最初の「お出かけ」

第31話 二日目のカレー、異世界とは 6/7

 今日も上天気な様だ。部屋に満ちる柔らかな光で私は目覚め、時計を見ると七時を指している。隣には小さな寝息が一つ。とりあえず私は昨日と同じく起こさない様にそっとベッドから下りて手洗いに向かい用を足す事にした。

 用足しが終わってミーナが起きるまでどうしようかと考えたが昨日の朝のミーナを思い出し部屋に戻っておくことにした。寝起きからバタバタするのは心地が良くないだろう。


 部屋に戻ってもミーナはまだ眠っていたので本でも読んでおくことにしたのだが、やはり寝起きで本を読むと何故か眠くなってくる。

 うつらうつらしながら本を読んでは眠りかけ、眠りかけては起きるという何とも阿呆な事を続けていると本を床に落としてしまった。

 当然私はハッとして目が覚めたのだがこの音でミーナを起こしてしまったらしい。

「んあぅ? 朝ですかぁ?」

 間の抜けた声。本当に寝起きのミーナはボケボケだ。

「ああ、起こしちゃったか、ごめんよ。一応朝の七時半だけどもう少し寝るかい?」

「んー起きます。おはようございます。ふぁあ」

「それじゃあ、おはようさん。今日も一日のんびりいこうか」

 下らない事を言って朝は始まった。


 さて、起きたからには朝食だ。昨日の内にパンやら何やらの簡単な物は揃っている、適当に食べてから茶でも飲むかと考えていると、ミーナは昨日の内に一品仕込んでおいたらしい。

 そう言えばもう一つの鍋で何かしら作っていたはずだ、何だろうかと見てみると何とも良い香りのコンソメスープだった。それに昨日のカレーの残りもある。

「本当に料理上手だなぁ。すごいよ」

「うふふ、久しぶりにちょっと気合入れてみました」

 ミーナはやはり余程料理が好きなのだろうし、得意なのだろう。ここまでの事をこの歳でやり抜くのは凄いし、真似しようにも出来ない芸当だ。

 ミーナをお嫁さんにした男はきっと幸せの境地に立つに違いない。その上、真空水球で保温していたから直ぐに食べられると言うのだから抜け目がない。

 とにかく頂く事にして食卓についたがやはり二日目のカレーをパンにつけて頂くのは言わずもがなであり、コンソメスープも素朴ながら良い味だ。最高の朝食だろう。

「予想通り、美味しいなぁ」

「素直な感想が一番嬉しいですよ」

 嬉しそうにミーナは微笑んだ。何度も言うが嘘は通用しない。


 そうこうしながら朝食を平らげ、食後の茶を飲みながらまたしても文字を覚えていると、そろそろ八時半になってきた。

 私とミーナは茶を切り上げ、洗面やら何やらの朝の準備をして、少々部屋の掃除等をしつつ、庭の花に水をやったりなんだりしている内に一時間程経った。

 ゆっくりしているつもりでも朝の時間の流れは早いものだ。


 はてさて今日は私の服を仕立てに行くのが第一目的だ。何時頃から仕立屋は開くのだろうか、なるべく早めに行けば他の事もできるだろう。

 それを聞いてみるとどうやら十一頃に開くらしい。今から出発という事になったので各々用意をし始め、先に準備の終わった私が煙草を呑み終わる頃にミーナも来て十時頃玄関に集まった。

「ミーナ、靴は大丈夫かい? 買い出しじゃ無いとは言え長時間歩くのはヒールだと辛いだろう?」

「昨日原因が分かりましたし、今日はかなり低めのヒールなので大丈夫ですよ。心配してくれてありがとうございます」

 流石はミーナだ。抜けていてもこういう所はしっかりしている。


 昨日と同じく裏手の通用口から通りに出てさあ行くかと歩を進めたのだが、ミーナ曰く仕立屋周辺に割と店が多く並んでいるから見て回ってから行くのはどうかとことだったので少し行った所にある馬車の発着場(バスターミナルみたいな所)で馬車に乗り仕立屋周辺へ向かうことになった。

 ウィンドウショッピングで軽く運動でもしつつ、次に行く店のアタリでもつけておくとしよう。


 馬車に乗っていると車窓から建物やら何やらが見えてくる、やはり大都市だ。

「それにしても大きな都市だなぁここは。見たこともない景色や店ばかりでお上りさんの気分だよ」

「それはそうでしょう。記憶を無くされているんですから。是非楽しんでいってくださいね」

「確かにそうだった。案内をお願いするよ」

「ええ、喜んで」

 片や田舎者、片や都会人の様な雑談をしていた。その一方で伝達ではこんなやり取りもしていた。

『お上りさんも何もルカワさんは異世界の方じゃないですか。面白い言い回しですね』

『あはは、何となく言ってみたくてね。面白かったなら上々だよ』

『でもまあ案内はどっちにしても必要ですね』

『ああ、それは本当に頼む。まるで分からないからなあ』

 記憶がないという体は便利だがうっかり「元の世界」とか「あちら」とは言えないのである。後は馬車から見える店や通りの紹介をして貰い、できる限り地図に書き込んでおいた。

 伝達でどうにかなるとは言え、やはり自力で道を覚えておいたほうが何かと便利なはずだ。書き込むだけでは覚えにくいので特に用事がない日にブラついてみるのもいいかもしれない。それにミーナもこの首都全域に明るい訳ではないらしい。

 それは当然といえば当然で、東京二三区を隅々まで網羅している人など殆どいないだろうし、そもそも自分の近所の道でさえ完璧に覚えているか怪しいからである。


 思えば近所から外れればその先はある意味異世界ですらあり、単に地続きで言葉が一緒だから異世界とは思わないだけなのではないだろうか。

 幼少の頃は学区から、いやもっと狭い範囲の外に出ればまるで知らない世界に行った様な気がしなかったこともないような気がする。

 今私がいるこの世界は向こうと言葉は一緒だけれども文字が違っていて地続きではない、でも今の所たったそれだけの違いしかない。

 もちろん探せばもっと違いは出てくるだろうが向こうと比較して「違う」と思っても、私は向こうを全て知っている訳ではないのだから「向こうと違う」と言い切れないのも事実だろう。

「向こう」と「こちら」を決定的に「違う」と言い切れる程の物的な、客観的な証拠を私は提示できない筈だ。

 更には「世界」とは一体どうやって決まるのかなどという事が頭をよぎる始末である。しかしまあそんな事は学者でも先生でもないただの凡人である私が考えるだけ無駄なので考えることは止めてミーナと話していることにした。

 なにせ私はこの世界に来た直後「なんとなく空気が違う」という感覚だけでココを異世界だと断定した阿呆なのだから。


「何か考え事でもされていたんですか?」

「ああ、ちょっとね。どうでもいい事だし、考えるだけ仕方の無いことだけど」

「どういう事を? 気になりますねー」

「あはは、本当に下らない事さ」

『ココと向こうの違いについてね。でも本当に考えても仕方なくてさ』

『何故仕方ないんです? 色々と違う筈でしょう?』

『そもそも世界ってどう決まるのかな、とか良く分からない方向に行っちゃってね。だから仕方ないのさ』

「下らない事でも考えるだけで意味はあると思いますよ?」

「まあ確かにそうだけどそれよりミーナと話して観光する方がいいね」

「ふふ、誤魔化してます?」

「むう、でも嘘じゃないぞ」

「嘘ついてるなんて一言も言ってないですよ」

「むむむ……」

 一本取られてしまった。こんな恥ずかしいやり取りは知り合いやらに聞かれたくない、ここが本当に異世界であることを願うばかりだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る