007:その日の夜《帰り道》

 


 「……まったく、ほんとにとんでもないことを言い出すわね、アンタは」

 

 呆れた表情で窓の外を眺めながら、西条詩陰はため息混じりにそう言う。


 「この忙しくて手が回らない時に、よくもまあ厄介事を抱え込んでくれたわね」

 「まあまあ、そう言わない。結果的に彼を殺す必要はなくなったんだし、その分楽できるでしょ?」

 「…………」


 悔しいが、返す言葉が見つからなかった。

 大上大河。私は数時間前、彼を本気で殺すつもりでいた。無論、殺そうとした。実行した。殺害を強行した――だがしかし、彼は結果死ななかった。

 否。死ななかった、ではない。

 ――が、正しいニュアンスだろう。


 「……彼、一体なにもの? 私の式神を意に介さない運動能力と、通常起こり得るはずの拒絶反応を打ち破る肉体……もう、なにがなにやら訳が分からないわよ」

 「アレは仕方ない。彼のそれは、本当に特別なんだろう」

 「魔法使いではない……彼の言動から見て確かにそれは嘘ではないようだけれど、相当強力な術式保護プロテクトが施されてるのは間違いないと思う」


 西条詩陰の考えはおおよそ正しい――筈だ。論理的に考えて、その予想は至極正しい。概ね99パーセントの正回答と言えよう。

 魔法使いたちがその身を保護する術式保護プロテクトと呼ばれる術。それは確かに、魂同士の接触による拒絶反応を無効にすることが可能となる。事実、鬼狩りを生業なりわいとし近接戦闘を得意とする鬼殺師おにごろしの一派なんかは、超上級の術式保護プロテクトで身を保護しているという。彼のそれも、同等かそれ以上の効果を示しているように感じられた。


 「彼は術式保護プロテクトなんて施しちゃいないよ」

 「は? でもそれじゃあ、事実と辻褄が合わないわよ」

 「君は理屈っぽいからねー。今は分からなくても仕方ないよ」

 

 意味ありげにそう言って微笑む表情に一抹の怒りを覚える。


 「でも、東雲先生。本当にあの子を魔法使いにするつもりなんですか?」


 木山先生の質問に、うんと二つ返事で応える。快く、不気味なほどニッコリと微笑んで。


 「無論だよ。なにせ、私はそのために日本に来たのだからね」

 「アンタの用件はどうでもいいけど、の仕事は疎かにしないでね」

 「わかってるわかってるって」


 ははは、と快活に笑うカレン。今日のこいつは、よほど愉快らしい。


 「さて、私の予想でなら、今夜辺りに行動を起こすだろうね。多分」

 「――侵す者ロバー、ね…………」



   ◆



 「……はぁ―――――――」

 

 大きくため息を零して、夜空を仰ぎ見ながら帰路を歩く。

 

 「魔法使い、かあ…………」


 呟くように吐き捨てる。正直憂鬱だ。

 急展開。まさかきょうび、死ぬか魔法使いになるか選べ――などと選択を強いられることになるとは、夢にも思わなかった。

 魔法だなんて、そんな奇々怪々な物事とは無縁の世界で生きて来たのだ。今日から魔法使いになれだなんて、そんな急に言われても、どうしようもないだろうに。


 「一体全体これからどうなる―――」

 

 呟いて、口を止める。

 歩みを止める。

 前方に、怪しげな人影が見える。

 街灯に照らされた、電柱に寄りかかる細身の男。

 白いTシャツに黒いスキニーを履いた男。頭にはNYヤンキースの帽子を深々と被っており、顔はあまり見えなかった。

 見るからに、怪しい男。


 「よお、少年。今夜はいい夜だなあ」


 ヘラヘラとした態度で語る。男は続けて、同時にゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。


 「今夜はいい夜だ。特に、月がサイコウにイイ」

 「えっと、そうですか?」


 言って、徐に空を見上げる。


 「月、出てませんけど」

 「月ってなあ出てこない方がいいに決まってんだろ。ことに今日みたいな咋夜は最高に気分がいいぜ」

 「はあ……」


 なんだか、よくわからないヤツに絡まれてしまった。

 早いとこ退散して家に帰ろう――そうして再び歩き始めた。

 

