第四話 サクサク策策 その②

「……はあ」

 トイレの個室で、しぐれはため息を漏らす。

 しぐれは個室内でぽつりと佇んでいた。

 七嵐の策がある。

 七嵐とアキラは、勝つと言ってくれた。

 けれど。


「…………仮に一人が負けたら、私、責任重大だよなあ」

 そう呟き、しぐれは頭を抱え俯く。

 そのとき。


「……それにしても、聞いた? 向こうの作戦」

「うん聞いた聞いた。まさか大将戦に一番弱い子をあててくるなんて……そういうやり方をしてくるなんてね」

 聞き覚えのない、声同士の会話。おそらく、長篠設楽原高校の生徒だろう、としぐれは予測した。


 ……あれ? としぐれは思う。

 作戦が、バレている?

 もうメンバー表を出したのだろうか、としぐれは思う。

 けれど。それにしてはあまりにも早すぎる。


「それにしても、盗聴器が仕掛けられるなんて、相手も思わないだろうね」

 しぐれはその言葉を盗み聞いた瞬間、驚愕で目を見開く。

「あはは、山県キャプテン言ってたよ、『これも作戦のうちです』って」

「まあねー、相手校、偵察とかしてくるし、丁度いいんじゃない?」

 女子生徒たちの、談笑が響く。


 駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ。しぐれは焦燥する。

 一刻も早く、七嵐に作戦の露呈を知らさなければならない。

 このままでは、策を逆手に取られてしまう。

 そうなったら、しぐれたちは、負けるかもしれない。

 しぐれの心中とは裏腹に、長篠設楽原の生徒は、のんびりと雑談するのだった。


                 ○


「せ、せせせせ、せんぱぁい!」

 トイレからダッシュで帰ってきたしぐれは、控え室のドアを勢いよく開く。

「ど、どうした!?」

 突然のことに七嵐が驚き、アキラと天本も目を丸くした。

「そ、その……!」

 しぐれはトイレであった一件を話す。


「な、なにぃ!?」

 七嵐は思わず立ち上がり、そのまま固まる。

「そ、その……メンバー表は……」

 しぐれが恐る恐る尋ねる。

 七嵐も、天本も、アキラも。

 気まずそうに目を逸らすばかりであった。


「あはは、やっべーな(笑)」

 そう軽く言う七嵐であるが、顔には冷や汗が浮かんでいる。

「どどど、どうするんですかぁ!?」

「安心してくれしぐれちゃん。まだ策はある」

「策!?」

 七嵐の言葉に、しぐれは目を輝かせる。


「そ、それは一体、どんな策なんですか……?」

「みんな一人一人が頑張る」

 七嵐は胸を張りつつ、しぐれから目を逸らしつつ言った。


「……うん? えっと、もう一度お願いします」

 しぐれは七嵐の言葉が理解できず、思わず聞き返してしまう。

「頑張る……って策だ」

「…………あ、根性論ですか……」

 しぐれの瞳から、ハイライト表現が失われた瞬間であった。


「安心して」

 しぐれの肩を、アキラが優しく叩く。

 アキラは、続ける。

「誰が相手であろうと、私は必ず勝つから」

 そう力強く言い切るアキラ。その言葉を聞いて、しぐれの目に輝きが戻る。

 しぐれはその目で、七嵐に視線を向ける。


「わ、私?」

 七嵐が自身を指差し、部員全員が首肯する。

「…………えーと、うん、頑張る」

「小学生かあんたは」

 七嵐の意思表明に、天本が嘆息まじりに漏らした。


「せ、せんぱぁい……」

 不安そうな声を出すしぐれに、七嵐がにっこり笑ってみせる。

「大丈夫だ、私もみすみす負ける気はない。それに」

「それに?」

 しぐれがそう尋ねると、七嵐は不敵な笑みを浮かべる。


「……いや、なんでもない」

 七嵐は部屋を見回したあと、お手上げのポーズをして、首を横に振るのだった。


                 ○


「あっははははははははは! 七嵐陽子ぉ! 作戦が外れて残念でしたわねぇ!」

 試合会場に井村屋高校の部員一同が到着するやいなや、山県が高笑いをする。

「くっそー、まさか控え室に盗聴器があるなんてなー。卑怯だぞ!」

「なにが卑怯なものですか! 戦いは始まる前から始まっているのです! まず先鋒はこの主将にして最強! 山県やまがた真紅しんくが出陣します! 長篠設楽原高校最強かつ最上の私が! あなたがたの作戦を逆手に取った上でっ! 木っ端みじんに粉砕してあげますわ!」

