もう会えぬ友

「あっ、パパ大丈夫? おばあちゃんの踵がかなり良い感じで決まって大分気絶してたんだよ」

 過去の夢から覚めた俺を悠が覗き込んでいる。その後ろでは心配しながらも未だにお互いの距離感が掴めていない鳴海がもじもじしている。

 母さんに背を押された事で傍に来て俺の手を取った。

「父様大丈夫ですか? お婆様にやられた時大分大きな音がしましたが……」

「あぁ、確かに頭は痛いしデカいこぶが出来てるな……加減しやがれ鬼婆め」

 頭に触れると明らかな腫れがあってズキズキと痛んだ。

「聞こえてるよ。もう一発いっとく?」

「俺を天国に送る気か!」

「何言ってんの鬼のくせして、娘たちを百年もほったらかしにしておいて天国なんて行けるわけないでしょうが。それに、良いところに行ってたんじゃないの? 結構寝言が出てたよ」

「……母さん、俺……友達が居た」

 そんな俺の報告を聞いた母さんは可笑しそうに笑った。


「あんた百年前にもそんな感じで友達出来たの報告してきたね。勉強も見てもらったりして、学校行き始めてそんなに経たない内から成績上がったって聞かされて驚いたものよ。大切な記憶もの少しは取り戻せたの?」

「まだ全然だと思うけど、それでも新しい生活に期待してた事は思い出したよ」

 それと同時にどうやってももうみんなに礼を言う事も出来ないのだと思い知る。俺の言葉はもう彼らには届かない……そんな寂しさが胸の内に渦巻いている。昔の俺は彼らにちゃんと伝えられていただろうか? 他人を嫌って怖がって避けていた俺の心を動かしてくれた感謝を、俺もそんな風にありたいと思ったことを。

「ほらほら、起きたならご飯。そんでもう一回手合わせだからね」

 それを聞いた俺は感じていた寂しさを忘れて顔をしかめるのだった。


「さぁおにぃ食べて食べて」

 和巴が作ったという汁物の入ったお椀を手に固まってしまう。和巴の料理……嫌な予感しかしないんだが……味に関しては朧気だが神楽たちの飯は美味かったよなぁ。

 それに比べてこの怪しさ満点の汁物…………。

「隠し味は?」

「それは勿論おにぃを想っての愛」

「父様、警戒せずとも普通の味ですよ」

「そうそう、いくら和巴が変態でもみんなが口にする物に余計な事はしないでしょ」

 鳴海と母さんは普通に啜っているが……裏を返せば俺しか食べない物には確実に何かすると言ってるようなものなんだが……百年も一緒に居て矯正出来なかったのか?


「これ誰が注いだ?」

「和巴ちゃんだけど――」

 やっぱり和巴か……余計に怪しさが増した。どうしたものかと視線を彷徨わせて逡巡する。

 ふと台所にあるペットボトルが目に入った。ラベルはなく薄く濁った液体で満たされている。

「和巴、そこのラベルの無いペットボトルはなんだ?」

「これは……特濃和巴エキス――」

 俺以外が全員吹いた。

「うぇ……汚い。なんでみんな俺に向けて吹くんだよ」

「何やってんの変態娘! 町のみんなが一生懸命に作った食料を無駄にするんじゃない!」

 鉄拳制裁とはまさにこの事、百年前なら虐待とかDVで問題になる勢いで拳が振るわれた。

 しかし和巴は不敵な笑みを浮かべてその拳を人差し指で止めて見せた。


「甘いよ伯母ちゃん、私だってこのくらい――」

 勝ち誇った和巴の右から悠の拳が炸裂した。

「パパに変なもの食べさせないで!」

「あのねぇ! 人が一生懸命作った物を変なもの呼ばわりって一体どんな教育受けて……なぁんて、親居なかったわね。何を勘違いしたのか知らないけどこれは私が色んな物から取った出汁よ」

「自分から取ったとかいうオチじゃないだろうな?」

 悠の生い立ちをからかう風な言動にイラつきながらやりかねない事を突っ込んでやった。

「おにぃが望むならいつでも作るよ!」

 頬を染めて前のめりに迫る和巴を押し退ける。悠と和巴の睨み合いが続く中、立ち上がった鳴海がペットボトルを手に取り匂いを嗅いでいる。

「悠、和巴さんの言ってるのは本当だ。この液体からは良い匂いしかしない。妙な物は入っていない」

「紛らわしいのよあんたは!」

 結局左からも鉄拳が決まった。

「酷いよ伯母ちゃん~。私が作った特別感を出したいいネーミングだったのに」

 特別感はあった。今までで一番危険を感じる特別感だが。


「そう、悠ちゃんはそういう能力ちからなのね。悠ちゃんを頼ってる人も多いだろうし一緒に暮らすのは難しそうねぇ」

 悠の今までの暮らしを聞いて母さんは悩ましげにため息を吐いた。

「母さん達の権能ってどの程度まで寄せ付けないんだ?」

「私と和巴が一定範囲に一緒に居れば全く、雑魚は単体だとしても近付くのはかなりしんどいみたいね。おかげでこんな世の中になっても鬼護は一度も鬼堕ちに依る被害を出していない。その代わり危険な鬼が居るって事で鬼護は他の生きてる町から存在を抹消されてるらしいけどね」

