十年前、田中桃子は目を覚ました。隣で涙を流していた日比野は、それに気づくと、路上で横たわる田中に駆け寄った。

「桃子ちゃん?」

 桃子は、少し首をかしげると、すぐに立ち上がる。

「あれ……わたし、寝てた……?」


 日比野は、車の中で考えた。

 ニャルラトが詩と会った時点で、もうどうとでもなる事態だ。

 自分も、覚悟を決めなければならないッ。

「……相木、どうかしたか?」

 暗い声で、日向太陽が相木の名前を呼ぶ。

「いや、何でもない、太陽兄ちゃんッ」

 日向夜見は、気になることを聞いた。あたりの街灯の光が薄暗い。

「その……太陽にいは、『その人と』どういう関係なの?」

「……すまん。少し複雑だから、あとで説明するッ。でも、……こいつは『信用できる』やつだから、信じてやってくれ。大変なことが起ころうとしてるみたいなんだ」

「それって、僕ら能力者にとってのこと?」

「そうでもあるし、そうでもないんだとかッ」

 車が、少しづつスピードを上げて、廃工場の取り壊し予定地に向かう。


「俺次第って……どういうことだよッ!?」

 詩は、狂言を使う準備をしながら、警戒してニャルラトを睨みつける。

「僕は、新世界の黎明を目的としているんだ。ちょっとしたお遊びだね。でもでもー、それには詩君。日向姉弟。田中桃子の能力を、暴走させることが必要になってきたってわけッ。それで、君にはなんとかして『この神である僕』に協力してほしいんだ」

 すると、赤兎が詩に駆け寄る。

「……ダメだッ! 詩、私のことはいいからッ、この女に協力してはならん!」

「……ッ!?」

「いいか、詩。この女は自分のことを『神』と言っているが、その真偽は定かではないッ。ただ、言えることは『この女の計画に関しては、詩の協力がなければ成り立たない』と言うことなんだ! 詩がいなくてもいいのだったら、ハルサキを拷問なんてしていない! 他の日向姉弟も田中桃子とやらも、ここまでして探さない!」

 赤兎が詩の肩を掴んで早口で言うと、ニャルラトは、ゆっくりと右腕を上げる。

「ピンポンピンポーン! うさぎちゃん大正解! この神である僕も、計画に人間が必要になるときが来たのでーす!」

「だから、詩! お前は絶対に……」

「ちょっと黙ってね」

 そう言うと、ニャルラトは右腕から札を出して、赤兎の左腕に飛ばした。

 ジュウッ! ゴリッ。


 音がした。


「がッ!?」

 赤兎の左腕から鮮血のようなものがあふれ出た。二の腕がぐちゃぐちゃになり、骨が削れるような音が響く。

「あッ! あああああああああああああだあああああああがああがががああああああッ!」

 腕を押さえてのたうち回る赤兎。

「あーッはっはっはっはっはッ! あーかい兎は何見て跳ねるゥッ!」

 ニャルラトが凶悪な笑みを浮かべる中、詩は必死に赤兎に駆け寄るが、赤兎はじたばたともがいて痙攣する。

「いくら妖怪でも不死身ってわけじゃない。妖術を使われれば傷つくし、場合によっちゃ死んじゃうよね!」

 詩は悟った。

 

 こいつには勝てない。


 絶望だった。思考を絶望が支配し、すべての負の感情がぐるぐると渦巻く。

 詩は、ニャルラトの要求を承諾することにした。

「わ、分かった! 連れて来ればいいんだろ! だから赤兎は! 赤兎は助けてくれ!」

「う、う……た……!」

 赤兎は、ガクガクと震えながらもがく。

「了解了解! じゃ、契約は成立だね。うさぎちゃんは、ちゃんとたすけてあげるよん!」

 もう、詩には赤兎しかいなかった。

 それを失うわけにはいかなかった。

 すると、廃工場に入ってくる一台の車。そのライトがニャルラトたちを照らす。

 車から走って降りてくる一人の少年。

 叫び声。


「さああああああせええええええるかああああああああああああッ!」

 突如、詩の意識が飛ぶ。そしてまた再生する。痛みとともに。

 顔面に強い衝撃を与えられた詩は、吹っ飛ばされた体勢のまま、工場の柵に激突した。

 日比野相木の周りを浮遊する。大気圧の塊。空気でできた拳。

「させないッ! ニャルラトホテプッ! っ絶対にさせないぞおおおおおおッ!」

 そのまま気流に乗って日比野は詩に、強烈な打撃を叩き込む。

(殺さなければ! 田中を守るためには、こいつの協力を削げばいいッ! 殺す殺す殺す殺す殺さないと殺さないと殺さないと田中桃子が死ぬ! 絶対に絶対に殴り殺してうぉおおおおおおおおおおおおおおおおッ!)

