クラウド

須野 セツ

クラウド

 緑とオレンジを混ぜた色だった。

 

 見上げても見上げても終わりの見えないほど高く上がった巨大な雲が東に姿を現す。

 それは余りにも突然だった。目の前の窓にはディストピアの叫びを上げて無数の砂粒が付着する。窓は透明ではない悪意のある有色に染まった。

 視界は狭まっていく。端から徐々に面積を減らしていくのではない。全てがまんべんなく濁っていく。

 あの雲がいまだ見えるほどの汚し方は余計にたちが悪いと思った。

 

 遠くのきのこ雲。その大きさ、形。僕は頭がいいからあれが十五秒後にここまで届くことを悟っている。目の前のディスプレイからは完全に目を離す。

 触れていたキーボードから手を退けたとき、もう二度と文字を打ち込むことはないのだ、とぽつり思った。背広を肩から外した。

 窓は持続的に色を付けていくがその奥の景色は段々と鮮明になる。

 朧げな形が徐々に崩れ落ちていき、また建物がひとつ、ひとつと壊れていくのが分かった。

 思ったよりも文明は脆い。出来上がったばかりのジグソーパズルが何も知らない赤ん坊に粉々にされていくようだ。


 東には僕の愛する人がいた。ここから自動車でおよそ十五分飛ばしたところが僕たちの家だ。

 「いってきます」と玄関で言ったら、「今日はシチューの残りかな」と返ってきた。的外れな答えが最後の会話だ。彼女の顔はよく見なかった。

 もう駄目だろう。彼女は死んだのだ。

 僕より東で生活していたから、僕より十五秒早く死んでいった。たかが数秒の差だ。僕は頭がいいからあの爆発で自分が死ぬことも誰よりも早く察していた。

 だけどこの瞬間、取り残されてしまった。

 彼女がいない世界、それがたとえ数秒という短い間でもなんて苦しいのだろう。


 膨大に迫ってきた彼女の殺害者に目を細める。この数秒だけでも、それを憎んだ。それが彼女へのせめてもの弔いなのだ。

 台所に置いてあるシチューの鍋は降下していき、白い液体と赤、黄、緑の具材は潰れてしまった。食べられなかった夕食がそこにはあった。

 窓が割れた。三、二と残りは僅か。

 瞬間に吹き込んでくる風は有無を言わさずに身体を飛ばそうとした。

 しかし僕は耐えた。銀色に戻ったガラス片は容赦なく突き刺さり人生最後の痛みを与えてきた。

 身体じゅうが燃えている。それでも立ったままでいた。

 そして壁が破壊され、モノというモノが部屋を飛び交い、視線が突然に宙を舞った。


 終わりの音を聞いた。

 舞い上がった僕は外を見たが、そこにはもう何もなかった。

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クラウド 須野 セツ @setsu_san3

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