「そりゃまたなんで? 安全に暮らせるんだろ?」

 寧ろ安全地帯として移住者が増えるくらいじゃないのか?


「鬼は敵、悪の存在、それが世界の常識。鬼にも良いのが居るかもしれない――そんな油断は許されない。道具として使役するか即刻排除か、それが今の世の中なのよ。そうなる事をいち早く察知した神奈ちゃんが鬼護には触れるなと退魔師の会合や生き残ってる町々の統治者に警告を出したのよ。それに尾ひれが付いて危険地帯として認識されてるらしいわ」

「鬼が敵って……敵は鬼堕ちだろ? 普通の鬼は関係ないじゃんか」

「鬼堕ちに喰われ、住む場所を奪われて、嬲られ玩具にされた人間たちに鬼堕ちと妖としての鬼の区別がつくと思う? そんなのがもう九十五年、それだけの時間をいがみ合い、憎み殺し合ってきた。自分たちの食糧と玩具の確保の為に人間牧場なんてものを作る鬼堕ちの群れまで居るって聞くし、そういう恐怖と戦っている人間側からしたら鬼と付くものは皆敵なのよ。従順に従わせる事の出来る己の式以外は全てね」

 考え方が甘いと鼻の頭を弾かれた。

 九十五年絶えることなく続いている憎しみと怨みか……俺には想像もつかない。だから、ガキっぽくても何もしていない者が割を食うのは納得がいかないんだ。


「……そうだ、憎まれてるで思い出した。なんか神崎家の子孫にめちゃくちゃ怨まれてたんだけど母さんは何か知らないか? 神崎――り、理央が死ぬまでは交流があったんだろう?」

「そうねぇ……とりあえず、お父さんは相当に怒ってたね。大切な娘と子供作っておいて放置なんて許せる事じゃないでしょうし――」

 それは……そうだろうな。そこは当然の事として受け入れないといけないが、もしかしてそれが子々孫々と継がれて来たのか? 神崎を穢したってのはやっぱり致してしまった事について言ってたのか?


「でもでも、おじいちゃん私が産まれたの喜んでくれたって聞いたよ! 優しかったし……ママが笑っていられるからパパの事もう怒ってないって言ってたもん! ママがパパの事本当に好きなの分かってるって笑ってたよ。だからそういう事じゃないよ」

 悠は必死に自分の知る限りの祖父の話を語って聞かせてくれた。

 やはり夢で見たそのままに娘を溺愛する親バカな優しいお父さんだったようだ。心の内までは分からないが悠に接する時に俺を悪く言う事は一度もなかったそうだ。


「おにぃさっきからふらふらしてるよ? 大丈夫?」

「過去を見るようになってからやたらと眠いんだよな」

 過去の方が俺を呼んでいるのかもしれない。

「父様本当に辛そうですよ。頭に食らったのが打ち所が悪かったんじゃないですか? ……父様、よかったら自分の血を飲んでください。少しは回復が早まります」

 そう言って包丁を自分の腕に押し付けようとした鳴海を寸前で止めた。

「何やってるんだ!」

「い、いえ、父様に血を、と」

「俺は血なんか飲まない。娘の血だっていうなら尚更だ。もう二度とするな」

 誰かの血を啜るという行為を俺は嫌悪した。それをしてしまったら……それをしてしまったら本当に全部化け物になってしまう気がしたんだ。


「ですが……鬼墜ちや鬼子は霊力妖力問わず力が強い者の血の摂取で力が活性化して肉体の再生が早まります。父様がいくら特種の鬼人だとしても鬼姫のお婆様の一撃は簡単に回復しないかもしれません。下手をすれば後遺症が出てしまうかもしれないと、だから自分の血を飲んでください」

「はいはい落ち着きな娘二号、ここはこの和巴さんに任せなって。おにぃは今弱っている、ならもう一回気絶させて口移しで飲ませればいいじゃ~ん――懐かしのおにぃとのちゅ~!」

