第1話 探し者と捜し者-1

駅から約十分。閑静な住宅街の一角にその場所はあると言われている。特に看板が出ているという訳でも無しに、見た目だけで言えば何の変哲もないアパートの一室。しかしよくよく見てみれば表札の所にちゃんと『天栗探偵事務所』と書いてあるらしい。

 風呂トイレ別、キッチン+八畳のワンルームという決して広いとは言えない間取り。見栄を張るようにして中心には来客用の大きなソファと長机。その奥には自らの仕事用のデスクを置くことにより部屋が埋まってしまっている。

「はぁー……」

そこに住んでいるのは一人の女性。名前は天栗結。寝る時は専ら来客用のソファの上かデスクでそのまま寝るという彼女。やっぱりベッドぐらいは欲しかったと思いつつももう引っ越しは面倒だし、何なら布団を敷くスペースも無い。とはいえ今吐いた溜息はそれに関することでは無いのだが。

恐らく寝起きであろうにも関わらず、探偵のトレードマークである所謂キャスケットというものを外していない。随分と年季が入っており、所々くたびれているのがよく分かる。 そうであるのに服は適当極まれり。確実に部屋着と分かるような上下無地のスウェットに身を包む姿は休日のOLのようだった。

「……適当にご飯でも作ろうかな」

 外見を語れば、タレ目寄りの大きな眼に鼻筋が通っている整った顔立ち。比較的小さな唇はほんのり桜色。小顔であるのも相まって、多少幼く見えてしまうのがどうやら彼女にとってはコンプレックスであるらしい。スタイルに関しては並、といったところか。

 詳しい年齢は分からないが探偵など営んでいるところを見るに成人はしていそうだった。慣れたような手つきで冷蔵庫から食材を取り出して調理に取り掛かる。普段から一人でこの場所に住んでいる為このような家事はお手の物だった。

 狭いキッチンでフライパンに油を走らせる。米と卵、ネギなどが用意されているところを見ると炒飯でも作るらしい。いつもの事だが、今日の結の顔はどうにも明るくない。

『今朝未明、先週起きた殺人事件の犯人が逮捕されました。警察は今後も調べを――』

 狭い室内だがTVぐらいは置いてあり、大体付けっぱなしにしているのだが今の時間はお昼のニュースをやっていた。どうやら無事に犯人は捕まったらしい。これで殺された被害者も少しは浮かばれることだろう。

「……痛かったなぁ」

 そのニュースを聞いて結は思わず胸のあたりを抑える。特に事件を解決した高揚感も無さそうに淡々と料理を続けていく。円満に終わりを迎えたのは事件だけで結の方はそうでは無かった。

「まさかさぁ、こんなにすぐに辞めるとは思わないじゃないか」

 特に誰に向けるでもなくぼやく結。一人暮らしが長いとどうも独り言というのが多くなる。ムスッとした表情のまま数日前の出来事を思い返していた。

 これでもう何人目だろうか。一緒に仕事をした次の日に顔を合わせれば、すぐに辞表を提出されてしまう。お陰で万年助手不足であり、一々求人を出すのが面倒なのである。

「……ま、ボクが悪いのは間違いないけどね」

 しかし気持ちはよく分かる。辞めたくなるのも無理は無いことを強いているのだから、ある程度は仕方ないのだが、今後はもう少し求人の条件を変える必要がありそうだった。勿論途中で辞めたとしてもきちんと給与は支払っている。

 多少愚痴混じりになりつつも、そろそろ炒めていた米がいい具合になってきていた。お昼にするには丁度いい時間ということもあり、腹の虫も悲鳴を上げていた。

 フライパンには出来立ての炒飯が。しかし皿に移すのはどうも面倒臭いのでフライパンごとテーブルへと移動させる。勿論下には布巾が敷いてあり、準備は抜かりない。

スプーンを片手にいざ食事タイムと洒落込もうとしたその時の事だった。

『リンゴーン』

「……は?」

 無機質なチャイム音が室内に響き渡る。炒飯を口元まで持っていた姿勢のまま結は一度固まってしまう。

思わず疑問の声も口から洩れてしまい、怒りの感情を込めて玄関を見やった。

『リンゴーン』

「…………」

 立て続けに二回目のチャイム。まるでさっさと出ろと催促をされているようなその振る舞いについついスプーンを握る手というのにも力が入ってしまう。居留守を決め込みたいと思った時に鳴らされたので、決意というものが鈍っていた。

『リン――』

「あぁーうるっさい‼ 新聞なら結構だと何度も言っているだろう⁉」

 そして三回目のチャイムが鳴ったその瞬間に結は扉を思いっきり開けた。大きな開閉音と結の怒号が閑静な住宅街に響いた。

「うわぁ⁉」

「……っと? どこかで見たような顔だね……」

 突然開いた扉に驚いた来訪者の一人は、なんとも情けない声を上げて尻もちをついてしまう。目線を下へとずらした結は、その男性にどこか見覚えがあることに気付いた。

 平凡な顔立ちをしている男性だった。特に印象にも残りそうも無い感じであったが、やはりショックを受けた案件の時の記憶は鮮明のようで、つい数日前に見た顔だと結は何となく思い出していた。

「すまない。俺だ」

 未だに尻もちをついている男性の後ろから野太い声がした。聞き慣れていると言えばそうであるが、普段から聞いている声ではない。しかし結には声の主がすぐに分かった。

「何だ、君か……。来るのであれば電話の一つでも寄越すべきだとは思わないかい?」

「お互い様だ。そもそもお前のところに電話は無いだろう」

「そうだったかな。では今度からは手紙でも送ってくれるとボクとしては助かるよ、津久田警部殿」

 後ろに控えていた男性の顔を見て結は合点がいったようで、態度を少しばかり軟化させる。多少なりともの皮肉を交えて彼女なりに来訪者を歓迎していた。

「仕方ない。上がってくれ、昼ご飯を食べながら話を聞こうじゃないか」

 わざわざ来訪してきた以上、無下に扱うわけにもいかない。別に追い返しても構わないのだが、どちらにせよ主導権を握っているのはどこまで行っても結の方だった。追い返した方が面倒な事もよく知っている。

「いつまでそうしてるつもりだ、高橋。立て」

「す、すみません津久田さん……」

 中へと迎え入れる結の後ろ姿を見ながら津久田は尻もちをついた男性に手を差し伸べる。大きく武骨な手を握り高橋は立ち上がった。驚いたのも間違いないが、二人のやり取りがあまりにも自然過ぎて、ついつい見入ってしまっていたのが主な原因だった。


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