第1話 探し者と捜し者-2

「…………」

「……ん? 気にせず楽に座るといいよ」

 先に中に入って待っていた結は既に食事を再開していた。フライパンのまま食事をしている女性の姿を見たのは初めてだったのか、高橋はまた固まってしまう。

「ガサツだと思うかい? 女性の一人暮らしなんてこんなものさ」

「‼」

 高橋の顔も見ずに結は彼が思っているであろうことの答えを示していた。考えを見事に見透かされた高橋を呆れたように津久田が横目で見る。いつまでもそんな風にしていたら彼女の前では無駄に疲弊してしまう。そういった意味も込めて津久田は強めに高橋の背中を叩いた。

「ついでに俺達も昼飯にするぞ」

「は、はい‼」

 と同時に備え付けの来客用のソファに腰掛ける津久田。それを追うようにして高橋も腰を下ろす。荷物から弁当を取り出して長机の上に置き、津久田は何の躊躇いも無く、高橋は緊張しながら食事を始めた。

 多少の咀嚼音とTVの音声だけが響く室内。別段気まずいといった雰囲気も無く急遽開かれている食事会。一人だけそわそわしている高橋が実に浮きに浮いていた。

 しばらく会話も無しに続いていく昼食の時間。結の格好は明らかに部屋着であるというのに取り繕うこともせずに男性二人と食事を共にしている。傍から見れば異様な光景であるのは間違いない。

「うん。じゃあ自己紹介でもしてもらおうか、失礼な新米刑事君」

「え、い、今ですか⁉」

 そんな中、結が唐突に切り出した。炒飯を口に含みつつ、スプーンで高橋を差しながら名前を問う。津久田とは久しい仲であるが、彼の事は良く知らない結が興味を惹かれるというのも道理というものだろう。

「そりゃお互いの素性も知らない訳だし、何もここには食事だけをしに来たわけじゃないだろう? もし不満があるならボクから先に自己紹介でもしようか」

「あ、そう……ですね……」

 クスクスと笑いながら戸惑っている高橋をからかう千草。見た目だけで言えば同い年ぐらいに見える女性に手玉に取られているのに気付いた高橋は頬を赤く染める。

「あははっ‼ 津久田、こいつ可愛いな‼ からかい甲斐がある‼ あははは‼」

「勘弁してやってくれ、天栗……」

「あー、久し振りに笑わせてもらったよ。うん、うん。いい部下を持ってるじゃないか」

 何が面白いのか大笑いして涙目になる結。その言動には作為的なものは感じずに純粋に楽しいと思っているようだった。涙を人差し指でゆっくり擦りながら、笑いで乱れた息をゆったりと整えていた。

「そうだね、お詫びと言ってはなんだけど先にボクの自己紹介を軽くしておこうか」

 フライパンに入った炒飯の最後の一口を頬張った後に、結は胸に片手を置きながら目の前に座る二人を見据えた。その瞳はどこか妖しさというものを秘めていて、凝視し続けていると容易に惑わされてしまいそうだった。

「ボクの名前は天栗結。所謂私立探偵というものを趣味でやっているよ。歳はそうだね、永遠の二十四歳ということにしておこうか。よろしく、高橋刑事」

 なんとも適当な自己紹介をかました結。ニッコリと笑いながら立ち上がり、向かって右側に座っている高橋にすっと手を差し伸べる。

「僕は高橋司です。歳は二十四、今月付けでこの地区に配属されました。よろしくお願いします、天栗さん」

「うん、よろしく頼むよ。津久田警部と行動を共にするならきっとボクと顔を合わせることも多くなるだろうからね。よく覚えておくといい」

 高橋は差し伸べられたその手を今度は躊躇わず握った。彼女の言ったことが真実であれば同い年である二人だが、結の方は上からの物言いを崩さない。そのことに高橋はさしたる違和感も抱いていなかった。

 うんうんと満足気に結は頷き、もう一度ソファに腰を下ろそうとしたが途中で思い直してもう一度立ち上がる。空になったフライパンを持ち上げてキッチンへと向かい始めた。

「お茶でも淹れてこようか。少し待っていてくれ」

 どうやら一応もてなすつもりはあるらしい。鼻唄混じりに来客用のお茶を淹れ始めた結を高橋はついつい目線で追ってしまっていた。

「……気になるか、あいつが」

「え、まぁ、はい……。何というか、不思議な感じの女性だなと思って……」

 高橋のその所感は当たらずとも遠からずと言った具合だった。誰しもが彼女と相対した時には同じような感想を抱くことだろう。

 見た目だけで言えばただの見目麗しい女性だ。キャスケットを被っていること以外は特に目を引くところもあまり無いのだが、どうしてか視線を奪われてしまう。高橋が言うように、どこか纏っているオーラが人とは違うように思えるのだった。

