顛末

 薬師の無期限停学処分が発表されたときは学内でもかなり噂が飛び交った。


 統道が入院していたことと関連性があるのではないか――そう疑る生徒たちがあれこれと根も葉もない噂をし、四月も下旬になる頃までは掲示板もかなり盛り上がっていた。


「やっぱりみんな好きなんだねぇ、こういう裏のありそうな話」

「そりゃあそうだろうよ。入学して一週間で長期入院に停学処分なんて、端から見ればとんでもない暴力沙汰でも起きたんだろうって想像するのが普通だ」

「こうなるのは予想できた話だから、べつに構いやしないけれどね。方々への便宜を図って無期限停学にしたけれど、薬師さんがこの神宮高校に戻ってくることはもうない。それを無期停学処分としたまでのこと。退学処分としないのは、あれを野放しにするわけにはいかないという計らいのつもりだが、そこまで想像を働かせることができるのは事実と真実の双方を知る者だけだ」

「……まぁ……その理由が公になることもないから、気持ち悪さだけが残るのは仕方ねぇことかもしれねぇな……」


 学長室で知念ほむらと談話をする狩神が首を振る。


「正直、あいつの言ってることはまだ理解できてねぇこともあるが……これで終わり、ってことじゃねぇ気がしていた、その通りになっちまったな……」


 薬師明日香の自白によって、神格省がこの数年追いかけ続けていた発現助長剤の流通と製造の全体像をようやく掴むことができた。


『発現助長剤は私を含めて三人の開発者が携わっていたわ』


 自白のなかで薬師がまず打ち明けたのは、発現助長剤の開発手法についてだ。


『基礎的な部分については、私以外にも二人の化学者が関わっていた。それぞれコードネームで呼び合っていたから本名までは知らないけれど。ちなみに私はA。もう二人は、それぞれPとH。二人とも女性であることは確かだけれど、それ以上の情報は持ち合わせがない。彼女たちが私と同年代なのか、あるいはすでに成人しているのかすらも、ね』


 暗中模索だった捜索も、少しだけ範囲を絞ることができるのは嬉しい話だが。


「どのみち発現助長剤の撲滅にはまだまだ時間が掛かる。まぁ、覚悟はしていたことだ。根気よく潰していくしかないだろうさ。なんにせよ、神格省はこれでようやく光明を掴んだことになる。コードネームにルールがあるならなお好都合だが……果たしてあれは、薬師さんの名前をそのまま捩ったんだろうか。彼女はそうだと言っていたが、神格の頭文字って可能性ってのも濃い線だからね」


「そういや薬師の神格はなんなんですか?」


「目下調査中さ。本人の申告ではアスクレピオスらしいが……どういうわけか彼女の神格に関する情報がデータベースから抹消されてしまっていてな。まぁ、自己申告の神格もあながち間違いってわけではないだろうさ。あれは医学の神様が一柱だからね。医学的な知識に強い薬師明日香のことを考えてみれば妥当な神格じゃあないか。とはいえそれだってone of themというやつだからね。本当のところはきちんと調べなければいけないし、Aという頭文字にも神格は合致する。というわけでこれも何らかの関連性があると見て捜査を始めたところだよ。知っての通り、神格の診断にはそれなりに時間がかかる。間違いがあってもいけないし、解明にはまだ遠いところさ」


「……そうすか。まぁ、焦っても仕方ないし、俺もゆっくり待ちます」


「そういえばシュージンくん。これから五月になって長期連休になるけど、友達と遊ぶ予定はないのかい?」


 そんな知念ほむらの問いかけに、狩神は苦い顔をしてみせた。

「いやぁ……いまのところはまだ全然」

「全然というのは、友達と計画をたてていないってことかい? それならそれで好都合ではあるのだが……。まさか、まだ一人も友達ができちゃいないってわけじゃあないだろうね?」

「それは……その…………、ん?」


 狩神が言い淀んだと同時、学長室の荘厳なドアが静かにノックされる。


「ようやく来たみたいだね……、入っていいぞ」

「失礼します!」


 勢い勇んで敷居を跨いできたのは不破だ。


「……って、なんであんたがここに?」

「ちょいと戯れ言をしていたわけだ。まぁ、それも終わったことだし不破が学長に用ってんならそろそろ俺はおいとまさせてもらう」

「待ちな、シュージンくん」


 学長室からそそくさと退散しようとしたところで知念ほむらに呼び止められる。


「どうせ五月の大型連休は暇になるだろうきみにはまだ話があってね」

「二言くらい余計だな!?」

「事実を言ったまでだと思うけどね。それで、肝心の話だが……このゴールデンウィーク、二人には悪いがお願いごとをしたい。学生の本分をぎりぎり超えない程度で褒美も出す。ことの詳細は二人が私からの依頼を受けようと決意したなら話そう。褒美の内容も、まぁ……二人にとっては嬉しいものになる保証はしよう」

「「…………」」


 狩神と不破は互いに顔を見合わせる。


「学長、いくつか質問があります。よろしいですか」


 礼儀正しく挙手をして不破が声を上げた。


「答えられる限りであればいくらでも」

「では……。期間はどれくらいですか?」

「早ければ三日か四日程度。仮に依頼をこなせなくても期限は一週間。連休が終わるまでには戻ってきてもらわないと学業に支障が出るからね。それは私としても本意ではない」

「場所はどこですか? 一週間ということはそこそこ遠出ですよね?」

「……そういえば肝心なことを確認し忘れていたが……二人とも、パスポートは取ってあるよな? 不破は帰国子女だから当然あるとしてシュージンくん」

「まぁ……一応ありますよ。持ってないとなにかと不便だし……ってことは、国外?」


 知念ほむらが不敵に微笑んだ。


「その通り。太平洋を越えた先、アメリカ合衆国まで行ってもらいたいんだよ。不破さんを選んだのは帰国子女としてのスペックを見込んで、シュージンくんは……言わずもがなだね」

