支えて、支えられて

第28話 奇妙な本、負の感情 6/6

 さあミーナの気持ちが晴れやかになったところで馬車は家の前(正確には裏口の前)に十七時半頃に到着した。ミーナは足が疲れていたので荷降ろしと荷運びは私がやり、家の中に食材や生活用品が揃った。

 夕飯の用意だが足は疲れているものの、ミーナ一人でも料理には問題ないとのことなので、私は生活用品を必要な所に配置したり、多少掃除でもした後にキッチンで五十音対応表を見て文字を覚える事にした。

 ただ表を見ていても何だか掴みにくいので、家にあった地図や童話の様な本を片手に勉強する事にした。やはりただ単に単語や文字対応をするよりも童話、簡単ではあるが必要な知識を見ながら文字を覚えていくほうがわかりやすい。

 ようやく腰を据えて文字の対応ができる、何せこれまで色々あったものだからじっくりとはいかなかったのである。


 文字の対応はダイニングキッチンのテーブルでやっているのだが、そうしていると料理の美味そうな香りが鼻腔を刺激してくる。今までも旅の途中でミーナの料理の香りは嗅いできたがやはり家の中で、しかも本格的に料理をしているとなると同じ料理でも段違いに美味そうに感じてくる。料理の内容はメインがカレーと聞いていたので、どのように作っているのかと聞くと、

「この前のカレーは少々即席で作ったので、今回は本格的に調味料や手順を踏まえて作っているんです。自分で言うのも何ですが結構美味しく仕上がりますよ」

 と得意げな応えが返ってきた。そして、

「文字対応の進捗はどうです?」と聞いてきた。

「対応自体の首尾は上々って感じだ。だが今の所対応表無しでは童話を読むのも中々大変だね」

「まぁ、そんな感じなら大丈夫なんじゃないでしょうか。ゆっくりやればいいです。慣れない内は私が補助しますからね」

 笑顔を投げかけてくれた。全く嬉しい限りである。


 本に直接文字を書いても良いと言われたので、少々本に遠慮しながら文字を書いていき、何度も読み返して覚えられるようにしていった。(参考書などに書き込むのは学習の一環として良い行為だと思うのだが、どうも絵本やら文庫本の類などに書き込むのは慣れないし、何か変な気分がするので遠慮しているのである)


 そうしていく内に二冊目の本を開いて書き込もうとペンをのせた時、手に電気のようなシビレが走った。大した痛みでは無かったのだが如何せんいきなりのことだったので変な声が出てしまった。

「どうされました!」

「いや、何、本に文字を書こうとしたらシビレてね。うーん、やはり本に書き込むのは止めておいたほうが良かったのかなあ」

 などと呑気な返事をするとその本を見たミーナが、

「あ……その本特殊な霊術式の保護がかかってますね。でも保護というよりは封印の方が近いのかな」

 何でもこの封印、本への汚損や改ざんを防ぎ、その本そのものには見えないように何の変哲もない本に見せかけるのだという。

 つまり変に地下書庫などにしまっておくより開放書架において何でも無いようにしている方が安全という訳だ。「木を隠すなら森の中」ならぬ「本を隠すなら本棚の中」である。

 確かに私は見事その計略に引っかかったという訳だ。へっぽことは言え文字を相手にしている身分ながら本にうっかり騙されるとは何とも情けない。

「しかしびっくりです。その封印、本来ならその擬態している本になりきって、破ったり汚したりしている幻覚を見せるんですが、ルカワさんのペンは少々本気で弾いたようです」

 意外な発言がミーナから出た。


 それを聞いた私は何故か、

「私には幻覚を見せるまでもないし、よっぽど私に汚されたく無かったということかな……本にここまで見下げられて嫌われるとはねぇ」

 と、ため息をついた。

 文字を相手にしてきて真面目に本と付き合い、本を尊んできたつもりだったがこんな仕打ちを受けるのだ、売れなくて当然なのだろう。というか売れる売れぬの問題など些末だ。

 私の文字や本に対する気構えや態度といったものが全く足りなかっただけなのだ。異世界においてようやく私はソレに気がつくのだ。呑気や阿呆を通り越して愚劣の極みである。だからといって本を嫌ったり軽んじたりはしないが。


 このことに私は少々落胆してしまったようである。何故わかるのかと言われれば、私はこんな時みるからに負の状態だと分かってしまうような様相を呈するからである。これを周囲に見せたくないのでなるべく隠しているのだが、今回ばかりはキてしまった。

 こうなって来ると私はどんどんと負に飲み込まれ、その螺旋に翻弄される傾向にあるのだ。そしてその負は周囲の人間も巻き込み、嫌な気分や悲しい気分にさせる事も私は知っている。、

「ああ、すまない。変な気分にさせちゃったね。私の悪癖の一つだよ。あはは、全く困ったものだ、ちょっと外で頭を冷やしてくるよ」

 取り繕って席を離れることにした。

 まあこれも悪手なのだが仕方がない、こうでもしないと三十路の私の陰鬱な気分に十七のミーナを巻き込む。それは御免こうむるというものだ。

 そうやって、ドアに手をかけた。その時、


「待って……」


 あの夜の様な小さな力で私の服の袖を掴んだ。


 私は部屋から出なかった。不思議だ、負の感情の螺旋はミーナの小さな声で止まった。


 ミーナには私の心中が見えたのだろうか。いや明らかに見えていたはずだ。霊気連結を用いれば更にはっきりと見えたはずだ。しかし連結は有効になっていなかった。それでもなおミーナには私の心中を看破された。


「良かった……っ……」


 傍らから安堵の声が聞こえた。それと同時に私も不思議な安心感に包まれた。

 ミーナを悲しませずに済んだ、それだけのことだ。それだけのことが安心感をもたらした。そしてそれだけのことはミーナから与えられたのだ。

 ミーナを悲しませまいと、嫌な気分にさせまいと、そう思ってした私の行為は逆にミーナを不安にさせかけた、いや不安にさせ、悲しませるはずだった。そうなると分かっていても私はそうするより無かったのだ。

 情けない事だが私には負の螺旋を止められるだけの力は無い。

 そしてミーナは私の負の螺旋をその心で止めてくれたのだ。そうしてようやく私はミーナに安心感を与えられたのだ。変な話ではないか。

「すまないミーナ。変な心配をかけさせてしまった。もう大丈夫だ」

「本当に良かったです…霊気連結がなくたって貴方の落ち込んだ気持ちは伝わってきましたから。すごく不安になったんです。でも今は落ち着いています。私の方こそごめんなさい、でもああやって引き止めるしかなかったんです」

「いや、あれで助かった。あれが無かったらどうなっていたか分からない。ありがとう」

 場に穏やかな静寂がもたらされた。

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