 しかし、金属音がして、何かに打撃が阻まれた。

 血だらけになった詩が、呟いた。

「ハル……サキ……?」

「させないッ!」

 長い鎖を引きずりながら、ハルサキは義弟を守るために正気を取り戻した。

 涙を流して、血だらけになって。

 指が欠けた右手を日比野に突き出す。

「弟を殴るなんて、……させないッ!」

 次の瞬間。轟音が鳴り響いて、日比野は吹っ飛ばされる。

 巨大な力だった。見えない力に吹っ飛ばされて、日比野の大気圧のこぶしは、詩に届かなかった。


 日向姉弟だ。


 二人はお互いの手をつないで、能力を発動していた。


「日比野さん! 事情を説明してください! 殺すのはダメです!」

「殺さないと! 殺さないと田中桃子が死ぬんだああああああッ!」

「落ち着いてッ!」

 ニャルラトは、ニヤッといじらしく笑った。

「……kweidhaofnbp ncuenmoendie8888 cbuyqiozqpwpchieo.;@:;@@w,xoiiqw:nur9eq@nyiorvueiqonvrie:wqunvyroewq:iovprnuewq:vnruiepqivruieowq:iuvrneiwqovrieuwqio@vrieunq……」

 ニャルラトが意味不明な言葉を唱え始める。そして最後にこう付け加えた。

qwsuaismei暴走

 突如日向姉弟の周りが光に包まれる。


 そのまま日向兄弟たちは驚きの表情を浮かべながら、強烈な竜巻の中に引きづりこまれる。


「にゃろォ! 姉弟に何しやがるゥうううううううっ!」

 太陽は、ニャルラトに襲い掛かるも、見えない壁に塞がれる。

 

 詩は、横のハルサキを見た。

 ……死んでいた。

 最後に正気を取り戻して。安らかな表情で。

 

「あ……あ……」

 声が出なかった。

 ずっと探し続けた。

 ずっと思い続けた。

 結末は。

 死別。


 そして、詩の中で何かがプツンと切れた感覚がした。

 そして、直感的に感じ取った。

 『赤兎も死んだ』。


 ふと、横の赤兎がいたはずの床を見る。

 赤兎の陰が薄くなっていた。

 赤兎自体も透けているように見える。


「あ、……。ウああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」

 詩は……正気を保つことなどできなかった。

 泣き叫びながら、地面に突っ伏す。

 人間性を取り戻しかけたときに。

 大事なものを二つ失い。

 自我は崩壊した。

 すると、ニャルラトは、詩を冷たい眼で見据えると、こう言い放った。

「あーあ。強迫材料が無くなっちゃったな……。もう使えないか……はぁあ」

 ため息をつくと、ニャルラトは詩を蹴り上げる。

「お疲れさん」

 ニャルラトが呟いたときに詩は。

 血まみれになって工場で転がっていた。

 ハルサキと一緒になって。


 夜が明ける。

 

 その翌日。花咲町では、異常気象によって竜巻が発生したというニュースが出た。その竜巻の影響で、廃工場で火災、倒壊が起きる。

 死亡したのは二人の男女。身元はまだ判明していない。


「……」

 日比野は、考える。病室で思考する。

(花の日が起こる条件は。ニャルラト。意思を持つ石。トリガーとなる能力者。……とにかく、石を破壊するか、能力者がトリガーにならないようにするか……)

 そう。この二つに一つだ。

 この広い花咲町から石を見つけ出すのは困難。

 能力者がトリガーにならないようにするのも困難だ。

 今回の一件で詩は死んだ。しかし、それはトリガーの決定を少し遅らせただけにすぎない。

(チクショウッ……)

 日向姉弟は、別の病室で寝ている。


 ニャルラトは、新世界と言っていた。

 なにがおこってもおかしくはない。


 しかし、日比野はまた眠りの底に落ちていった。


 続く。

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トリカブト【物リン】 玲門啓介 @k-sukelemon

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