第1話 探し者と捜し者-3
「こっちが本題だ」
元々そのつもりで来ていた二人は真剣な面持ちで結を見据える。
大の男二人からの熱視線も結の表情を崩すまでには至らなかった。そこまでは。
「……都内でまた殺人事件が起きた。協力を仰ぎたい」
「あはははっ、またかい⁉ 治安が悪いなぁ、本当に‼」
全く笑えない用件に対して結は腹を抱えて爆笑で返す。今朝犯人が捕まったというのに、今日また起きていることが面白いのか結は本気で笑っているようだった。
「‼ 笑い事じゃない‼ 人が一人、亡くなっているんですよ⁉」
「いやぁ、すまない。あまりにも予想通り過ぎてつい笑ってしまった」
正義感の強い高橋はその反応に怒りを覚える。殺人事件が起きたという事実を聞いて爆笑出来るというその心情は理解から遠く、思わずソファから立ち上がってしまう。
そんなことはどこ吹く風か、未だに笑いをこらえている結。高橋は思わず掴みかかりそうになってしまうが、寸でのところでどうにか堪える。
「あー、今日は笑う事沢山だね。悪くない」
退屈な日常に舞い込んできた愉快な話は彼女の頭を沸かしていく。正直今日はこれだけで満足してしまうぐらいだった。
「それで、前回の事件は早々に引き継いで君にまたお鉢が回ってきたという訳か」
「そういうことになる」
「大変だねぇ、君も。同情するよ」
今度はクスクスと笑いながらお茶を一口。何も仕事の依頼を受けるというのはこれで一度や二度目の話ではない。が、ここまでスパンが短いというのは流石に珍しい。
「それでどうなんだ。受けるか受けないのか」
結の飄々とした態度には慣れているのか、津久田は淡々と話を進めていく。倫理観が破綻しているのも、道徳心が欠如しているのも知っているのでもう咎めることはしていない。
「うーん、そうだねぇ……」
催促された結は顎に指を当てて少しだけ考える素振りを見せる。しかしそんなことをしなくてももう答えは決まっていた。所謂様式美というものをやっているに過ぎない。
「良いニュースと悪いニュースがあるんだけど、どっちから聞きたい?」
「は?」
途端に始められたのは小粋なアメリカンジョークだった。
肩をすくめながら片目を瞑ってお茶目に二人に問いかける。
「ちょ、真面目にやって――」
「……良いニュースからだ」
いい加減にその
ご満悦な表情を浮かべる結。真面目に話そうという気概など一切無い彼女は今この瞬間ですら全てを見下しているような雰囲気を帯びていた。
「良いニュースは勿論、ボクはその依頼を受ける気満々ということさ」
ビシッと二人を指差して高々とやる気はあると宣言した結。そもそもやる気が無ければ玄関の時点で謝礼を受け取って追い返している。ここまで上げたということはそういうことだった。
「じゃあ、悪いニュースというのは……?」
ここでぬか喜びをしないだけ高橋は冷静だった。残っている悪いニュースとやらをストレートに問う。
聞かれた結は、先程までの愉悦染みた雰囲気を捨て去り哀愁漂うオーラに即座に着替えていた。あまりにも急転直下で変わったものだから幻覚を見た気分に陥る。
「悪いニュースというのはね、その依頼を受けるのは不可能なんだ」
「不可能⁉ どうしてですか⁉」
思ってもみなかった答えだったのか高橋は勢い余って机を叩いてしまう。
「まぁ、落ち着き給え。慌てる乞食は貰いが少ないと言うだろう? 静かに聞くように」
結は身体を前に乗り出した高橋の口元に一人差し指を軽く当てて諫める。軽やかな動作であり、受け流されるように高橋の勢いというのは殺されてしまった。
「今、ボクのところには助手がいなくてね。そうなると依頼を受けられないのさ」
なんとも嘆かわしいといった感じに溜息混じりにそう語る結。全くもってふざけている訳ではなく、本心からの発言であるのだがそうは取られなかったらしい。
「一人では仕事が出来ないってことですか?」
「そうなるね。ボク一人では出来ない仕事だ」
「……思ったよりも大したこと無いんですね、助手頼りなんて。探偵なんてやっぱりそんなものですか」
「おい、高橋……」
偉そうな態度の割には一人では仕事が出来ないと来た。ここまでの貝輪で鬱憤が溜まっていたのかつい嘲笑うかのような発言をしてしまう高橋。
「耳が痛いね。まさにその通りで反論の余地無しだ」
特に堪えていないのか反論もせずに肩をすくめる結。彼の言ったことは真実であるので訂正する必要も無く、また怒る程の発言でもない。
「そうだ、もし良かったら君がボクの助手でもやってみるかい? 君となら楽しくやれそうな気がするんだけど」
「‼」
そして手を叩いてそんな提案を持ちかける。結の中での高橋の評価は存外に高いようで、割と真面目にスカウトしているように見受けられた。
「君はボクが仕事をしないのが不満らしい。そしてボクは助手を求めている。これこそ利害の一致だと思うんだけど、どうかな?」
結は真っ直ぐに高橋に向けて手を差し伸べる。この手を握れば彼女の助手として働くことになってしまう。しかし、事件の早期解決を目指すのであれば。
「……僕がやれば依頼を受けてくれるんですか」
「‼ 高橋、やめ」
「勿論。約束するよ。当然仕事を手伝ってもらうけどね」
