第五話 初心者VS主将 その1

 審判が試合開始を告げる。

 瞬間、しぐれは、

「イヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 と裂帛の気合いを発し、山県を威圧しようとした。

 だが。


「……はあ、あなたのような手合いなら、腐るほど見ましてよ」

 山県はしぐれの気合いを意にも介さず、小さく嘆息し。

「弓兵、並べ」

 そう、短く言った。


 するとどうだろうか。山県の目の前には、黒い人影がずらりと並んだ。

 それらはまるでマネキンのように“つんつるてん”なシルエットをしていた。

 そしてそれらは、長弓を持っている。


「矢、つがえ」

 山県がさらに指令。黒い弓兵たちは、その声に従って構える。


『遠距離攻撃を使ってくるから気をつけろ』

 しぐれは、山県の一連の動作を見て、七嵐が言っていたことを思い出した。

「気をつけろって言ってもなあ……」

 しぐれはそうぼやきつつ、炎の剣の出力を上げる。

「斉射!」

 それと同時に、山県の声が響く。山県の弓兵たちは、しぐれに向けて矢を直射していた。


 まるで横一線の黒い線のようになった矢は、しぐれに向かって猛スピードで向かってくる。

 しぐれが前転して矢の下に回り込んで回避し、直後、背後で『ずだだだっ』という、大粒の雨が一度に降り注いだような音が響く。


 このまま間合いを詰める。

 しぐれはそう判断し、立ち上がり山県に向かおうとする。

 だが、山県の弓兵たちは既に矢を引き絞っていた。しぐれは慌てて急制動をかけて、横方向へと逃げる。

 しぐれが先ほどまでいた地点に、矢が突き立つ。しぐれが内心安堵しているのもつかの間、新たな矢が飛来する。またも、回避。


「曲射」

 山県はそう言って、複数の矢をしぐれに向けて放つ。といっても、その軌道は山なりのものだ。

 どうしてそのような攻撃を? そうしぐれは疑問に思いつつ、山県に向かう。

 しかし、山県率いる弓兵は、既に攻撃準備を終えている。


「まずっ!」

 しぐれは慌てて進行方向を横へ。しかし。

「もうっ⁉」

 今度は、しぐれの進行方向の先に矢が突き立つ。

 山県は、しぐれの動きを完全に予測していた。


 こちらの動きを予測し、逃げ場所を削っていっているような戦い方。

 しぐれは、相手の戦法をそう実感していた。


 しぐれが次にどう動こうかと迷っていると、弓兵たちがしぐれに矢を放つ。

 しぐれが右に走って回避しようとしても、先に曲射された矢が、しぐれの進行方向に向かって飛んでいる。

 止まることは出来ない。左右に逃げても予測され、狙われる。

 ならば。


 しぐれは一気に接近戦を挑むことにする。横に逃げていると見せかけて、一気に床を蹴って進行方向を変え、山県に向かう。

「判断が単調すぎますわね」

 山県は冷淡にそう言い捨てる。山県は、側に二人の黒い弓兵を従えていた。弓兵は、しぐれにその照準を合わせている。

「やばいっ」

 そう叫んだ瞬間、しぐれは背後に飛ぶ。二矢はしぐれの目前で交差し、背後に突き立つ。


 しぐれは床をダンッ、と踏み体勢を立て直す。しぐれはそのまま体をよじり、炎の衝撃波を放とうと試みる。

 が。

「遅いですわね」

 山県が弩を携え、しぐれの目前にいた。

「なっ――!」

 しぐれが目を見開いた瞬間、漆黒の弩からこれまた漆黒の矢が発射される。

 しぐれはそれを懸命に回避しようとする。


 しかし、数手、遅い。

 

