其之後 颯爽北部尉
陰陽道における陰は山の北、または川の南を、陽は山の南、または川の北を意味するので、洛陽という地名は洛水の北に位置するところから来ている。
その洛水からは水が引かれ、濠が城外に巡らされている。城壁は高く堅固で、東西南北に十二の城門を
城内には北宮・南宮という二つの宮殿が築かれていて、天下の中心人物である皇帝が住まい、重大な政策はここで朝議にかけられた。
また、政治の中心となる
城外南には勉学の中心である
皇族、貴族、官吏、商人、農夫、外国人……。老若男女様々な人々でにぎわう洛陽城内。多くの人々が行き交う大通り。官府から出て来た若者がその中を威風堂々歩いていく。
「ふざけんじゃねぇ!」
ふと、罵声が飛び込んできた。その方向に顔を向けると、チンピラ数人の横暴が目に入った。大通りから横に伸びる路地で露天商相手に絡んでいる。通行人を
「インチキ野郎め。こんな石ころがどうしたってんだよ?」
「俺たちを怒らせた代わりだ。こいつはもらっとくぞ」
チンピラの一人がそう言って、一番高く売れそうな玉石を店主の了承なく
「待ってくだされ。そんなことをしたら、本当に罰が当たります」
「だったら、当ててみろってんだ、よ!」
チンピラ共は露天の売り物に手を付けても金を払おうともしない上、その店主を足蹴にする無法ぶりである。曹操の目つきが鋭くなった。
「お前ら、何を騒いでいる?」
「何だ、てめぇは?」
頬に傷があるいかつい顔の男が凄んできた。チンピラの
「聞いているのはオレだ。答えろ」
かつて
「ああん? このジジイが悪ぃんだよ。
「どんな出鱈目だ?」
「こんな石ころを聖なるものだとかほざくからよ、こんな風に足で突いてやったら、今度は罰が当たると言い出しやがったのよ」
そのチンピラは転がった石の一つを足で突いて説明した。
「ほう、天罰か」
「何を納得してやがる。そんなわけあるか。いいか、聞いて驚くなよ。俺たちは今をときめく
馮方。権勢を誇る濁流派の高官だ。このチンピラ共はその虎の威を借る
「恐喝罪に横領罪と不法占拠罪だな」
「あん? 今、何て言ったんだ?」
「恐喝罪、横領罪、不法占拠罪といった。相手を脅し、他人の物や公道を不法に自分のものにすることだ」
曹操はご丁寧にも分かりやすく説明してやった。
「それがどうした。文句あるのかよ?」
「それ以上続けていると、そのうち部尉の兵たちが騒ぎを聞きつけてやってくるぞ。オレが歓待してやろう。共に参ろうではないか」
「おお、そういうことか。そりゃあいい。話の分かる奴だ」
チンピラ共は曹操が自分たち権威に取り入ろうとしているのだと勘違いした。
洛陽には東西南北に四人の部尉がおり、城内各地域の治安を守る警察の役目を担っている。曹操は身をかがめると、ぶちまけられた売り物を一つ拾った。小さな玉石に仏像が彫られている。曹操は白馬寺に出入りすることがあって、それが仏像だと分かった。
「これは西域のものか?」
「はい。
于闐とは
「こんな無知な輩に
「浮屠を御存知なので?」
「ああ少しな」
仏教は伝来して日が浅い。曹操がまだ
「おい、何やってやがる。さっさと行こうぜ」
後ろからチンピラ共の急かす声がした。曹操はその一人が
「ありがとうございました。
どこかで聞いたことのある声が聞こえ、曹操が振り返った時、もう露天商の姿は
「罰じゃなくて、酒と肉に当たったな」
「はっはは、その通りだ。馮方様の名前を出せば、お近づきになりてぇって奴が山ほどいるからな」
チンピラ共は勝手なことを口にしながら、呑気に曹操の後を付いてくる。
「ちょっと待て。城外に出るのかよ?」
曹操とチンピラ一行は洛陽城十二門の一つ、
