第五話 初心者VS主将 その2
山県が放った一矢は、寸分の照準の狂いもなかった。
巨大な炎を横一文字に振るしぐれに、その一矢を回避する術は無かった。
しぐれの腹部、その中央に矢が突き立つ。
「うぐぅっ!」
激痛でしぐれの視界が赤く染まり、白黒に明滅する。あまりの痛みに全身の力が抜ける。
しぐれは炎の剣を取りこぼし、一歩、二歩、と後ずさったあと、膝を折って崩れ落ちる。
「しぐれちゃん!」
七嵐の声が響くも、しぐれの耳には届かない。
「終わりですわね」
山県がしぐれの頭部を射貫こうとする。
次は、回避できないな。しぐれはまとまらない意識の中、そんなことを思う。
それでも。
「……そう、ですかね」
しぐれは顔を上げて笑ってみせる。山県はその笑みを見て、再び嗜虐的な笑みを浮かべた。
「あら、ここまでされて戦意が萎えないなんて、ずいぶんいたぶり甲斐があることですね。けれど、私はそんなことをするほど性格は悪くないので、ここで終わらせてあげましょう」
ああ、これを食らうと痛いだろうな。それで、敗北ってことになるんだろうな。
しぐれはそんなことを考えていた。自分のことなのに、思考はどこか浮ついていて、まるで他人事のようだ。
……本当に?
本当にそれでいいの?
心中で、しぐれがしぐれに問う。その問いに、しぐれは首を横に振りたい。
けれど。
彼我の戦力差は歴然。奥の手の一つであった一撃も容易く躱された。
これ以上、どうすればいい?
しぐれに、しぐれが問う。しぐれの中のしぐれは、にっと笑ってみせた。
『簡単なこと。死ぬまで戦ってやるのさ。戦って、戦って、戦って、戦う。死ぬまで、死ぬまで、死ぬまで』
しぐれの中のしぐれは、獰猛な笑みを浮かべる。続ける。
『まだ終わりじゃない。終わりまで、戦う。完全に意識が消え失せることが、終わりだ』
しぐれが、しぐれに命じた。
視界が、明瞭になる。
しぐれが、立ち上がろうとする。同時に、山県の矢が放たれる。
漆黒の矢は、そのシルエットを鮮明にしてしぐれに飛来する。しぐれは、それを泰然と眺めた。
ああ、あれに当たれば痛いだろう。
けれど。
まだ、終わらない。
しぐれは、敢えてその矢へと、自身の顔を持って行った。
しぐれの眼前に、文字通り眼前に、黒塗りの矢が存在している。
そして。
山県の矢が、しぐれの右目に突き立つ。
がつり、という音がしぐれの耳の裏で響き、しぐれの視界が片側、赤く染まる。衝撃で、顔は自然と天を向く。
しぐれの意識を痛覚の赤色が染めていく。
そして、その朱に、闘志は触発された。
「まだ、終わりませんよ」
しぐれが顔を宙に向けながら、一歩、二歩、前に進む。山県はしぐれの攻撃を警戒して、後方へ跳んだ。
しぐれの目に突き立った矢は消滅したが、しぐれの右目は閉じられたままだった。
開けば、物は見えるだろう。けれど、どうしてか知らないが、しぐれは右目を開くことができない。精神的な問題かもしれない。
しぐれは、炎の剣の切っ先を下げて、自身の後方に向ける。丁度しぐれは半身になって、山県と相対している状態である。
「弓兵!」
山県はしぐれの攻撃を中断すべく、弓兵を並べて斉射させる。
瞬間。
しぐれが、剣を大きく切り上げた。
剣が纏う炎が、大きく渦を巻く。同時に、しぐれの右目が見開かれ、火の粉が漏れる。
火の粉はやがて炎となった。
剣から放たれた炎の渦が、山県を襲う。
山県は炎の渦から逃げながらしぐれを射撃する。
しかし。
しぐれの目から漏れた炎と、炎の剣。それらが纏う炎が、一体となる。
炎が、燃えさかる。
「なっ⁉」
山県は、自身の視界に広がる光景を見て、目を疑った。
矢が、空中で燃えている。
矢が、空中で燃え尽きようとしている。
敵に向けて放った矢、その全てが、空中で燃えて消えていた。
そして、山県の矢を焼き払った炎、その化身は、山県に詰め寄っている。
「ダラァッ!」
一撃。炎の剣を袈裟に振り下ろす。山県はそれを後方に跳んで回避。
二撃。
しぐれは一歩踏み込み、炎の剣を横に振る。
炎の衝撃波が山県を襲う。
広範囲に広がる衝撃波は、横移動では回避するのは難しいだろう。
山県は、跳躍して避けた。
しぐれは、さらに一歩踏み込む。一方の山県は――。
「同じ手を食うなんて、やはり間抜けは救えませんわね!」
山県はしぐれに照準を合わせていた。
山県は、しぐれが斬撃を放つよりも先に、しぐれを攻撃して制圧しようとしていた。
しかし、山県の意図は外れることになる。
「これで終わ――、なっ!?」
しぐれは斬撃ではない攻撃を繰り出す。
それは、投擲。
しぐれは炎の剣を投擲した。
燃えさかる炎で、山県の視界が刹那、塞がれる。
その刹那、しぐれは山県に距離を詰める。
「間抜けは、どちらでしょうかねっ⁉」
炎の剣を手放し、空いた拳で、しぐれは山県の顔面を殴打した。
ばきり、という音が鳴り、山県の体勢が崩れる。しぐれは、浮いている山県にアッパーカットの二撃目を繰り出し、命中させる。
そして。
炎の剣が、落下しつつある。しぐれはそれをキャッチして、一気に振り下ろす。
