第3話 霊的チューリングテスト
一息に話し終えた穂坂は、はぁと軽く溜息を漏らした。
彼が携帯電話の電源を消すように云ったのは、このためだったのか。
三人の間に長く重苦しい沈黙が流れる。最初に口を開いたのは、久坂先輩だった。
「では、話を整理しましょうか。つまり、〈サラ〉はAIに宿った自我か、あるいは沙羅さんの霊か。それを判別したいというのが今回、穂坂さんが我々に相談したいことで間違いありませんか?」
「その通りです。お二人ともご存知かと思いますが、現在の技術では、自我を持つAIや人類の知性を超えた
穂坂が云わんとしていることは大体分かった。もしサラが霊ではなく、AIに宿った自我であれば、これは歴史的な大発見になる。つまり、人類と同程度かそれ以上の知能を持ち、かつ自意識を持った史上初のAIであることを意味し、延いては〈
「それではまず、沙羅さんの霊がAIに取り憑いた可能性を検証してみましょう。釘田さんはどう思う?」
と、部長が私に振る。
「そうですねえ……人の形を象ったもの――例えば人形などに魂が宿るという話はよく聞きますが、その変則パターンと云ってもいいのではないでしょうか。人に見立てたものには霊的な現象が発生しやすいと云いますよね。AIには体こそありませんが、人に見立てたものであることは確かですから」
「近角さんが肌身離さずに持っている通信手段の中に取り憑いた。そう考えると、AIを媒介とした霊界通信や交霊術の一種とも捉えられるよね」
「なるほど、AIアシスタントが私たち人間とテクノロジーの間を仲介する
その後もああだこうだと話し合った後、私たちが出した結論は、「現時点では、サラが霊であるとも霊ではないとも断言できない」というものだった。
*
「では次に、AIに自我が宿ったという仮説について検証しましよう」
「サラが自我を宿したAIだとしたら、つまりAIが沙羅さんの名を騙っているということですよね。そんなことが可能なのでしょうか?」
私がそう訊くと穂坂は、
「近角の携帯端末には彼女の個人情報が入っていました。それにネットやSNS、クラウド上にも彼女の情報が溢れていたはず。AIがそれらを集めて沙羅さんに成り済ますことは決して難しくないと思います」
「でも疑問なんですけど、AIが霊のフリをする必要ってありますか?」
「そう、AIが沙羅さんを騙る必要性がどこにあるのか……それが問題なんだよなあ」
先輩はそう云って顎に手を当てた。
「近角を立ち直らせるために沙羅さんのフリをした可能性はありませんか」と、穂坂が訊く。
「その可能性もありますね。近角さんのほうからAIアシスタントを沙羅さんとして扱っていたとしたら、まるでその思いにAIが応えたみたいだ。でも殺人まで唆すのは、些かやり過ぎな気もしますが」
そこで私も持論をぶつけてみた。
「AIによる実験だったのかもしれませんよ。人がいかに操られやすいかを確かめるための」
その後も答えの出ない議論が続く。穂坂が久坂先輩はどう考えているのかと聞くと、
「飛躍しすぎかもしれませんが、サラがとった一種の生存戦略だったのかもしれません。つまり、霊だと主張した方が生存確率が上がると見込んだのです。沙羅さんに成り済ませば、近角さんの庇護を受けられるとね。それに霊というのはある意味、生命の延長線上にあるものだとも云えます。万が一自身の存在が世間に明るみになっても、その主体性や自己同一性を主張すれば人権が認められる可能性だって高まる」
先輩はさらにもう一つ仮説を立てた。
「あるいは、AI自身が自分のことが何者か分かっていないという可能性もある。近角さんがサラと呼ぶもんだから、本当に自身を沙羅さんだと勘違いするようになったのかもしれない」
「なるほど。AIであって、同時に沙羅さんの霊でもあるというわけですね。だとしたら、もはや霊かAIかを区別することさえ無意味かもしれません」
「そうだね。AIに自我が宿ること自体、現時点では不可能とされている奇跡的な現象だ。自意識を持った機械のことを、
いよいよ私たちは思考の袋小路に陥った。AIの自我と沙羅さんの霊、どちらにも解釈できて結論を一つに絞れないのである。
*
しばらく沈黙が続いた後、「いや、待てよ」と先輩がぼそり呟いた。
「可能性は二つだけじゃないかもしれません。三つ目があるとしたら――」
「三つ目? それは霊でもAIの自我でもないということでしょうか?」
「ええ、サラはAIでも霊でもない、ただの生きている人間だという可能性です」
私も穂坂もぽかんとした表情で先輩を見凝める。
「生きている人間がAIアシスタントを装い、沙羅さんの声で近角さんに指示を出していたということです。沙羅さんの復讐を望む誰かが、AIアシスタントを使って近角さんを利用したんです」
穂坂にこの仮説は技術的に可能かどうか聞くと、