 飛び付く変態をあっさり躱せた事で油断していた。和巴だって母さんと同質の存在なのに――即座に背後から追撃をもらった。

「おやすみおにぃ……夢、見れるといいね」

 そう笑った和巴切なげで、見ていられないくらい辛そうな笑顔だった。


 献身的な協力を得て俺は驚くほど早く遅れを取り戻しつつある。しかし中間までは時間がない、だから範囲に関連する部分に絞って重点的に説明を受ける。彼女たちは部活をしているがそれをサボってまで俺の勉強を見てくれている。

 申し訳なさが先に立つが別の思いもある。ここまでやってもらったのだ、平均点は取りたい。三年もサボっていて何を言っているんだと思われるかもしれないが、結果を出す事こそが礼としてはいいんじゃないかと思う。


 丁寧な解説入りのノートを参考に復習を繰り返す。

「みんなが協力してくれたんだ。結果を出さないわけにいかないだろ」

 テスト週間までの間起きている時間は全て勉強に費やした。家では神崎が遅くまで付き合ってくれた。もし結果が出せたら、俺はこれだけ頑張ったって言えたなら母さんも少しは元気が出るかもしれない。病は気から――勿論気持ちだけではどうにもならない。それでも無意味ではないはずだ。

 だから、俺は変わっていくってのをちゃんと結果として見せる。


 斯くしてテスト週間へと突入した。

 完治はしてないがそこそこ右手も動かせるようになってきたので利き手で分かる所から埋めていく。

 結果から言えば、ほぼ埋めた。神楽や奏たちが予想したような問題が多く意外とすらすら解けたのだ。

 しかしまぁ……あいつらどうなってるんだ? 成績良いからってここまでテストに似た問題を練習させるとは…………。


 最後のテストが終わりクラスの雰囲気は開放的になり放課後の予定を相談している者も多い。

「どうでしたか?」

「九割は埋めたし大丈夫……なはず……だといいなぁ……」

「尻すぼみじゃない、なっさけないわねぇ。あたし達が見てあげたんだから大丈夫に決まってるでしょ! 問題の形だって大体予想した通りだったでしょ?」

「そうそれ! なんであんなぴったりに予想できるんだ?」

「そりゃ天才だからよ」

 散々教えられてるだけになんも言えねぇ。

 だって授業部分の解説も先生より分かりやすいんだもの。


「やっぱ奏ちゃん達ってすげぇんだな」

「あはは……違いますよ、先生たちが去年作ったテストを先輩たちに見せてもらってそこから予想したんですよ」

 謙志が感心する奏の威張りっぷりに響が苦笑いしてタネを明かしたがそれでも十分凄いと思うんだが。

「それでもやっぱり凄いよ、教えてもらってて凄く分かりやすかったし……ありがとう」

 頭を下げると意外だったのか奏は頬を染めてそっぽを向いた。


「ま、まぁこのくらいはね。神楽と神奈なんてもう三年の範囲まで終わってるとか言ってるんだから負けてらんないのよ」

 神楽を見る俺の顔はどうなっているだろう? 恐らく驚きで引き攣っているだろう。三年も遅れていた俺からしたら既に高等部の範囲が終わっているという事実は信じがたいものだ。

 それだけ勉強して家事もして神社の手伝いもして部活までしている。

 時間の使い方どうなってんだ……もしかしなくても俺の勉強見てくれていた時間って貴重な自由時間だったんじゃないのか?


「神楽、神奈も、なんかごめん……」

「何をいきなり謝っているのかしら……たまに発情した目で私の胸を見ていた事なら許してあげるわ。男ってそういうものだものね?」

 見透かした上でわざとからかうように腕を組み膨らみを揺すっている。


「み、見てないよ!?」

 時既に遅し、奏と神崎がゴミを見る目ですよ! 神崎が特に酷い。トラウマになりそうな目をしてぶつぶつ言っててホント怖い!

「あら、本当に見ていないのかしら? こう、軽く揺れる度に視線が動いていた気がしたのだけれど?」

 どうにも神楽には相手をいじめて楽しむ部分があるようだ。机に手を突き軽く前屈みになった際に、女子の多いこの学校でも目立つ程の大きさの膨らみが誘惑するように弾む。

 悲しい性だ。

 猫が目の前の不思議なものから目が離せないように、駄目だと思っていても柔らかそうに弾む膨らみに目が行ってしまった。

 結果、案の定というか……奏から見てんじゃないわよ! とアッパーを貰った。女の子とはいえ運動部に所属する運動神経抜群の娘の一撃は効いた。

「はぁ~あ、航が巨乳好きとはねぇ…………」

 何故か奏は自身の胸に手を当てて深くため息を吐くのだった。


「巨乳が好きというか……この前の巫女さんが気になってるというか」

「あぁ、それでよく神楽と神奈を見ていたんですね。そんなに似てたんですか?」

 響は興味を引かれたようで詳細を確かめてくる。

「いや眠かったから詳しくは覚えてないんだけど、性格は全然違うと思うけど……なにか、根っこが同じというか……凄くあたたかくて安らげる、気がする―― 」

「ぷっ、あっははははははははははっ! あんたもう最高! 神楽の上から目線な態度を知って、神奈の無表情で口数も少なくて絡みづらいのも知って、それでも二人をあたたかいって、安らげるって……ああもうあたしあんた大好き!」