「そうだな。おかしいのは間違いない」

 津久田は苦笑混じりにそう返した。自分が初見の時を思い返しているのだろう。

「……後、少し怖いような気がします」

「怖い? なるほど、怖いか……」

 高橋は存外鋭かった。何が怖いとは言わなかったが、彼女の内にある何かを感じ取ったのかもしれない。津久田もどこか合点がいったという表情をしている。

「おいおい、この部屋は新しくはないんだ。もう少し小声で話してくれないかい?」

 お茶を淹れ終わった結は茶化すように言いながら二人の前に温かい紅茶を置く。自分の前には冷たい紅茶を置いた後、ソファを跳ね上がらせた。

「流石のボクも陰口を言われたら傷付くなぁ……」

 わざとらしく泣いているような素振りを見せながら二人を見る結。全く涙は流れておらず、口元も笑っている為にすぐに冗談だと分かるのだが。

「す、すいません……天栗さん……」

「……。素直だなー……なんかこっちが申し訳無くなってくるよ」

 冗談に真剣に対応されればこういう反応にもなってしまうだろう。

改めて面白い奴だと感心しながら結は紅茶を一口啜る

「と、茶番はこれぐらいにしておこうか。時間は別に押してはいないが、ボクの自由時間が減るというのは実に惜しい」

 結は大仰な動作で手を広げ二人に用件を聞き始めた。食事は終了し、お茶も出した。今用件を聞かないでいつ聞くというのだろうか。

「そうだな、まずは礼を」

 津久田は懐から分厚い封筒を取り出す。紙が何枚も重なって入っているかのようなそれを見て結は特に驚いた様子も見せなかった。受け取ればずっしりとした重さがあり、使い道を考えるだけで少しワクワクしてしまう。

「ありがたいことだねぇ。これで暫くは金銭面の心配をしなくて済むよ」

 片手でその謝礼金を掲げて悪そうな笑みを浮かべる結。実に様になっているその姿を見るにこういう物を受け取るのは慣れているらしい。

 厚みを見るに百万以上の謝礼は下らないであろうその封筒を見て高橋は息を呑む。確かに彼女の持ってきたあの写真が決定的だったのは間違いない。

しかし、証拠は何処にもなかったのにも関わらず捜査は動いていたことに疑問が無いわけでは無かった。

「……どうしてあの男が犯人だと分かったんですか?」

 だからこそつい口から零れていたその疑問。問い詰めるような形になってしまったのは高橋が純粋な刑事故だろう。

 そんなこと聞かれるとは思っていなかったのか結はきょとんとした表情を浮かべる。すぐに津久田の方を呆れたように見やった。

「……君、部下に大切な事を伝え忘れるのは良くないと思うよ」

「いや、どうせならお前の口から言ってもらおうと思ってな」

 津久田は悪びれもせずにそう答える。事件に関わることならば伝えるのが筋というものだろう。彼だけ除け者にするというのは実にいただけない。

「そんなこと言って、君もまだ信じられていないからじゃないのかい?」

「……信じろと言う方が無茶な話だ」

「それもそうだ‼ それでもそんなものに頼るしかないというのは実に嘆かわしいね」

 ケラケラと笑う結。高橋の隣では津久田が苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「じゃあ、高橋刑事。君は?」

 下から覗き込むようにして高橋を見る結。何故かは分からないが、見上げられているのに見下ろされているように感じるその視線。あまりに不可解なその感覚にたじろいでしまう。

「信じない……と思います」

「うん、正直でよろしい」

 信じるか信じないかで言えば信じない。そちらを選んでしまう。

何しろ津久田が口を噤んでしまう程の秘密が彼女にはあるのだから。

「目に見えるものだけを信じようとする。愚かだが正しい選択だよ」

 本質を語るのは結の小さな口から。それは自嘲でもあり、また皮肉でもあるのだろう。

「……天栗」

「さて、まさか用件がこれだけという訳ではないだろう?」

 問い詰めるように名前を呼んだ津久田を無視して、結は封筒をひらひらと振りながら逆に二人に問うた。外に車が止まった感じは無く、わざわざ駅から歩いてきたのに用件がこれだけというのは流石に味気ない。

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