「ここでお前たちを歓待する」
「あん? どういうことだ。さっぱり分からねぇぞ」
「今に分かる」
曹操は城門脇の門兵屯所にずかずかと入っていった。代わりに出て来たのは門兵たちだった。彼らは有無を言わさず、チンピラ共を取り押さえた。
「何だ、何だってんだ?」
それには兵たちに続いて出て来た曹操が答えた。
「洛陽
曹操孟徳の官職――――洛陽北部尉。今朝、そう決まった。
北部尉は洛陽城内北部エリアの治安を受け持つと共に、四つの城門の門衛も兼ねる。四つの門とは、
木製の棍棒は木の種類と大きさが違っていて、罪の重さによって、使う棍棒の種類を決定する。何人か法を犯した者があり、その中には貴族や現役官僚もいたが、曹操は
その
曹操が
曹操(
司馬防、
この司馬防が曹操を尚書台(総務院兼人事局)に推薦した。
曹操は
孝廉に挙げられてから、権勢ある出自であることもあって、とんとん拍子に官職を得るまでになったわりには授けられた官職は小さなものだった。
『物騒な事件が続いているから、期待されたかな』
北部尉の内示を受けた時、曹操はそう
半年ほど前から洛陽では凶悪な強盗事件が続いていて、民心の不安が募っていたのだ。聞くところによれば、曹操が北部尉に就任する少し前、袁家の屋敷もその強盗集団の被害にあったという。
『富貴が過ぎると
曹操はその話を聞いた時、そう思っただけで気にも留めなかった。
「……就任早々、派手にやったようだな。もう話題になっているぞ」
曹操の父、
「ああ、あんなのは取るに足りません。最初が肝心ですからね」
曹操は逮捕したチンピラ五人を衆人環視の中、
「――――私は
「――――若造がふざけんじゃねぇ! 後でどうなるか分かってんのかぁ?」
チンピラの頭らしき男が拘束された体を
「――――ふざけていない。無法者は厳法で歓待する。こいつを抑えつけろ」
曹操は兵士たち命じてチンピラ頭を抑えつけさせ、容赦なく
「――――お、俺たちを誰だと思ってやがんだ? 中常侍・曹節様の女婿、馮方様の子弟だぞ」
それを見た次に刑の執行を待つ男がまたバックにいる大物の名を出して曹操を
「――――お前は売り物を掠めたな」
曹操は兵たちにそのチンピラの体を調べさせて、仏像が彫られた玉石を取り上げさせた。
「――――お前には横領罪を加える。よって四罪二十打だ。抑えつけろ」
冷徹に言い放つと、その男に容赦なく二十打をお見舞いした。その男は背中を血まみれにして死んでしまった。チンピラも衆人もその鬼の仕打ちに恐怖した。
そして、許してくれと
倒れ込んだまま動けない男たちを尻目に、曹操は棍棒を
「――――今日より、現行の法に加え、夜間の外出を禁止する。法の執行は
曹嵩はそんな息子の暴れっぷりに頭が痛い。阿瞞の悪知恵にも、吉利の放蕩無頼ぶりにも悩まされたが、その性格は曹操となった今も
門をくぐりながら、曹嵩は息子に注意を促す。
「聞けば、その者たちは馮方の食客たちというではないか。面倒になるような真似はしてくれるな。やり過ぎては恨みを買うだけだぞ」
「職務を果たしただけですよ。最近は物騒になっていますから、風紀を厳しくしなければなりません。父上も袁家が強盗に入られた話を御存知でしょう」
「ああ、聞いた。確かに物騒になってはいるが……」
「父上も注意してください。富を溜め込み過ぎると、欲にかられた連中を引き寄せますよ」
曹嵩は蓄財に余念がなかった。曹操はそれを言っているのだ。
「我が家には特に金が必要なのだ。お前がやり過ぎた時は金が解決してきたのだぞ」
「分かっていますよ。あ、父上、足下に気を付けて」
「何だ、これは?」
門を入ってすぐ、前堂の前に