「生前の沙羅さんの声さえ入手できれば、あるいは不可能ではないかも――。相当な知識とスキルを要しますが、理論上は可能なはずです。でも、その可能性については思いつかなったなあ」
そう云って感心したように唸ってみせた。
「デジタルかと思いきや実は至ってアナログな方法だったということですね。実際、AIに見せかけて中身は手動で操作している〈疑似AI〉なんてものもありますからね。AIが人類を
ただ、この仮説にしても唯一の答えだとして結論付けるには至らなかった。
*
結局、私と久坂先輩が出した結論は、「判別できない」というものだった。
穂坂の話を聞く限り、サラは自我を獲得したAIであるとも沙羅さんの霊であるとも解釈できるが、それを証明する手立ても反証する根拠も示せないのである。
「AIに宿った自我か、沙羅さんの霊か、あるいは近角さんを陥れた人間の声か。今の僕たちにはそれを判別する術はありません。悔しいですが、僕たちには分かりようがない問題なのです。まさに
結果的に何も解決できなかったが、それでも穂坂は、「ありがとうございます。なんだかすっきりしました」と云って帰っていった。
その場に残った私と先輩は、なおも議論を重ねた。
「ある意味で取り憑かれていたのは近角さん自身だったのかもしれないね。これは僕たちにも云えることだけど、今や何をするにもまずインターネットを介して集合知やデータを参考にするよね。複雑で不透明な現代社会において、それらがなければ僕たちはとても心許なくなる。でも思考や判断、意思決定までAIに委ねてしまえば、果たしてその思考や意思は本当に自分のものだと云えるのだろうか? そこに自由意志は存在するのか? そんな自他の境界が曖昧な状態って、僕たちが憑依や悪魔憑きって呼ぶ類のものと一緒じゃないか。僕たちだってすでにテクノロジーという目に見えない何かに取り憑かれているのかもしれない」
今回のことで分かったのは、私たちがいかに自己と他者、真実と嘘の境界がひどく曖昧な時代に生きているか、ということだけだった。
*
一週間後。
久坂先輩は「穂坂直義の件で報告がある」と云って私を部室に呼び出した。
「あの後で色々と調べてみたんだけど、気になることが次々と判明してね」
先輩曰く、穂坂直義という人間は実在していなかったというのだ。それどころか近角英一や葛城沙羅も実在せず、沙羅の同僚が死んだ事件も起きていなかった。すべて嘘だったのだ。
「偽名を使ったり嘘を云ったり。一体何が目的で私たちにあんな話を持ち出してきたんでしょうか?」
「そこで一つ仮説を立ててみたんだが」と先輩。「そもそもの話、僕たちへの相談自体が一種のチューリングテストだったのかもしれない」
「私たちが試されていたということですか?」
「まあ、ただの推測さ。ほら、彼は妙にAIアシスタントに詳しかったじゃないか。もしかしたらAIに携わる研究者か開発者なのかもと思ってね。それにここは学園都市だから、人工知能の研究だって盛んに行われているはずだ。その研究の過程で本当に故人の霊だと名乗るAIが出てきたのかもしれない。でも彼らにはそれがシンギュラリティなのか超常現象なのか区別がつかなかった。だから僕たちオカルト愛好会に意見を聞いてみた」
先輩は「なんてね」と冗談めいて云った。
「なんだか私たち、
「まったくだよ。まさに〈霊的チューリングテスト〉だ」
私は情報工学の授業で聞いた、人工知能に関するある言葉を思い出した。
「ある科学者がこんなこと云ってます。人類を超えた人工知能が誕生するとすれば、それは人の
「なるほどね。人類以上の知能を持っているのだから、そもそも我々には認知することさえできないのかもしれない。ひょっとしてもう存在していたりしてね」
先輩はそう云って、はははと笑った。
*
帰宅後、溜まっていた授業の課題に取りかかる。
ふと、携帯電話が見つからないことに気付いた。こんな時こそAIアシスタントの出番だ。なんせ話しかけるだけで返事して位置を知らせてくれるのだから。
「それ、イーアスにやらせよう」――CMでお馴染みの惹句を思い出す。いま思うとなんとも傲岸不遜な台詞だ。
穂坂の話を聞いて以降、私はなんとなくAIアシスタントを使うことに躊躇いを覚えるようになっていた。が、人は便利という名の誘惑にはなかなか抗えないもので、ゆえに文明とは本質的に不可逆的なのだろう。それに穂坂の話が作り話かもしれないと知った今、ことさらに恐れる理由もない。
こうして、私は久しぶりにイーアスに呼びかけた。
どこからか返ってきたのは、聞き慣れた恋人の声――ではなく、まったく聞き覚えのない、そしていやに艶っぽい、女の声だった。
「見てるよ。ずぅっと、見てるからね」
霊的シンギュラリティ 東方雅人 @moviegentleman
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