 「おおっと。もう帰っちゃうわけ? おっと、そうだ。自己紹介がまだだったな。俺の名前はかい――――鳥飼海とりかいかい

 

 無視して立ち去ろうとした刹那――ちょうど、俺と男がすれ違ったその瞬間、男は囁くように俺の耳元でそれを告げた。


 「俺はさ、お前らを殺しに来たんだわ――」


 瞬間、横腹が粉砕する錯覚を覚える。

 ゴン、という骨が軋む轟音。粉々に砕け散る肋骨。

 向かいの壁まで吹き飛ぶ体躯。意識までも飛びそうに思えたが、強烈なまでの痛覚がそれを許さなかった。


 「かはっ――――」


 声すら上がらない。

 痛みというより喪失感に近い。あり得ないが骨どころか身体が粉々に吹き飛んだようだった。ゴリラにハンマーでたたかれた気分とそれほどの力。しかしその実、男の右拳で殴られただけというのは、度し難い程に信じられない。

 

 「あれ? おっかしーな。もう壊れたか? お前さ、さっき式神と渡り合ってたじゃねーか。それっておかしくねーか?」

 

 式神だと? この男は魔法使いなのか? 学校でのアレを見ていたのか。

 殴られた腹部をおさえて、歯を食いしばりながら問う。


 「……アンタ、なんなんだよ。いきなり……こんな」

 「いきなりってワケじゃあねーだろうよ。もう1ヵ月も前から始まってんぜ、戦争は」

 「戦争……だと?」

 「魔法使い同士の戦争だろ。領土とちの奪い合い――あ、いやこの場合俺の方が一方的に奪いに来てるわけだし、取り合いでも奪い合いでもねーわな。まあいいんだよそんなこたあ。どのみち今に始まったことじゃあねーんだよ」

 

 言って、魔法使いと称する鳥飼という名の男は、ヒラヒラと手を振る。

 懐から手袋を取り出し、キュっとそれを填めてから拳を握る。


 「何はともあれ、まずは一匹だ」


 瞬間、男の手袋の甲に記された文字が輝く。それはある種文字のような風情で、象形文字のごとく怪奇で得体のしれない記号に見えた。


 「風は俺の思うままに吹け。The wind blows wherever it wants.お前にはそれを聴くことが出来るがJust as you can hear the wind何処に来て何処へ行くかはbut can’t tell where it comes 知らないfrom or where it is going,故にお前はお前が生まれたso you can’t explain how people必然を語れない are born of the Spirit.”


 詠唱を汲み、魔力はそれに呼応して集束する。

 鳥飼の握りこぶしの周囲に、小さな竜巻のような渦が形成される。それはおそらく魔法と呼ばれるもの。多分、宣言通り俺を殺すつもりだろう。


 「死ね―――――!」


 声を上げて、竜巻諸共握りこぶしを突き出した。ちょうどパンチの要領。

 突き出された竜巻は、一直線に俺へと突っ込んで来る。

 避けられるはずもない。それは救いようもないほどの高速。しかも殴られた場所が痛くて満足に動けない。故に、俺はそれを避けることが出来なかった。不可能だった。

 

 ――目を瞑って数秒経つがいまだに意識がある。あの速度ならとっくに命中していていいはずだが、それが来ない。

 恐る恐る、まぶたを上げる。――すると、アスファルトを抉りながら直進する暴風を受け止める、西条詩陰の姿が目の前にあった。


 「……さ、いじょう?」

 「なにか変な気を起こすんじゃないかと気になって来てみれば……本当にアンタは、つくづく厄介ごとの種みたいね」


 暴風を受け止めていた数枚の御札おふだを振り上げ、勢いを空へと受け流した。意味を失った魔法の暴風はたちまち霧散する。


 「………まさか、アンタが侵す者ロバーに成り下がるとはね。海」

 