「我が家も用心しなければなりませんからね。私兵が少ない分、いろいろ工夫が必要です」
曹嵩の工夫とは金である。曹嵩は息子の言った言葉を少々誤解して受け取った。
「それは十分心得ておる。傭兵を雇う準備しているが、今はあちこちの家が傭兵を雇い上げているからな。腕の立つ良い傭兵は簡単には集まらん」
夜な夜な名家を狙う強盗団のせいで、傭兵市場は
「
元譲・妙才というのは、曹氏の故郷である譙県の姻戚、
「それもそうだな。譙から男衆を何十人か呼び寄せる方がよいか。よし、早速使いを出そう。人夫も手配しておく」
曹嵩は書状をしたためるために書斎に向かった。曹操はそれを見送ってから出勤した。もう日が暮れようとしているが、夜間外出禁止令を敷いたため、その
それから数日も経たないうちに、東部エリアに居を構える
唐珍は
唐衡は十年前にすでに他界していたが、唐珍はその恩恵により、高官に昇った。
そして、皮肉なことに、そのピーク時にこの災難に
司空はいわば建設大臣ともいうべき職で、官僚最高職〝
『これで何件目だ? 私兵を飼っている大家ばかりを狙って一人も捕まらないなんて、余程の
翌朝、曹操は自ら唐珍邸を訪問した。すでに東部尉の兵たちによって屋敷は封鎖されていたが、曹操は北部尉を名乗って、半ば強引に実況検分に加わった。
正門が破壊されている。何かとてつもない巨大な圧力で打ち破られた
前堂には遺体が並べられていた。この襲撃で命を落とした者たちだろう。十数体はある。東部尉の兵がさらに屋敷から遺体を運び出しているのを見れば、被害はさらに増えそうだ。曹操は遺体に被せられていた
「北部尉殿、やはり困ります。誰も入れるなと厳命されておりますので……」
「オレは同僚だぞ。東部尉はどこだ? 直接話をつける」
「こちらにはいらっしゃいません」
「この事件を放って何をしている?」
「それは私たちにも分かりかねます」
「唐司空は無事なのか?」
「はい」
「司空に話を聞いたら帰る。案内しろ」
東部尉の副官の男を困らせながらも、曹操はその後に続いて屋敷に入った。
歩きながら、内部の様子を観察する。中は随分荒らされている。物が散乱し、至るところを物色された形跡が残っている。しかし、奇妙に思うことがあった。同時にピンとくるものもあった。
「こちらです。おいたわしいことに、奥方様が被害に遭われたようです」
曹操が寝室に入る。ある女性の遺体の傍に
「唐司空殿ですね。私は洛陽北部尉・曹操と申します」
唐珍は曹操に顔を向けたが、声を発しない。
「あまりの心痛のせいか、言葉が話せなくなっています」
副官の男が曹操に耳打ちした。
「耳は聞こえるのだろう。唐司空、一つだけお尋ねしたい」
曹操は言うと、膝をついて唐珍の耳に
唐珍邸に仙珠が存在したかどうか――――。
それを聞いた唐珍はまるで悲しみの淵から脱したように立ち上がって、しっかりした足取りで寝室から移動を始めた。曹操がそれに付いて行く。書斎に入った唐珍は
『――――かつて仙珠のもたらす天運によって唐氏が栄華を極めたのは間違いない。私が司空を仰せつかったのもその残照であろう。しかし、天運そのものはすでになく、唐家がこうして悲惨な命運に見舞われたのも、その
答えは「ない」。曹操はそれを知って、唐珍邸を立ち去った。
曹操はここしばらく日夜屯所に詰めることが多く、この日も朝早くから屯所に入って来たる強盗団との対決に向けた策を考えていたところであった。
『奴らはただの強盗団ではない。仙珠が狙いだとしたら、袁家を襲うのも当然だな……』
何しろ、袁家は実際に黒の仙珠を隠し持っているのだ。それを嗅ぎつけられたとしたら?