 漆黒の矢はしぐれの脇腹を貫く。

 ――くらった。

 しぐれがそう感じた瞬間、しぐれは今までの戦いで知り得なかった感覚を味わう。


「ぐぅっ⁉ ぐ、ぅぅ……」

 しぐれが感じたのは、激しい痛み。まるで、鋭い得物に身を引き裂かれ、貫かれたような痛み。

 その苦痛に、しぐれは顔をしかめ、呼吸は定まらなくなる。立ち上がろうとしても脚に力が入らず、膝を折る。


 どうして、としぐれは混乱する。

 ――確かこの競技は、痛みなんてなかったはずだ。そりゃあ、今まで痛みに似た感覚はあったけど、ここまでもなかった。


「あら、あなた、痛いのは初めて?」

 山県がゆっくりとしぐれの前に歩み出て、弩の先をしぐれに向ける。

 その顔に浮かぶは、弱者をいたぶる嗜虐的な笑み。


「ぐ、ぅぅ……」

 しぐれは何か言葉を返そうとするも、声が出ない。それどころか、呼吸すらも未だに満足に出来ていない。


 痛い。痛い。痛い。


 痛みは脇腹から全身へと広がり、しぐれの体から、しぐれの意思が介在する余地を奪っていく。

 動けないしぐれ、その頭に、弩の先は向けられていた。

「……はぁ、ほんと、私がこんな雑魚の相手をさせられるなんて、がっかりもいいところですわ」

 山県がそう吐き捨て、興味の失せた目でしぐれを見下ろす。

「それでは、終わりにしましょうか」

 しぐれを穿つため、矢が射出される。


 ――終わり?

 しぐれの脳裏で、そんな思考が奔る。それは、刹那の間、雷光の如き速度をもっていた。

 そりゃあ、確かに私の試合は捨て試合だ。それは、わかっている。

 けれど。


 これで、終わり?

 それはあまりにもあっけなさ過ぎないか?

 確かに、私は初心者だ。けれど、武道なら今までずっと習っていた。

 それに、天本先輩との特訓はどうなる? このまま負ければ、無意味になってしまうのではなかろうか。

 そんな疑問が浮かんでは消える。

 しぐれの全身から、力が抜ける。


 何よりも気に入らないのは――。


 しぐれの体が崩れ、頭が右斜め前方へと動く。

 それが、功を奏した。

 山県の矢は、しぐれの側頭部を掠め、地面に突き立つ。


 視界の端に映る漆黒の一矢。それが生んだ新たな痛み。

 そして、しぐれを蔑んだ山県の言葉。

 それらが、しぐれの脳を焼く。


 しぐれが、燃えた。


「ぐ、ぉおおおおおおおおおお!」

 しぐれは吼え、倒れた姿勢のまま脚に渾身の力を込める。しぐれは顔を床にこすりつけつつ、前に進む。

 目前には、山県の脚。


 しぐれは思う。

 自分が弱いことも気に入らない。

 それに、この競技が痛い競技だって黙っていた七嵐も気に入らない。

 でも、それよりもっと気に入らないのは。


 しぐれが吼えながら、山県の脚を掴む。

「なっ……!」

 突然のことに山県は驚き、しぐれに弩を向ける。

 しかし、数手、遅い。


「うっらああああああああああああああああああああああああああ!」

 しぐれが雄叫びをあげ、山県の両足を持ち、攫う。足元から崩された山県は、体勢を崩し尻餅をついた。

 しぐれは山県の脚から手を放し、触媒を持ち、炎のみを出現させる。

 しぐれはそのまま――。

 