 言って、意味あり気な面持ちで、鳥飼海を睨む西条。二人は知り合いだそうだ。


 「そりゃあ俺も買いかぶられたモンだ。駄目だぜ、詩陰。ちゃんと人を選んで信用しなきゃな」

 「そうね、その通りだわ。姉さんに負けて、それっきり手を引いたとばかり思ってたけど、まだ懲りてないようね」

 「おうよ。しかしその姉貴殿はんでな―――ま、同じくあの化け物に勝てなかった者同士、仲良くしようや」


 鳥飼の言葉が気に入らなかったのか、西条は眉を顰めて拳をきつく握った――そして、自らを落ち着かせるように深呼吸して、次いで口を開く。


 「……残念だけど、私にそのつもりはないわ」

 「あらそう。そりゃ残念…………ところでさ、詩陰。その少年は誰だ?」

 

 唐突に、会話のベクトルが自分に向けられ、少し焦る。


 「……なんでそんなことを聞くのよ」

 「いやさ。同業者にしてはいささか弱すぎる――じゃなくて、警戒のけの字もない素人同然の魔法使いはどこの誰なんだって聞いてんのよ」


 鳥飼の言葉に西条は俺を一瞥してため息を吐いた。


 「彼は一般人――素人も同然の新米よ」

 「ははーん、道理で。しかしそれだと放課後の教室でのアレは何だったんだ?」


 西条の表情が、ひどく険しくなる。

 まるでこの女、本当に驚愕したといわんばかりに唖然として。


 「……まさか、見ていたの?」

 「ああ、見ていた。ていうか、ここ一週間程度全部見てるぞ。あの東雲カレンを助っ人に呼んだってことも把握してるし、なんならお前が寝てるところや入浴中まですべてを網羅してる」


 鳥飼の言葉に、かあと顔を赤らめる西条。

 さしもの西条も、プライベートまですべての行動を監視されていると知れば、年頃の女の子同様恥ずかしさを覚えるのも当然か。ていうか、とても羨ましいのでその魔法ぜひとも教えてくれ。


 「もっと早く対処すべきだったようね」


 そう吐き捨てて、ブレザーの胸ポケットから取り出した御札を数枚地面へと叩きつける。

 すると、煙が舞い上がったと思った途端、その内から数体の動物が姿を現す。

 巨大な三本角の鹿、大仰な熊に、明らかにサイズが間違ってる亀。


 「おお、すげー! そんなに式神を扱えるようになったか。いやー、兄弟子として嬉しい限りだねー」

 「三鹿みろくかいな、あの侵略者を壊しなさい!」


 その言葉に応じるように、鹿と熊の式神が鳥飼に向かって疾走する。


 「おーおー、勇ましいのはいいコトだがなあ……駄目だぜ詩陰。結界を張ってない場所で魔法なんて使っちゃあさ」

 「――っ!? 戻れ!!」


 瞬間、西条が召喚していた式神のすべてが煙となって消失した。


 「アンタ正気!? 結界もなしに魔法戦を開始するなんて。もし一般人に見られでもしたら――」 

 「いやいや、そんなわけないじゃーん!」


 視界を覆っていた白煙の内から、鳥飼の回し蹴りが炸裂する。

 ムチのようにしなやかで鉄のようにしたたかな一撃。痛烈な振激を歯を食いしばって腕で急所を防御する――が、男と女とではそもそもに馬力が違いすぎた。たまらず吹き飛ばされるが、西条は見事の受け身を取ったがため、それほどダメージは見受けられなかった。


 「結界張らずに魔法なんか使うきゃねーじゃんっての。……いやさ、詩陰。俺も血気盛んなお前と殺し合いしてやりたいけどさ、今はまだその時じゃあねーんだわ。俺は几帳面で慎重だからな。よーく知ってんだろ? 俺がお前と戦う時は俺の勝利が決定した時だよ」

 「ちっくしょ……待てコラ……!」


 言って、ヘラヘラと笑いながら煙の奥に歩いていく。


 「やーなこった。じゃあな、


 捨て台詞にそう言い残して、謎の強襲者鳥飼海は煙が晴れると共にその姿を消失した。

 俺達は地面に伏したまま、黙ってそれを見過ごすことしかできなかった。


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魔法使いの教室 佐々木ヒロ @sasaki_hiro

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