『洛陽の袁家になくて
百鬼の狙いが仙珠にあるのではないかと
壁や天井、本棚などあらゆるところが荒らされていて、それが逆に奇妙に映った。
金品を狙った普通の強盗なら、そんなところを物色しない。
『誰が仙珠を保持しているかまでは掴めていない。疑わしい連中の屋敷を手あたり次第襲っているとなるということか……』
「曹部尉、少しよろしいでしょうか?」
そこに部下がやってきた。困り切った様子から察するに、何か難しい事案が発生したようだ。
「何だ?」
曹操が外に出てみると、二頭立ての豪華な馬車が止まっている。
「誰のだ?」
「東部尉・
「なるほど、分かった」
駆馳というのは馬車を速く走らせることだ。城内では禁止されている。
「部尉はどこだ?」
王吉は馬車から顔を出して、曹操を探した。権勢を楯に文句をつけようというのだろう。
「私が洛陽北部尉、曹操でござる」
「おお、そなたが曹操か。先日は失礼した」
王吉は残忍さを
「洛陽東部尉の王吉である。謝罪がてら、新しく赴任した同僚の顔を見ておこうと思ってな」
曹操は
「城内を駆馳されたそうですな」
「おお、済まんな」
「いかなる
「それはもちろんだ。法を犯したのはこの
何かと
「わ、私は仕方なく……」
何かを訴えようとしたが、背中に刺さるような視線を感じて、
「……いえ、私が悪いのでございます」
そう言って、渋々刑罰に応じた。見れば、それは唐珍邸で曹操を案内した副官の男であった。それを
「
曹操の命で、御者の男の背中に
男は
「私も管区では厳法を以って治めようと思っている。曹部尉の厳法はよい参考になった」
一方の王吉は曹操の裁きをにやにやと見守ると、満足そうに言った。
「ところで、曹部尉。私が急いでやってきたのはほかでもない、そなたに伝えることがあったからだ」
実は王吉は副官の男を御者に降格させ、わざと法を犯すよう駆馳させたのである。
それを暗に自白しながら、曹操に告げる。
「何でしょう?」
「そなた命を狙われておるぞ。誰にか分かるか?」
「不義不忠の者でしょう」
穏やかな話ではないのだが、曹操は人ごとのように即答した。
王吉は少し苦笑を浮かべながらも、親切に教えてやった。
「馮方の食客たちだ。そなたに恨みを募らせておる。白馬寺の隣に
どうやって知り得たのか、王吉は曹操にその詳細な情報を密告した。
「どうして教えて頂けるのですか?」
「
そう告げながら、王吉は棒叩きの刑に遭ったばかりの御者に馬車に戻るように指示した。
「せっかく忠告してやったのだ。気を付けることだな」
そして、王吉は曹操にそう言い残すと、御者には、
「いいか。くれぐれも城内はゆっくり行くのだぞ」
白々しくそう言って、馬車を出させた。
「いったいどういう風の吹きまわしだ?」
それを見送った曹操は王吉の態度を訝しんで言った。なぜなら、王吉は濁流派宦官・
曹操は王吉のタレコミで知らされた空家を下見しておこうと上西門へ向かった。
あのチンピラが騒動を起こした場所を通りかかり、ふと、路地の脇に目をやる。
誰もいない路地の奥に露天商の老人がぽつんと座っていた。
「ここにもう客が来ることはないだろう。商売するなら、他でした方がいいぞ」
「これはこれは、あの時の。こうしておりますが、別に商売をしたいわけではありませんので」
「では、何のためにここにいる?」
「都の様子を観察しているのです」
曹操はこの老人にはじめて怪しさを感じた。が、敵対者に感じる怪しさではない。
「爺さんはどこに住んでいる?」
「ずっと前からこの洛陽におりまする」
「洛陽のどこだ。城内か?」