 鈍い音が響く。

 この場にいる誰もが、唖然としていた。

 烏丸しぐれが、山県真紅の顔面を殴り抜いた。

 長篠設楽原高校の応援席から、悲鳴と怒声が響く。


 一方の、井村谷高校サイド。

「ルール通りだな」

「ルール通りね」

「ルール通りですね」

 三人とも、烏丸しぐれの行動を、冷静にルールに照らし合わせていた。


 しぐれは立ち上がり、山県を見る。山県はぽかんとしていたが、やがて目を鋭くしてしぐれを見る。

「……あなた、何やったかわかってますの?」

 怒気を孕んだその声は、しぐれの鼓膜を揺らすも、しぐれの芯を揺さぶるには至らない。


「……気に入らない。気に入らない……」

 しぐれは俯いたまま、ぶつぶつと呟く。

「気に入らない! なんだこの競技は! なんだ私のこのザマは! なんだあんたの言い草は!」

 しぐれが怒りの声をあげ、炎の剣を現出させ、構える。

 炎が燃えさかり、しぐれを包む。

 炎の帳、その隙間から、しぐれは山県を睨む。


「よくも私を舐めてくれたな。よくも私を射貫いてくれたな。よくも、よくも、よくも」

 しぐれは怒りをあらわにし、歯を剥き出しにしつつ、奥歯を軋ませる。

 しぐれは体を捻り、炎の剣、その柄を自身の顔近くに持ってきて、構えた。


「……あのさあ、前からちょっと思ってたんだけどさあ」

「……どうしたの?」

 井村谷高校サイドの応援席では、七嵐がぽつりと漏らしていた。


「いや、しぐれちゃん、普段はなんていうか温厚だけど、キレたら怖いよなーって」

「……そうね。部活に勧誘してるときも、途中からキレてたもんね」

「だよなあ。……いや、なんていうか、人は見かけによらないというか……」

「というか先輩方、競技の……痛みのことは黙ってたんですか?」

 七嵐と天本の会話を遮るように、アキラが問う。七嵐と天本は、二人揃って首肯した。


「最初に言ったら、入部しなさそうだったし」と七嵐。

「……私は、単純に出力が上がったら、それだけ痛みを感じる能力も高まる……とは言い忘れただけだった」と天本。

「…………そ、そうですか……」

 この人たち、絶対わざと言わなかったな。そう思うアキラであった。


 さて、試合会場に視点を戻す。

「それはこちらの台詞ですわ。よくも三下のくせに私の顔を殴りつけてくださいましたわね。能力的なものではなくて、純粋に物理的な痛みだったのが尚更ムカつきますわ」

 山県はしぐれから距離を取り、そう言って手をあげる。すると、何も無い空間から十人ほどの弓兵たちが姿を現した。


「弓兵、構え」

 弓兵たちが一斉に矢を引き絞る。

「射て!」

 十矢が、しぐれに向かって飛来する。しぐれはそれを見るや否や、炎の剣を横に振り、炎の渦を出現させた。


 炎の渦は、しぐれの精神状態がハイになっていることも合わさり、その威力はかなりのものだ。

 会場内の空気を熱し、歪ませる。それは、気流も同様に。

 山県が発した矢は、気流の変化の影響により、本来の軌道からは外れる。


 山県の攻撃は、一分の隙もないものであった。……本来ならば。

 矢の軌道が変化したことにより、ほんのわずかな間隙が矢と矢の間に生じる。しぐれはそれを見極め、一気に突入する。


「やられたっ!」

 山県が憎々しげに口を歪ませ、自身の弩を構えてしぐれを狙い、放つ。

 突入するしぐれに、その矢は一直線に向かう。無論、それに気づいていないしぐれではない。


 現在、矢はしぐれの腹部をめがけて飛んでいる。人体で一番大きく、狙いやすく、そして避けにくい場所。

「オラァッ!」

 しぐれが雄叫びをあげ、地面を強く蹴り前に飛ぶ。しぐれはきりもみ回転をしながら、山県に向かう。

 しぐれの前方からは、山県の矢。その矢が、しぐれの頬を掠める。しかし、しぐれの身を貫くには至らない。


 矢はしぐれの背後へと飛んでいった。しぐれが、着地する。

 目の前には、山県。

 しぐれが顔をあげる。双方の視線が交差する。


「はぁっ!」

 しぐれが炎の剣を横一文字に振る。炎の衝撃波が、山県を襲う。

「ちっ! 生意気なっ!」

 山県は舌打ちをしつつ、弓兵たちを密集させる。しぐれの衝撃波が弓兵たちを襲い、衝撃波と弓兵は、諸共消滅した。


 山県はその間に、しぐれから距離を取り、体勢を立て直す。

「…………不愉快ですが、認めましょう。あなた、やります。……それなりに、ですが」

「それなり、ですか。それなりから、かなりに変えてあげましょうか」

「それはありませんね」

 しぐれが不敵に笑うと、山県は欠片の表情も垣間見えないような顔をする。


「今度は、本気で狩ります」

「それはどうも。やってみてください」

「……あとで吠え面かいても、しりませんことよ?」


 山県はそう言った直後、手に持った弩から矢を発射する。しぐれがそれを回避すると、山県は距離を詰めた。

「――なっ!」

 しぐれが驚愕で目を見開いた瞬間、しぐれの側頭部に鈍い衝撃。しぐれの意識が白く飛び、床に叩きつけられたショックでしぐれの意識は覚醒する。

 殴られた。前後の情報を分析して、しぐれはそう判断した。


「弓兵だからって、遠距離戦しかできないと見くびらないで欲しいですわね」

「……それは失礼。ですが」

 しぐれは即座に立ち上がり、山県に斬りかかる。

 しぐれの袈裟切りを、山県は後方に飛んで回避した。


「その程度の斬撃なら、まだまだ!」

「なら、これはどうです⁉」

 しぐれは炎の剣を縦に振り、巨大な炎の渦を発生させた。山県はそれを見た瞬間、後方へ、後方へと退避する。

 しぐれの思うつぼであった。


「っだらぁああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 しぐれが叫び、炎の渦の中に、炎の剣ごと自分の腕を突っ込む。

 しぐれはそのまま全身をねじり。

 真横一文字に、切り抜く。

 かつて七嵐を沈めた技。これならば、としぐれは乾坤一擲の一撃を放つ。


 しかし。


「あら、すごい出力ですわね。しかし、当たらなければ」

 山県が、跳んでいた。山県は炎の渦の上方で、しぐれに照準を合わせる。

「意味ありませんわ」

 矢が、放たれた。

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