 山県は再び高笑い。


「……キャプテン、めっちゃ恨まれてません?」

「いや、気のせいだろ?」

「…………気のせいじゃないと思うんですけど。去年何したんですか?」

「うーん? なんていうか何をしたっていうか、相手が勝手にこっちを見下して、こっちが普通に勝ったから逆恨みされてる、的な?」

「それだけでそんな恨まれます?」

 などと七嵐とアキラが会話していると、山県の声が響く。


「さあ、さあ、さあ! まず一番手の方を、早く!」

「……やる気に満ちあふれてるなあ。……怨恨混じりの」

 アキラが山県を横目で見て、小さく呟く。

「キャプテン、ほんとに、何もしてないんですか?」

 アキラがジト目で七嵐を見据える。

「……何かって言われても……あ。うん、あるわ」

「あるんですか……」

 アキラが嘆息した。

「勝った後に、『プギャー、ワwwwロwwwスwww』って指さして笑ったのが良くなかった気はする」

 七嵐が頭をかきつつ、ぽつりと漏らす。

「……間違いなくそれですね」

 アキラはそれを聞いて、ため息をついた。


「去年あなたに指さして笑われた恨み、ここで晴らしてさしあげますわ!」

「ほら、ああ言ってるじゃないですか」

「いやだって、あいつ高圧的でムカつくじゃん」

「……それは否定しませんけど。でもまあ、これが終わったら謝っておいたほうがいいですよ」

「えーはい、その、善処します」

「政治家じゃないんですから」

 アキラが苦笑する。


「早く! 一番手を!」

「はいはい、わかりましたよー。……さて、こちらの一番手は」

 七嵐はそう言ってゆっくり手を上げてーー。

「一番手は、この……っ、烏丸しぐれちゃんだっ!」

 ばしり、としぐれの背中を叩く。てっきり大将戦に出ると思っていたしぐれは、驚愕と痛みで混乱しつつ、七嵐を見る。

 驚愕しているのは山県も同様であった。


「嘘おっしゃい! あなたたちの一番手は、七嵐陽子のはずでしょう!」

「それはどうかな? メンバー表を見てみろよっ!」

 七嵐が吼える。山県は狼狽しつつ、審判役の部員を呼び、メンバー表を見る。


「そ、そんな……」

「な? 私の言ったとおりになってるはずだろ? 先鋒、烏丸しぐれ。中堅、七嵐陽子、大将、和泉アキラ。以上のメンバーになっているはずだ」

 七嵐がそう言うと、山県は憎々しげな表情を浮かべる。


「は、謀りましたわね!?」

「謀った? なんのことだよ。私たちは、だ」

「ぐ、ぐぬぬ……」

 七嵐が軽薄な笑みを浮かべ、山県は額に青筋を浮かべそうな勢いで憤っている。


「……わかりました。いいでしょう。まず一番手の方、私が血祭りにあげて差し上げます」

 山県はそう静かに言って、試合会場を示す四つのポイント、その中に入る。

「……え、私ですよね、一番手。相手、血祭とか言ってるんですけど」

 しぐれが不安そうな表情を浮かべる。


「ああ、しぐれちゃんが一番手だ。さて、ここで一つアドバイスをしておく。耳を貸してごらん」

「あ、は、はい」

 カチコチに固まったしぐれが、七嵐に顔を寄せる。


「ふっ」

「うひゃあぁ!?」

 しぐれの耳に、七嵐が息を吹きかける。予想外のことに驚いたしぐれは、飛び退いてしまった。


「ななな、何をするんですかっ!」

「あはは、びっくりしてるぅ。……緊張はほぐれたかい?」

「…………あ、それは、はい」

 しぐれがそう返すと、七嵐は満足げな表情を浮かべる。


「なら良し。存分に戦っておいで。安心して、君は決して弱くない」

「…………わかりました!」

 七嵐の言葉に、しぐれは力強く返し、背を向けようとする。


「ああ、待った。最後に一つ」

「……なんですか?」

「相手は遠距離戦が得意だ。それを、頭に入れて」

「わかりました……!」

 しぐれはそう言い残し、今度こそ背を向ける。

 その背中は、まだ未熟ながらも、戦士の片鱗を感じさせるものだった。


「ねえ陽子」

「どうした?」

「……あなた、どこから作戦のうちだったの?」

「去年勝ったときに煽ってから……、っていうのは嘘だけど、さすがに。偵察がバレるのは、策のうちだったよ」

「……やっぱり」

「相手はあの山県率いるチームだ。私たちに対する対抗意識は強い。私たちが偵察を出して、それがバレる。相手はその偵察の意趣返しをしてやろうと思う。だから、今回控え室に案内されたとき、十中八九、なんらかの仕掛けはしてあるだろうな、と」

 天本の質問に、七嵐は口の端をつり上げつつ返す。


「直前まで、それを私たちに黙っていたと」

「よく言うだろ? 敵を騙すなら味方からって。おかげで、相手はよく騙されてくれたよ」

「……あなた、ほんとそういう知恵はよく回るわね」

「まあな。うちみたいな弱小部が勝つためには、私みたいな並の実力者が勝つためには、どうしても、な」

 七嵐はそう言って、試合に向かうしぐれに目を向ける。

「さて、しゃらくさい小手先であれこれする時間はここまでだ。これからは、戦う者の時間。戦って、戦って、戦って、勝つ。退路のない私たちには、それしかできない。だから……頼んだぞ、しぐれちゃん」



「まさか私の相手があなたみたいな一年生だなんて、はぁ」

「……ため息、ですか」

 山県があからさまに落胆した表情を浮かべ、しぐれは多少不愉快な気持ちを覚える。


「そりゃあ、ため息ぐらいつきたくなりますわよ。こんな一年坊主……坊主じゃありませんね。一年少女? まあいいです。倒したところで、なんの誉れにもなりませんし、肩慣らしにもなりません」

「…………へえ」

 しぐれが触媒を握り、炎の剣を現出させる。


「それは、やってみないとわからないですよ? 私、あなたに勝つつもりでいますから」

 先ほどまでしぐれの心中にあった不安は、炎によってかき消えた。

 闘争心の炎。怒りの炎。

 それらが形を取り、しぐれの手に収まっている。


「言うだけなら誰でもできます」

 山県が触媒を握る。すると、山県の手には、漆黒に塗られた弩が持たれた。


「まあ、少しでも私を楽しませてくださいまし」

「そちらこそ。吠え面をかかないよう、気を付けてください」

「……先輩が先輩なら、後輩も後輩で不愉快ですわね。…………潰します」

 二人がそんなやりとりを交わした直後、試合開始のかけ声が響いた。

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