第29話 気分回復、犯罪的カレー 6/6

 暫くの静寂の後、それを破ったのは私でもミーナでも無かった。


 鍋の吹きこぼれとコンロの火の音で場の空気は動いた。

「うわぁ!」「うおっ!」

 二人して驚き鍋に急行した。

「そっちの布巾も取って! 一枚じゃ足りない!」

「コレか!」

「ソレです!」

「はいよ!」

 更に火が立ってしまってあわや火事、とまでなってしまった。火はすぐにミーナが霊術で消したものの肝が冷えた思いだ。

 そしてここまでやってようやく落ち着いた。文字にすればたったこれだけだが火事場は大慌てだ。火はやはり恐ろしい。マッチ一本火事の元だ、肝に銘じておこう。

 そうして、

「はぁ…なんとかなりましたね」

 と、ミーナが一言。

「ああ…なんとかなったな」

 と、私も一言。

 そういった後二人で何故か見合わせて大爆笑した。こういう時には何故か笑えてきてしまう。もうこうなってくると何を見ても何をやっても笑えてくるから腹が辛い。腹筋がどうにかなってしまいそうだし、滅茶苦茶痛い。だが悪くは無かった。久方ぶりの大爆笑だ。


 そんなこともあり暫く笑い転げた後、とにかくも夕食にしようという運びになった。吹きこぼれた鍋はカレーと別のものだったらしく、カレーは既に出来上がっていた。全くミーナの手際の良さには感心するばかりだ。

 さてカレーといえば白いご飯が欲しいところであるがここは異世界、やはり米はここには無いらしくパンで食べる事になった。もちろんパンと食べるカレーはそれはそれで美味い訳であるしましてやミーナの作ったカレーなのだ、パンでもナンでも白米でも何でもマッチしてしまうだろう。

 この眼前にあるカレーは食する前から美味いことは確定的に明らかで、これを食すれば恐らくカレーという食べ物の見かたに革新的、革命的変化をもたらすであろうと思わせてくる。私はこのカレーはを食することに大いなる期待とそれと同じレベルの不安を持っていた。

 その不安とは「これを食した後、これ以外のカレーを純粋に美味いと言えるか」という、ある意味ありきたりな不安である。しかしその不安はすぐに吹き飛んだ。何故か。それは「私はまだ世界のカレーを食べ尽くした訳ではない」というある意味傲慢とも言える考えが出たからである。

 その勢いに任せて「いただきます」といい私はカレーをパンにつけて食した。

 美味い。それしか言えない。料理の評価は色々な言葉や尺度でつけられるはずだ。だがグルメでもなく美食家でもなく料理人でもない私であっても語彙力を無くす程に美味い。ただただ美味い。

 言葉によるレビューが出来ない。言葉を口に出す暇があるならその口は食べることに集中させる。恐らく私が次に発する言葉は「ごちそうさま」だ。それまでは無言であるより他ない。

 外からは私はカレーを貪っている様に見えるだろう、しかしそれは逆で、私はカレーに語彙力と言葉を貪られているのだ。

 親のオープンリーチ状態の国士無双十三面待ちに振り込んだのだ。だがその振り込みは運命的強制力をもってして行われた。

 まさに振り込まざるを得ない、言わば手配が単騎待ちで么九牌、引いたのは風牌、副露は順子のみ、そしてそのオープンリーチはこの巡目でなされたものという流れ。

 この暴挙とも言うべき流れに私は飲まれ貪られたのだ。麻雀なら発狂レベルの振り込みであるがこれはカレー、何の問題もなく恐れもなくダイブして構わないというある意味悪魔的な状況である。


 そうしてこのカレーに美味さに身を任せていると、そろそろ器のカレーがなくなってきた。もう「ごちそうさま」の時か、そう思っているとミーナから一番期待し恐れていた言葉が放たれた。


「おかわり、ありますよ」


 その言葉はまるで私の欲求を分かりきっていたようだった。息をつかせぬ味覚と胃袋への衝撃、血液を沸騰させるが如き脳への快感、全てが計算されつくされた完全なるタイミング、もはや私はこのカレーの呪縛に完全に捉えられた。そうなると言葉はただ「おかわり」それだけしか言えず、再び私はカレーに貪られ、限界ギリギリまでカレーを貪った。


 食べられるだけ食べきって一息ついているとミーナから、

「美味しかったですか?って聞くまでもなさそうですね、うふふ」

「美味しかったよ。もう今日はこれ以上は食べられないね。ちょっと食べ過ぎたかなぁ」

「それは良かったです。作り手冥利につきます。あの頃よりもっと上手に作れてるのならいいなぁ」

「これならヴァイクも文句はつけないだろうよ。今度作ってあげたらどうだ?」、

「兄様には暫く作ってあげません。昨日の事はまだ根に持ってるんですから」


(ヴァイク、本当にお前は残念だな…)そう思わざるを得なかった。多分どこかでくしゃみでもしているだろう。


「あ…そういえばあの本の事、ちゃんと話さないといけませんね」

 そう真剣な面持ちで話してきた。先程の事もある、きっと気を使ってくれたのだろう。流石に先程は少々ひねくれ過ぎた考えをしてしまい負の螺旋に飲まれる寸前だったがミーナが助けてくれたから心配はいらないと伝えた。

 ミーナ曰くあの本が私のペンを弾いたのはペン先が触れた瞬間本質がバレてしまう事を恐れたからで、決して私を嫌ったとか見下したとかそういうことではなく、怖がったからだと教えてくれた。

 そしてあの負の感情はあの本が私にそれを抱かせることで自身に近づかせない様にしたことの結果らしい。ただあれほどまでに負の感情が増幅するとは本にも予想外で、ミーナも私が外に行こうとした直前の直前まで気が付かなかった様だ。


 今考えて見ると確かに私としても異常だった気がしないでもない。それにしても本が恐れをなすとは不思議なこともあるものだ、気になったのでどうなっているのかと聞くと、

「実は本に関しては私もよく分からないのです。本に聞ければ良いのですが大分と怖がっているようで今は私にも姿を見せませんし、対話も出来ません。それどころか開きすらしないんです」

 と、本を持って開けようとしたが開かないのである。


 ここまで人に怯える本とは一体何者なのだ。気にはなったのだが無理を強いても余計に開かなくなるだけだ。

「無理に開けなくてもいいさ。訳が分かっただけでも良しとするよ。そっとしておいてやった方が良さそうだ」

 と、ミーナに伝え、

「いきなり突っついたりして申し訳ない。下手に触らないからそれで勘弁願いたい」

 と、本に言っておいた。

 意思があり、且つ怖がられているならせめても敬意だけは表しておこうと思ったのである。


「はあ……ほんとに貴方って人は」

 ミーナに感心やら何やらが混じった事を言われ、そろそろ風呂に入って寝ようかと私が提案してダイニングを離れようとした時である。

 突如としてテーブルの上にあったあの本が開き、ページがめくられていったのである。私とミーナはその開かれたページを見てみると文字が浮かんでいたのだが今の私には読めないのでミーナに読んでもらったことには、どうやら、

「この本の正体が知りたければ研究所蔵書庫の司書に会い、この本を見せて」とのことらしい。

 それから「テーブルの上は怖いから本棚に入れて」と記されていた様だ。それだけ読むと閉じて開かなくなった。

 私はとりあえず、ミーナに本棚に戻すのを頼んだ。怖がられている手前、私が持つ訳にもいかないのである。

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