第四話 サクサク策策 その①

「ししし、試合、ですね」

 しぐれがカチコチになりつつ、そう呟く。

「おおう、めっちゃ緊張してるね」

 七嵐が苦笑しつつ、しぐれの背中をばんばんと叩いた。


「あいたっ⁉」

 突然の痛みに、しぐれは驚いた声を出す。

「どう、緊張はほぐれた?」

「た、多少は……」

 しぐれは背中の痛みを感じつつも、それよりも、と目の前にそびえる建物を見て驚愕する。


「え、ここ、ですか?」

 しぐれの目の前には、巨大な体育館が四つ。どれもこれも、外壁が太陽の光を反射して輝いている。

「ここ」七嵐が首肯する。

「うん」アキラも首肯した。


「え、ええ……」

 しぐれは、ふにゃふにゃと力ない声を出す。

「……きょ、強豪校とは聞いてましたけど……。なんていうか、うちとは規模が違いすぎるような……」

「まあねー、こっちは金持ち高校の強豪部だし、うちは金無し高校の弱小部だし」

 七嵐が笑いながら、軽い口調で言う。

「陽子、それあなたが言ってもいいの?」

「いいでしょ、事実だし」

「……呆れた」

 にっと笑ってみせる七嵐に対し、天本は額を押さえてため息をついた。


「わわわ、私じゃ無理ですよ! 天本先輩に変わってくださいよ!」

 しぐれが不安げな声をあげる。天本は微笑を浮かべ、その言葉を聞き流す。

「何を今更。はいはい、行きますよ~」

 七嵐はしぐれの襟元を掴んで、引きずるようにしてつれていく。

「あぁ~~~~~~~~~~」

 しぐれの悲痛とも情けないとも取れる声が、響いて消えていった。


                 ○


「「「「「「「井村谷高校の皆さん、ようこそお越しくださいました」」」」」」」

 体育館に入ったしぐれたちを待っていたのは、ずらりと並んだ長篠設楽原高校の生徒たちによる、歓迎の挨拶だった。

 もっとも、それは歓迎と素直に受け取りにくい物々しさを孕んでいる。


「やあやあ、出迎えありがとう」

 そんな中、七嵐が笑って手を上げる。天本が七嵐の後頭部をぺしりと叩いた。

「…………あら、サr……じゃなくて七嵐さん、ごきげんよう」

 長篠設楽原高校の生徒たち、その中から一人の女子生徒が一歩、ゆったりと出てくる。その所作は優雅そのものであり、しぐれは思わず見とれてしまった。


「ああ、山県じゃないか。ごきげんよう。今回は試合を組んでくれて感謝してるよ」

 七嵐が不敵な笑みを浮かべて、右手を差し出す。

「……去年うちが不本意に敗北した以上、試合の申し出を組まざるを得ない、とわかっていてよく言いますわ」

 山県と呼ばれた生徒が、ひくついた笑みを浮かべて握手を返す。

「……それにしても」

 山県がしぐれたちを見回して言う。


「あのメスゴ……いえ、等々力さんはどうしたのかしら」

「ああ、あいつなら転校したよ」

「はぁ?」

「はぁも何も、事実さ」

 七嵐の言葉に、山県は腕を組み、指先で肘を叩く。

「あの子がいなければ、ここで勝っても……いえ、そんなことよりも大事なのは……」

 山県はぶつぶつと呟き、顔を上げる。


「いいでしょう。誰がいようがいまいが、勝負は勝負。正々堂々、私たちはあなたたちを叩き潰しましょう。去年の汚名、晴らさせていただきますわ」

「ああ、望むところだ。互いにクリーンな戦いをしようじゃないか」

 山県の宣戦布告に、七嵐はにこりと笑って返す。

「クリーン、ねえ……。偵察、してたけど……」

 アキラが複雑な表情を浮かべて漏らすのであった。


                 ○


 しぐれたちは、体育館の控え室に案内された。

「ひ、控え室があるんだ……」

 しぐれは圧倒され、そうぽつりと漏らす。

