【Ⅱ】PeaceⅨ「山脈を越えて」



 ――声が聞こえる。暖かい声だ。この声を聴くのは何度目になるのだろう。


 「メグミ、聞こえますか?ヨハネス王があなたを殺そうとしています。強く生きなさい。アルバーンの家族に会いなさい」


 「あなたは誰ですか?私になぜこの宿命を負わせるのでしょうか?」


 「……あなたが必要なのです……いずれ分かります。時が来れば、いずれ分かります。今は、剣をもって立ち上がるのです!」


 「待って!行かないで!」


 夢の中で声の主に呼びかけたが、またもや肝心なところで、声の主は聞こえなくなってしまった――。




 愛はアルバーンが持参していた麻布(あさぬの)のテントで、一晩を過ごしていた。愛は一晩掛けて、今後の方針をアルバーンと打ち合わせた後、アルバーンの暑苦しい家族自慢を聞かされていた。そうして夜は更けていった。寝床に入りぐっすりと眠って、そしてルノー山脈の麓で翌朝を迎えたのだった。アルバーンは太い腕を枕にし、愛に背を向けて寝言を言いながら眠っていた。愛は夢の中で誰かを追い駆けて、そして掴もうとした状態で目を覚ました。いつも肝心なことを聞きそびれて、寝汗を掻きながら目を覚ましている。今日も夢のような現実と夢の狭間に立っているようなふわふわとした感覚が彼女の心をざわつかせていた。


 愛は麻布のテントの幕を手繰り上げて外に出ると、熾きになった炭火が、まだ赤さを残し、煙を立てて燻(くすぶ)っていた。愛は朝の陽ざしを浴びながら、欠伸をしながら大きく伸びをした。


 「ふわぁああ」


 そして、後ろ髪を触って気が付いた。「ああ、昨日切り落としたんだっけ」と。少し寂しさを感じていたが、決めたことを掻き消すつもりは無い。彼女はテントから持ち出したカバンを探り、中に入っていたミスリルの小箱の中に入れられている、残り僅かになったチョコレートを、小箱を開いて確認した。そして閉じると大切にミスリルの小箱をぎゅっと抱きしめた。




**


 ルノー山脈。シャトリ山脈とは違い、比較的傾斜が緩く、登山者が好んで登る山である。人間(トールマン)が主な住処(すみか)にしている、Ⅰ(シャオ)の国からⅢ(ギーシャ)の国。その境目にリザードマンの生息域があり、メシェバ原野から先のⅪ(ロファ)の国までが、主なリザードマンの種族生息地域である。シャトリ山脈は、Ⅻ(ダース)の世界の大陸を半分に分ける様に存在している大きな山脈で、ルノー山脈は、メシェバ原野を中心と存在する小高い山脈なのだ。


 山脈鉄道もあるが、今回は目立たない為にも、アルバーンは徒歩のルートを選択したようだ。




 少し愛は周囲の木々を見渡しながら景色の美しさに見入っていた。小鳥の囀(さえず)る声が聞こえてくる。風を肌で感じながら、揺れ動く丈の長い草を見、それを食んでいる小動物たちを見ていた。唯一の癒しだったのかも知れない。


 そして、テントの中から聞こえた大きな欠伸の声と共に、長身のアルバーンがテントの幕を上げて、外に出てきた。


 「ああ、起きてたか。昨日はよく眠れたか?」


 「いや、ちょっと……ね。最近色々と混乱することが多くて。ちょっと寝不足気味かなぁ。……今も夢と現実の狭間に生きてるみたい」


 「直に慣れるさ」


 アルバーンはこれから超えるべく小高いルノー山脈を見ながら、少し考えごとをして言った。


 「行こうか。少し歩くけど、大丈夫か?」


 「平気。元気だから!」


 愛はアルバーンににっこりと笑いかけた。




**


 アルバーンが先頭に立ち、山間の沢の麓(ふもと)を歩きながら、ゆっくりと半日掛けて、騎乗してきた馬を、太い縄で引きながら歩いた。横を向くと、美しく見晴らしのいい山間の木々の間を、赤いトロッコが通過していった。窓に映る客層までは見ることが出来なかったが、あれが山脈鉄道だとアルバーンは言っていた。広葉樹が多く、割と小動物の多いこの小さな山脈。すれ違う人々は、動きやすさを考慮していたのか軽装備だった。愛はⅢ(ギーシャ)の国に向かうリザードマン達を見て、驚いていたのだった。


 そして、山道を抜けた先。地平線の先に広がる青草に、黄色や赤の花々が咲き乱れる美しい原野。所々に、麻布の折り畳み式の居住テントの数々。その周りに大きな柵があり、家畜を飼っているリザードマン達がいた。アルバーンは久しぶりに帰ってきた故郷に胸を高鳴らせて、大きく深呼吸をした。


