程経っていた。あまり長風呂だとミーナに申し訳無いので、風呂から上がり体を拭き着替えを済ませてから、
「お先に失礼したよー。そっちはどうだい?」
「こっちの事も終わりました。ではお次に失礼しますね」
「じゃあ私は家の戸締まりでもしてくるよ。その後は部屋で対応表の続きをやるかな」
と、言って私は戸締まりに向かった。
まぁ戸締まりと言っても楽なもので、玄関、勝手口、家の窓の鍵の確認程度である。書架と地下室に関しては、行けばあの本が怖がるしそもそも書架には窓がない、地下室は言わずもがなである。
その後は部屋で対応表を作りつつ、色々とメモを作成した。如何せん様々な情報とやることが多いのである。
その一、服をどうするか。これに関しては今日買いに行く予定だったのだが出かけるのが遅くなったので後回しになったのだ。明日、ミーナと買いに行く予定だ。ついでに靴も。
その二、研究所とは。以前にミーナが言っていた関係部署の事だろうか。そこの蔵書庫の司書があの本を知る鍵らしいが。いずれにせよ時間を食うのは間違いない。
その三、霊気・霊術とは。ミーナ曰くロムナスでならソレが分かる所があるらしい。恐らく図書館か何かだろう。行けば丸一日以上使いそうだ。
その四、そもそも化物とは。あの日ミーナから聞いた「ギュリア」がそれらしい。研究所が絡んでいそうだ。そう言えばミーナは報告できたのだろうか。
その五、稼ぎ口をどうする。今の所ヴァイクとミーナ、ドルセンのお陰で資金面には困っていないが稼ぎ口はやはり必要だろう。まだ文字が分からぬ私ではこの世界で仕事など出来そうにもないが。
とりあえずこれくらいが頭に浮かんだので忘れない内にメモしておいた。
対応表も一段落し、メモもまとまったのでぼんやりと窓から空を眺めていると、扉をノックする音がした。
「ルカワさん、入ってもよろしいですか?」
「大丈夫だよ。どうぞ」
明日何をするか考えていた私は丁度よいと思い、ミーナに入ってもらうことにした。
「今日は色々とする予定でしたが少し時間が足りなくて、結局生活用品と食材しかかえませんでしたね」
「そうだねぇ、自分の服を見繕いに行く予定もあったけど、明日になってしまったなぁ」
「今日の帰り道で言った通り明日は服を買いに行く事にしましょう。今日の買い物で食材は明日は買わなくても大丈夫ですから」
私としても異存は無いので賛成した。流石に服は欲しい。
「出来合いの服が売ってる所はあるのかな? それとも仕立てかな?」
「両方ありますけど先ずは仕立てて貰う方が良いでしょうね。ルカワさんは体が大きいので採寸してからでないと服を選びにくいでしょうし、出来合いの服はルカワさんに合う様な大きさの物が少ないんです」
確かに私は縦に長く、足も長く、腕も長いという傍から見れば羨ましがられる様な体型だが正直な所困る事しかないし、私の様な者にはこの体型はまさに無用の長物なのである。異世界でもコレはどうにもならない様だ。ミーナのアドバイスは的を射ている。
「ははは、やっぱりそうなるか。向こうでも服選びで苦戦してたなぁ。仕立ては高く付くけど流石に借り物を使い続ける訳にも行かないし仕方ないか」
「貸している事は気にしなくても大丈夫ですけど、そもそも兄様の服では寸足らずで着心地が良くないでしょう?」
「あーやっぱりバレてたか。丈が足らないんだよなぁ。寝巻は大丈夫なんだけどね」
率直に返した。ミーナに嘘は通じないのである。
とにかく服の事と、明日の予定は決まった。あの本については暫くそっとしておいてあげたほうが良さそうなので後回しにし、その他の事についても出来たとして一つずつしか一日に出来そうにないので余計な行動計画は立てない事にした。
急がなくてもいいし、対応表みたくぼちぼちとやるしかないのである。多くの事を一度にこなすのは無理があるというものだ。私など特にそうなのである。
対応表などを二人で確認などしていると時刻は二三時ごろになっていた。明日の事もある、そろそろ寝ようかと持ちかけ、床につく事にした。
ふと、ミーナが心配になり、
「大丈夫かい?」
と、聞いた。
よく考えれば今まで寝床や寝室が一緒だったのだ、それはミーナの不安や恐怖などといった感情から生み出された行為である事は間違いないのだろう。
あの夜、いくら私の嘘や人間性が読めたとして、いくら不安と恐怖があったとして、それでも男である私と寝床を共にしなければならない程の不安と恐怖、つまり男に襲われるかもしれないという女性からすれば最大級の不安と恐怖を超越したソレは間違いなくミーナの心を酷く苦しめているはずなのだ。
「夜は……怖いです。暗いのが怖いです……前まではこんな事は無かったんです……」
そうミーナは呟いた。
「なんでかな……なんでなんだろう」
そう言ってミーナは俯いた。
私の予想は大体当たっていたらしい。あの夜と同じだ。
「無理に考えなくていい。辛いなら考えなくていい」
そう言ってミーナを優しく抱き寄せた。柄にもない。
「私の懐で落ち着けるならいくらでも使っていい。だから無理しなくていい」
そう囁いた。傲慢かもしれない。
「……っ!……」
ミーナの声は言葉にならない。
変わりに腕が私を掴んだ。
弱々しい、しかしそれでも離す事の無い腕。それだけで意味は十分に分かる。
私はミーナを抱きかかえてベッドに横になった。
ミーナの体は驚くほど軽い。
この華奢な体に不相応な重石がくっついているのだろう。
私はミーナの頭を撫で、もう一度体を優しく抱き寄せた。
ミーナが安らかな寝息を立ててから部屋の明かりを消し、私も眠った。
やはりこの世界では睡魔が仕事をしてくれる。
ある意味ミーナのお陰なのかもしれないな。
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