「はい。ここに」
ここと言っても、その路地には家屋はおろか倉庫さえない。以前見たように壁際に壺が置いてあるだけだ。曹操が感じた怪しさが好奇心に変わる。
露天商の名は
「――――
方士は仙人、または仙人修行者をいう。曹操も壺の中を見たいと頼んだが、やはり方士になるという条件を突き付けられ、それは
費長房は洛陽で方術が悪用されるのを監視しているという。曹操が他の壺の中に神出鬼没の強盗団が隠れている可能性を聞くと、費長房は「それはない」と答えた。
高度な方術であるため、方士の中でも使えるものはごく一部。百鬼が方術まがいの術を操るらしいのを感じているが、方士ではないとも言い切った。
『ただの人間が方術まがいのことを
曹操は
『……だとしたら、奴らどこから湧いて出てくる?』
曹操が城外の道を一人歩きながら、推理を働かせる。壺中天の教訓は「想像もしていない場所に想像もしていないものがある」ということにほかならない。
百鬼は意外と近い場所に潜んでいるのではないか。曹操は百鬼が洛陽城内に居住する有力官僚のどこかの屋敷に潜んでいるのでは……と考える。
まず思い浮かんだのが馮方だ。曹操が棒打ちの刑に処したチンピラどもの親分である。馮方は濁流派宦官・曹節の義理の息子だから、有力な容疑者ではある。
だが、あんなチンピラ
「他に城内に住まう濁流派官僚は……おっと、その前にすることがあった」
曹操が独り言を呟いた時、白馬寺が見えてきた。目的の空き家はその隣だ。
数日後、本当に
例の強盗団に関する貴重な情報を垂れ込むから、指定した時刻に曹操一人で皇甫邸に来てほしいという内容だ。曹操はそれに乗ってやった。
「はっははは、のこのこと現れやがったか、この
「先日の恨み晴らさせてもらうぜ。覚悟しやがれ」
曹操が無人の屋敷で一人待っていると、二十人程の徒党が現れた。うち四人は曹操が棒叩きにしたチンピラであった。王吉の情報が真実であったことが証明された。
当然ながら、曹操はチンピラ共の登場に驚きもせず、澄ました顔で聞いた。
「強盗団に関する情報を知りたい」
「間抜けめ、そいつぁ、お前をおびき出す口実よ!」
「よもや俺たちの顔を忘れたって言うんじゃねぇだろうな?」
「やれやれ、少しでもお前たちを信じたオレがばかだった。情報がないなら、帰らせてもらうぞ」
曹操は椅子にしていた庭石から腰を上げると、すたすたと歩き出した。
「ばかめ、そうはいくか!」
「生きてここを出られると思うなよ!」
チンピラ共がそれぞれ武器を取って曹操に襲いかかった。が、その前に地中に消えた。
「ぎゃあ!」
「何だこれは、いててて!」
落とし穴の中で悲鳴を上げるチンピラ共。
「想像もしていないところに想像もしないものがある。教訓から得たお前らへの贈り物だ」
事前に彼らの襲撃計画を知ることとなった曹操は無人の皇甫邸を下見して、曹家が雇った人夫たちを使って落とし穴を掘らせておいた。曹操はそこに布を
茨や毬栗を大量に集めさせてその中に敷き詰めたのは阿瞞、吉利時代の
「ふざけやがって、この野郎!」
まだ地上に残っていた数人が曹操に迫ったが、また地中に没した。落とし穴は一つではない。
「うわぁ、いてぇ!」
曹操は穴の
「ははは、罰が当たったな」
曹操はしっかりシミュレーションをして、敵の動線上にいくつか穴を掘らせておいたのだ。間もなく、待機させてあった曹操の部下が駆けつけてきた。
曹操は剣を抜くこともなく、外で見張りをしていた者も含め、チンピラ共を残らず
袁家の頭領に
袁紹から曹操のことを聞いていた袁逢はある日曹家の屋敷を訪れて、曹操に祝辞を述べた。