揺らいでいた。内容が分からない物に手を出すというのは愚かな行為だが、彼女の先程の発言がどうにも頭に引っかかっていた。
『目に見えるものだけを信じようとする』
ならばここで踏み出すのもありなのではないだろうか。それとも自分は惑わされているのだろうか。分からない、分からないまま高橋はゆっくりとその手に向けて手を差し出した。
「高橋ッ‼ 目を覚ませ‼」
「ッ‼」
手を握ろうとしたその瞬間に津久田の怒号が狭い室内に響いた。彼女の手を掴もうとした手は津久田に無理やり離される。室内が震えるような大きな声は高橋が我に返るには十分過ぎるものだった。
「おいおい、あまり大きな声を出さないでくれ。大家さんに怒られてしまう」
キーンと耳鳴りがしてしまうぐらいの大声だったので、結は堪らず両耳を塞ぐ。
誰の家であるのか忘れたのかとでも言いたげな文句を口では垂れ流していた。
「……お前は刑事だろう。見失うな、自分の仕事を」
「はい……すみません……」
津久田に優しく諭されて高橋は肩を落とす。頭に置かれた手が大きくてどこか落ち着く。
高橋は目先の物に釣られて本質が見えていなかった己を恥じていた。
「ふーん……。やるじゃないか」
「……あまり調子に乗るな、天栗。度を越えている」
「確かにやり過ぎとは思ったさ。でもボクも彼を買っているんだよ」
睨みつけるようにしてむすびを見た津久田。悪びれもせずに結びは不敵な笑みを崩すことは無い。引き留めたことを褒めているようで、視線は高橋に向いていた。
結の視線から逃げるように高橋は津久田を見る。津久田は怒っているような、呆れているようなそんな表情を浮かべていた。
「……ふぅ。仕方ない。彼の勧誘は諦めることにするよ」
そうして飲みかけの紅茶を啜る。この紅茶が飲み終わる頃には話も終わることだろう。
「じゃあ、妥協案だ。ボクの助手を探すのを手伝ってくれないか?」
「具体的には?」
「そうだね……いい機会だし適した人材を探したいんだ。斡旋してくれないかな」
君なら分かるだろと言いたげな結。実際に彼女の仕事の内容を知っている津久田は顔をしかめる。しかし、彼女に仕事を依頼出来ないというのも避けたいところだった。
「……分かった。ただ今すぐには無理だ。少し時間がいる」
「構わないよ。ボクに話を持ちかけてきている以上、君達も忙しいだろうからね」
「あぁ。そうだな、二日後の正午にまた警察署に来い。それまでには何とかしておく」
「いいね、楽しみに待っておくよ」
そこで結は紅茶を飲み終える。二人に用意した紅茶は全くの手付かずで、そろそろ湯気が治まってきている頃だった。
「……………」
二人のやり取りをただ黙って見ていることしかできない高橋。余計な口を挟めばまた彼女に惑わされてしまいそうで動けないのがまた歯がゆいところだった。
「ほら、行くぞ高橋」
「はい……津久田さん」
話が終了した以上、もうこの場所にい続ける理由というのは存在しない。というよりももうこれ以上この場所にいたくないというのが本音である。普通の部屋であるというのに、彼女一人がいるだけでここまで変わるものなのか。
「あぁ、そうだ。高橋刑事」
「……何ですか」
踵を返して家を後にしようとしたその時、最後に結が呼びかけてきた。返事をしたくは無かったが、無視をすることも出来ない高橋は振り返らずに返答する。
「もし気になるならボクの仕事を見るといいよ。気になるなら、ね」
「……気になりませんよ」
「それならそれでいい。ボクも見せたいわけじゃないからね」
その会話を皮切りに津久田が玄関の扉を開いた。駅から十分の閑静な住宅街のとあるアパートの一室が、まるで異空間にも感じられる場所であったのを、外に出て扉を閉めて改めて実感した。
「……どうだった、来てみて」
「どうもこうも、こんな気分は初めてですよ……。まるでキツネにつままれたみたいです」
「正しいな。そう感じられるだけお前は優秀だよ」
アパートを出て、住宅街を歩く二人。今になって額には冷や汗を掻き始め、背中には悪寒のようなものが走っている。隣の津久田が平然としていられるのは慣れ故なのか。
「見た目は普通の女性なんですけど……そうじゃない気がして……でも、その通りな気も……。ミステリアスというよりは、ストレンジの方が近い……?」
上手く言葉が纏まらない。彼女を一言で表す言葉というものがどうしても見つからなかった。この胸のわだかまりというのは暫く取れることは無いのだろう。
「とにかくお前の希望は叶えた。ったく、危うく惑わされるところまでいくとは……」
「す、すみません。どうしても気になったので」
元々は彼女の元へは津久田一人で訪れるつもりであったらしい。そこを高橋が無理を言って着いてきたという形になる。結果は散々であったが、収穫も少しだけ。
「これから忙しくなるぞ。しっかり着いてこい」
「はい‼ 津久田さん‼」
本来事件を解決しなければいけないのは警察だ。国の自治組織である以上はその責任を果たさなければならない。彼女に頼ることなく終わらせてみる気持ちで彼は意気込んだ。
天栗結は甘くない 森坂 輝 @kalro1215
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