 部員一同は、七嵐を囲むように、用意されたパイプ椅子に座る。


「さて、今日のオーダーだけど……」

 七嵐がそう言った瞬間、しぐれは(一番弱い自分が先鋒に指名されるのだろうな)と覚悟を決めた。

 しかし。


「先鋒は私、次鋒はアキラちゃん、大将はしぐれちゃんだ」

「ええっ!?」

 七嵐の思いも寄らぬ提案に、しぐれは驚きの声をあげる。驚いているのはアキラも同様で、アキラは声こそあげなかったものの、目を丸くしていた。


「な、なんで私が大将に?」

「どうして私が東大に? みたいな驚き方だね」

「陽子、それ伝わんないから」

「あはは、そうか?」

 七嵐と天本が顔を合わせて笑い合う。


「二人とも、漫才はわかったので、説明をお願いします。このままでは、烏丸さんだけでなく、私も混乱してしまうので。作戦の意図があるならば、キャプテン、説明を」

 アキラが涼やかにそう言うと、七嵐は「真面目だなあ」と苦笑する。


「なに、孫子さ」

「そんし? 孫子って……、なんか、中国の有名な人ですか?」

 しぐれがそう尋ねると、七嵐は首肯する。

「ああそうだ。ジョジョ2部とか読んでたら出てくるだろ?」

 誰でも知っている常識のように話す七嵐。


「じょじょ?」

 ぽつり、と疑問の声を漏らすアキラであった。

「まあ、孫子の詳細はウィキペディアでも調べてくれ。孫子の物語に競馬の話があってな。二人の王が競馬対決をすることになった。

 二人の王の馬はそれぞれ三頭。力量は、一番速い馬、二番目に速い馬、三番目に速い馬と差があり、それぞれの王の馬は互角。故に、勝負は時の運。

 それぞれの馬は一度しか走ることができず、三回勝負の勝敗数で決着をつける。普通なら、遅い順番に馬を走らせる。

 さて、そこで王は孫子に、勝つ方法を尋ねるわけだ」

 滔々と語る七嵐に、しぐれとアキラはふむふむ、と聞き入る。


「そこで、孫子は王に策を授ける。

 王の二番目に速い馬を一番目に、一番速い馬を二番目に、三番目に速い馬を最後に走らせる。

 こうすることで、二勝を稼げる、というわけだ。それが、今回実行した策なのさ」

「……なるほど、要するに、一試合捨てて、他の二試合は相手より格上を当てる……ということですか。少し釈然としませんが、廃部がかかってますし」

 アキラがそう言う。


「どうも、アキラちゃん。しぐれちゃんはそれでいいかい?」

 突如指名されたしぐれは、目を一度ぱちくりとさせたあと、こくりと首肯する。

「えっと、それで……大丈夫です。廃部、かかってますし。……私としては、二人が勝ってくれたら、プレッシャーが軽くなりますし」

 しぐれはそう言って、一度息を吸う。


「その、二人とも……必ず、勝ってください。私、さすがに大将戦は無理だと思うので」

「ああ、安心してくれ。必ず勝つ」

「……うん、大丈夫。だから烏丸さんは安心して」

 しぐれの不安そうな声をかき消すように、二人の力強い声が返ってくるのであった。

 しぐれは二人の声を聞いて、安堵する。それと同時に。


「……その、トイレ、行って来ていいですか?」

「緊張した?」

 七嵐のその言葉に、しぐれはこくりと首肯して返す。

「なら仕方ないね。トイレにいっといとい……」

「陽子」

「……なんでしょうか」

 七嵐の下らないギャグの気配を察知した天本が、鋭い視線を送る。


「何か言うことは?」

「……申し訳ありませんでした」

「よろしい」

 七嵐と天本の即興漫才を見て、しぐれは口元をほころばせる。それと同時に、少し緊張が軽くなっているのに気づきつつ、しぐれは控え室を出た。

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