「少々遅くなったが、
「ありがとうございます。
曹操は一応謙遜して見せた。友人の袁紹本初は
「いや、謙遜は無用。今の北部尉は君にしか務まるまい。
曹操を洛陽北部尉に配したのは
梁鵠は
「ただ祝いの言葉を述べに来たわけではないでしょう。欲しいのは例の強盗団の情報ですね?」
「さすがに鋭いな。何人か捕えたと聞いたのだが」
「いえ、あれはただのごろつきでした。名を
「そうだったか……」
袁逢は少々落胆した様子を見せた。曹操は馮方の食客たちを捕えてすぐ、いくつかの罪状で棒叩きの刑に処した。ちょうど全員に処罰を終えた頃、司隷校尉の
そうではあるが、段熲は皇甫規と同じ西の名将ながら、王甫に
「何かこだわる理由があるようですね」
曹操はそれを見抜いて言った。袁逢は静かに頷きながら、その経緯を語った。
「我が家も屈強な私兵を持っているので、人的被害はそれほどでもなかったが……」
袁逢は少し言葉を濁しながら、本題を打ち明けた。
「ある国宝が盗まれてしまった。すでに
一年前、
『やはりな。それが狙われた理由だったか……』
曹操は袁家が強盗に入られた理由を納得した一方で、
「確かに以前袁閎殿から話は聞きましたが、あれは袁家が袁閎殿に託して隠したのでしょう? それがどうして洛陽の袁家にあったのですか?」
濁流派の目から仙珠を隠すために、袁氏は一族の隠者である袁閎にその役目を託したのだ。
「昨年、夏甫がふらりと上洛してきて、ただ隠すのは止めるべきだと言ってきたのだ。濁流派を打倒するために清流派が力を合わせれば、黒水珠が天運を授けてくれるだろうと、どういうわけか珍しく熱く語って、黒水珠を置いていった」
袁閎は陳寔邸で曹操に黒水珠の受領を拒否された後、その足で洛陽に赴いたのだ。
「私は君の影響だと思っている」
袁逢が曹操の目をじっと
「私に責任があると?」
「いやいや、そうではない。あるのは人を引き付け、感化する能力だろう。本初も夏甫もそれに影響を受けているのだと思う」
「……とにかく、君は有能だと聞いている。仙珠についても知っている身なのだから、取り返すのに力を貸してほしい」
名門・袁氏の頭領ながら、袁逢は丁寧に一介の若者に協力を要請してきた。
「務めは果たします」
その時はそう言うに留めておいた。北部尉としてできることはする。そういう意味である。
その夜、北部尉の屯所に向かおうとした曹操は屋敷の庭で立ち止まった。
いつも携帯している赤い玉を取り出す。それを見つめて考えた。
小さなそれは球形をしているだけで、一見するところ
曹操の
一年前に
『仙珠が狙われているのだとしたら、これもいずれ
それを見ていると、曹操はふと許劭の言葉を思い出した。
「――――そなたの瞳の深淵に赤い星が見える……」
許劭は曹操の瞳の向こうの宇宙を
実際の天空も
そこに小さな光を放つ赤い玉を掲げてみると、それはまさしく赤い星のようであった。また、曹操の目にはその微かに揺れる赤い光が小さな
『この石は凶運を呼ぶだろうか?』
答えは返ってこない。しかしながら、曹操は自分がとてつもなく大きな時代の潮流に乗ったような気がしていた。
国家の秘宝、五仙珠を巡る清濁の争い――――。
自分はその中心を行くことになるのかもしれない。曹操は赤き玉を握りしめた。
微かに温かさ放つ光がすっと自分の中に溶け込むような気がした
三国夢幻演義 清濁抗争篇 第一章 赤き新星 光月ユリシ @ulysse
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