しぐれの手に確かな手応えがし、山県を斬撃と炎が襲う。
「ぐっ、うぅっ……!」
山県が苦悶の表情を浮かべる。
しぐれの攻撃は、確かに命中した。
会場が一気にどよめく。長篠設楽原の生徒も、そして井村谷高校の面々も、しぐれの健闘に驚いていた。
しぐれは、この流れで一気に勝敗を決してしまおうと、追撃する。
しかし、山県も歴戦の強者である。
「弓兵!」
山県は自身の左右に弓兵を展開し、しぐれに向けて斉射させる。しぐれは炎を身に纏いそれらの矢を防御した。
その時間が、山県に反撃の隙を与える。
「……あのゴリラ相手に取っておくつもりでしたがっ!」
山県は苛立ちを露わにする。
「仕方ありません! 叩きつぶして差し上げます!」
山県は漆黒の弩を触媒に戻し、そして――。
「見なさい! これが、私の武器! 唯一にして無二の、全てを穿つ至上の一矢!」
漆黒の弩が、黒い影を纏い、姿を変化させていく。
「『
山県がそう叫ぶと、弩を纏っていた黒い影が晴れる。
山県の新しい得物。その姿を見て、一同、絶句した。
それは、巨大な弓だった。大砲にも似た、弓であった。
「……まさかこれまで引っ張り出させるなんて見事です。けれど」
山県が破城弩のハンドルを引く。ガコン、という重々しい音とともに弦が引かれ、矢が装填された。
「終わりです」
山県は破城弩を発射する。
直後、圧倒的質量の矢が、しぐれの横を飛び去った。
その速度は、反応すらできないほどであった。矢がしぐれの背後で破壊音を立てるのと同時に、しぐれの額には冷や汗が流れる。
「もう一撃、いきますわよ」
再び、山県は矢を装填。しぐれは横に走り始める。
しぐれは、山県の照準を外させつつ、距離を詰める作戦に出る。
しかし。
「弓兵っ!」
山県はしぐれの進行方向に弓兵の斉射を放つ。しぐれは慌てて急制動をかけて、その矢を回避する。
「くっ!」
「もらいましたわ!」
破城弩の一矢が、しぐれを襲う。しぐれは渾身の力を込めつつ跳び、体をひねる。その真横を、破城弩の巨大な一矢が掠める。
掠めた、だけであった。しかし、その衝撃は。
「うぐぅっ⁉」
しぐれの脇腹が抉れるような衝撃。しぐれは苦悶の表情を浮かべる。
うめき声を残して、しぐれは横に吹き飛ばされた。
あまりの痛みで、受け身もままならない。がんっ、ごんっ、という音を残し、しぐれは地面に叩きつけられて転がる。
「…………あなたはよく頑張りました。けれど、これで」
山県が、弓兵を全て消滅させる。すると、破城弩はさらに巨大化した。山県は、しぐれに照準を合わせる。
「……まだです。まだ、終わってません」
しぐれはよろけながら立ち上がる。意識はおぼろげで、視点も定まらない。
しかし、闘志だけは、その炎だけは鮮明であった。
「…………そして、これで終わらせます」
しぐれは、剣を頭上に掲げるようにして構える。大上段の構え。
そこから、纏う炎を最大限にまで燃え盛らせる。しぐれの右目から漏れ出る炎が、一層、その大きさを巨大なものとした。
しぐれと、山県の視点が交差する。
闘志を、交わし合う。
「『破城弩』!」
「我が炎よ!」
山県がハンドルを引き、しぐれが渾身の力を振り絞る。
「発射!」
「燃え上がれ!」
破城弩から巨大な矢が発射され、振り下ろされた炎の剣が巨大な爆炎を放出する。
両者は空中で交差し、互いを食らい合う。
矢は、炎をかき分け、しぐれを穿とうとする。
炎は、矢を燃やし尽くし、山県に至ろうとする。
ここに、両者の意地と意地がぶつかっていた。
そして、この戦いの終わりが見えてくる。
矢は、燃え尽きつつあった。しぐれの炎が、その矢を燃やし尽くしていた。
そして、矢が消える。灰となって消える。
「……よし……」
しぐれはその様子を見て、口元をほころばせる。
敵は大技を撃ったあとで、隙があるに決まっている。
ここが好機、ここが勝機。
一気に、距離を詰めて、決める。
しぐれは、そう思った。
だが。
「あ、あれ……?」
しぐれの脚が動かない。それどころか、炎の剣がいやに重い。
どうしたのだろうか、と思うと、しぐれの視界が斜めになり、上方へとスライドする。
倒れているのだ、としぐれは自覚した。
ああ、そうか、私は力尽きたのだ。しぐれは、自身の状態をそう悟った。
しぐれは目を閉じ、崩れ落ちようとする。
そこを、がしっと、誰かに抱き留められた。
「……あ、あれ?」
「……見事でした。まさか破城弩の一矢を燃やし尽くされるとは。……まあ、私はまだあと三本はあれを射てますけども。そんなことはさておき」
山県はしぐれを抱き留めたまま、口元を綻ばせる。
「私の勝ちです。勝ちですが、あなたは立派な強敵でしたわよ」
山県がそう言ってしぐれを抱きしめ、しぐれの意識が消失する。
その直後、審判役の生徒が山県の勝利を宣言した。
第五話 おわり
府立井村谷高校い能力ばとる部! 眼精疲労 @cebada5959
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