「……さて。俺はどうにも拒否権がないらしい。あとは不破次第だがどうするよ?」

「あたしも別に構わないわよ。寝泊まりの部屋さえあんたと一緒にならなければ」

「プライバシーについては安心してくれていい。シュージンくんはこう見えて奥手だからね。なにせこれまで友達の一人だっていなか――」

「余計なことは言わなくていいんだよ知念さん」

「おお、怖い怖い」


 口とは裏腹におどけた調子でけらけらと笑う知念ほむら。


 いかな狩神といえども学長に手は出せないし、そもそも戦力は雲泥の差なので、きつく睨み付ける他ない。


「とにかく二人とも私からの依頼を引き受けてくれるということだね。うんうん。助かるよ」

「で、肝心の依頼内容はなんなんすか」


 投げやりに尋ねる狩神。


「実は、とある生徒がアメリカにいてね。どうにかして連れ戻してきてほしいんだ」

「生徒だぁ? ってことは上級生か」

「いんや……君たちと同じ一年生だ。ただ、入学式が始まったというのに一向に日本へ帰ってくる気配がなくてね。このままだとずぅっと戻ってこない可能性があるな、と心配しているんだ。出席日数が足りなくなって除籍にでもなったら私としても困るところでな。なにせ私が入学してくれないかと直々にアピールしていたほど腕の立つ子だからね。他校に彼女が取られてしまうのはなんとしても避けたいところなんだよ」

「学長自ら……ってことは、その子、相当強いってことですよね……まさか黒乃くんよりも強いんですか……?」

「どうだろうねぇ……シュージンくんは間違いなく現役でも最強だと思うけれど、彼女も彼女で表舞台じゃあ別格だ。弱冠16歳ながらにして日本神格保有者連盟の最高峰であるSランクに登録されているからね」

「え……Sランクって……」


 神格を保持する全ての者が登録されている連盟は、登録者数だけでも百万人を超える。

 うち、Sランクに該当する神格保有者はわずかに13名。


 まして、未成年ということに着目すれば、唯一無二の存在。


「誰だそれ?」

「黒乃くん、まさかこんな常識を知らないの!? 未成年でSランクといったら一人しかいないじゃない!」

「必要ない情報を記憶するような趣味はねぇからな。で、人捜しってんなら名前と顔くらいは教えてくれねぇと話にならねぇぞ?」

「シュージンくんの他人に対する興味のなさは相変わらずだねぇ。そんなことだろうと思ってきちんと写真とプロファイルを準備しておいたさ。これが連れ戻してきて欲しい問題児だよ。……というより、シュージンくんは何度か顔合わせをしたことがあるはずだけど」

「同世代でそんな強いやついたか? 記憶にねぇが……どれどれ……」


 狩神は知念ほむらからクリアファイルを受け取り、綴じ込まれている資料に目を通し、


火技冶かぎやえんじゅ……って、ああ、アイツか」


 合点がいったとばかりに頷いてみせる。


 見覚えのある顔だった。


 薄幸という響きを纏った儚げな印象を湛える眼差しと、その反面、喋らせれば敵う者はいないと噂されるほど達者で、頭脳明晰な同世代の一人。


 とある任務で手を組んだときは、これほど敵に回したくないと思ったこともないほど武芸に精通している実力者だ。


「覚えてないとか失礼じゃない? で、火技冶さんとは面識あったってことなの?」

「まぁ……色々とな。つうか知念さん、俺が適任とか冗談だろ? 俺にとっちゃあ天敵だぞ……」

「やっぱり黒乃くんよりも強いんだ……」

「口が達者でな、とにかく頭が回るから力業でねじ伏せるしかなくなるんだが……いまのところ負かした試しがない。負けた覚えはないが勝った覚えもない。そもそもあいつの本気を見たこともない。そういうわけで、どっちが強いとかそういう話は意味がない」


 敗北を知らないという言葉があれほど似合う神格保有者もいまい。


「とにかく実力は折り紙付きだ。彼女をどうにかして連れ戻すにはシュージンくんと不破さんの腕にかかっていると言ってもいい。万一失敗した場合の策も練ってはあるが行使するのは気が引ける。というわけで、これがチケットだ。明後日からよろしくな」

「すげぇ唐突だな……不破、本当に大丈夫か?」

「問題ないわ。前々から予定を空けておくようにって学長に言われていたしね。準備も万端だもの。そっちこそ平気?」

「まぁ、こういう急場には慣れてるからな……。とはいえ……」


 素直に説得して連れ戻すことができるようなら、こんな『命令』が下ることもないだろう。火技冶が本当に日本へ戻りたくないと知念ほむらの要請を突っぱねているのか、あるいはトラブルに巻き込まれているのか……。


(どのみち、ただで終わるってわけにはいかねぇんだろうさ)


 学生として青春を謳歌するのは当分先のことになりそうだ、と狩神は一人静かに嘆息するのだった。

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クロノスの神狩 辻野深由 @jank

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