 突然の抱擁に思考停止する俺、そして残っていた僅かなクラスメイトは騒ぎ始める。

 理由はよく分からない、それでも奏のこの大好きって言葉は幼馴染以外の友人に贈る最高レベルの言葉ではないかと思った。

 当の神楽と神奈はといえば、神奈は相変わらずの無表情だが神楽はなんとも言えない表情になっている。嫌がってるとかそういうのではないと思うが釈然としないといった感じだろうか?


 テストからの解放感を感じる暇もなく真っ直ぐに帰宅して遅れている部分の勉強を始める。みんなのおかげで一人でも多少マシに進められるようになった。俺一人では未だに躓いて遅れを更に広げていた事だろう。

 響を助けて、神崎を助けて、面倒に首を突っ込んだと思っていたのにいつの間にか世話になりっぱなしだ。


 軽いノックの音、返事を待たずに開く扉――いつものだ。

「お、お風呂の時間です。父さんが帰ってくる前に済ませますよ」

「いや……もういいよ神崎、右手も大分動くしさ。神崎だっていつまでもこんなの嫌だろう?」

「駄目です。悪化したらどうするんですか!」

「いや病院の先生ももう少しで治るだろうって――」

「治りかけが一番危ないんです。油断して調子に乗って悪化とかあるんですから完治するまで大人しくしててください」

 有無を言わさず風呂場へと連行される俺、連行しているのが小さなクラスメイトだというのだからなんとも……この習慣もそろそろ終わりなんだよな――寂しくないぞ、俺はロリコンではない。


 手早く洗われて湯船に浸かる。洗われる猫ってこんな気持ちだろうか?

「何で日和さんこんなの許したんだろう?」

 いくら男嫌いが心配だからって一緒に風呂に入らせるか? 別にいやらしい事が目的な訳ではなく介助目的だが――。

「私が男の子の世話をしてるから面白がってるだけですよ」

「ふ~ん?」

 神崎の妙に動じないところって日和さん譲りなんだろうなと慣れた様子で俺の前で髪を洗う彼女を見て思った。別にじっくり見ている訳じゃないぞ?


 翌日、テスト返却を前に緊張して教室へと足を踏み入れる。あれだけ手伝ってもらって平均点も取れてなかったらどうしよう――。

「航おはよ――ってどうした? ガチガチじゃん」

「おはよう謙志……別に普通だ」

 席に着き突っ伏す。大丈夫、大丈夫なはずだ。先生よりも先生らしい神楽たちに見てもらったし人生で初めてって程にぶっ続けで勉強した。

 母さんにも良い報告が出来るはずだ。


「よーし席に着けー、今日はちょっとしたお知らせがある。本来は今年の入学に合わせて引っ越してくるはずだったがご両親の仕事の都合で二月延びて今日からうちのクラスの仲間になる人が居ます」

 教室内はざわつき、今日返却のテストの心配をする者など皆無になった。

 すぐに質問が飛び交う。男子か女子か、イケメンか可愛いか、部活はしているのか等、本人も登場しない内から転校生の話題で盛り上がっている。

 うちのクラスは共学化を受け入れている女子が多いせいかイケメン男子であれと願っている者が多い。

「よしよし、お前たちの気持ちはよく分かった。それじゃあ玖島、入りなさい――」

 玖島? 昔そんな名字の友達が居たような?


 戸が開き教室内に足を踏み入れた生徒を見て女子たちが息を呑む。それほどに整った顔立ち、高等部一年とは思えない高身長、まさに要望通りのイケメン。

 しかしどこかで見たような? そう、俺の初めての友人も玖島という名前で――。

「じゃあ自己紹介してくれ」

「はい、親の都合で遅れましたが今年からこの学校にお世話になる玖島天明と――」

「あああああああああああああっ!?」

 転校生の自己紹介を遮り驚きのあまり叫びだした。叫ばずにはいられまい、俺はあいつと出会った土地から引っ越して今は更に離れた他県だ。

 普通再会なんて想像もしない、なのに――。

「あああああああああああああっ!?」

 今度はあいつが叫ぶ番だった。

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鬼狩り 一条光 @Vanshia

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