 「綺麗な草原だねぇ。ほのぼのとしている感じがする、草花もいい香りがするし……」


 「ここがメシェバ原野。少し先に行くと、草木が枯れ始めて、カディナ火山の麓に、Ⅺ(ロファ)の国がある。因みに俺の家族がいるとこ」


 アルバーンは横目で愛を見てニヤッと笑い掛けた。そして近くにある、大きな集会所まで愛を連れて行った。




 中心にある集会所では、何人かのリザードマンが物々交換をしたり、談話を楽しんだりしていた。そして久しぶりに帰ってきたアルバーンを発見すると、人々は、少し訝(いぶか)しげな表情をして近づいてきた。どうやら、久しぶりの感動の再会……と言う雰囲気とは違う様子のようだ。


 「アル、久しぶりだなぁ、……お前、何をやらかしたんだ?すっかり噂になって、リザードマンの間で噂になってるぞ」


 「なに!?……それはどういうことだ!」


 アルバーンは血相を変え、集会所にある大きなテントの中に入っていった。愛も一緒に慌てて中に入った。そしてアルバーンは、中にいる職員らしき、黒い竜鱗の若いリザードマンの男性の肩を揺すって質問をした。


 「おい、ラモン!俺が噂になってるって、そこの連中に聞いたんだが、一体どういうことだ?!」


 ラモンは肩を掴まれて、揺すぶられながら、柱の方向に指を指した。


 「え、ええ。あれ見てくださいよ。指名手配書に人相描きが描いてあるんですよ。何かしたんですか?」


 そこには柱に張り付けられた指名手配書が貼ってあった。手配書の中央には「Dead or Alive(生死は問わない)」の文字が大きな赤字で書かれていた。愛とアルバーンの似顔絵がスケッチされていた。発行元はⅢ(ギーシャ)の国のヨハネス王が出したらしきものだった。


愛は夢の中で語られたことと一致したのか、取り乱さずに、深く考えていた。その時「ラモン」と呼ばれていたリザードマンの男性が、アルバーンの後ろにいた愛を見て驚いて言った。


 「えっ、連れてる女?いや男の子は……その……もしかして?!」


 「あー、くっそ、めんどくさいことになってしまった!!ちょっと後できちんと話をする。明日の夜になったら集会所にみんなを集めてくれ!」


 そう言って、アルバーンは貼ってあった手配書を強引に剥がすと、愛に「行くぞ!」と言って自分の家族のもとに急いだのだった。愛は度重なる苦難で心も強靭になり、指名手配書に関することは、そこまで深くは考えなかったようだ。




**


 「ああ、お父さん!お帰り!騎士団の遠征はどうだった?なんか噂になってるみたいだけど」


 アルバーンは息子らしきリザードマンに声を掛けられた。彼は両腕と両足が青い竜鱗、肩から膝下まで赤い竜鱗が特徴的だった。アルバーン譲りの鋭い目つきをしていた。片手に抜き身の剣を持ち、ちょうど剣の稽古を終えた所だったのだろうか、全身が草と泥に塗(まみ)れていた。


 「おお、リカルドか。お前も聞いたみたいなんだな。アウローラとマルティは?」


 「ちょっと出掛けてるよ。そのうち帰ってくるかも。そこの異国人の男の子……は?なーんか、どこかで見たような気がするんだけど……気のせいかなぁ」


 「気のせいだよ。リカルド、こいつはカジメグって言うんだ。Ⅲ(ギーシャ)の国で会ったんだよ。まだ剣も持ったことのない奴だから、みっちりと鍛えてやってくれ。カジメグ、こいつがうちの長男のリカルドだ。仲良くしてやってくれ」


 「宜しくお願いします」


 愛は髪を切り落としていたので、分からなかったのだろうか。先程から、性別を誤解されていた様子だった。取りあえず何も言わないことにした。そして、握手をし、挨拶を交わした後、アルバーンの宿営テントまで同行していくことになった。




 アルバーンの宿営テントは、割と大きめだった。中央を太い柱が支えており、天井に高めの梁(はり)が据えられ、天井照明はオイルランタンだった。そして、窓明かりを利用して、キッチンスペースが確保されていた。本棚には古書がびっしりと置かれていた。もうひとつ目を引くのが数々の武器だ。銃火器から槍など、騎士のアルバーンが主に利用するものだったが、その中でも揺れる刀身の燃えるように輝く剣がひと振り据えられていた。アルバーンはそれを手に取ると、愛の手に持たせた。ずしりとした重みを手に感じた。しかし、何となく愛は持ちなれた剣を持ったような既視感(きしかん)を感じていた。


 「重い。しかも尺が長いね。でも、私この剣、なんだか持ったことがあるような、不思議な感じがする……アル、これらの武器はどうやって手に入れたの?」


 「ああ、俺の仲間の形見だよ。戦争の前線で、死んだ仲間達の大切な相棒だ。因みに、お前に持たせたのは、『フランベルジュ』って言う名前の、炎の刀剣だ。俺の親友のリザードマンが使ってた、相棒だったんだけれど、少し細工したんだよ。……ちょっと外に来てくれ」


そう言うとアルバーンは、愛からフランベルジュを預かった。そして、外に生えていた背丈の高い草に向かって、フランベルジュを一振りした。すると刀に斬られた草が焦げながら宙に舞い、そのまま灰になって落ちていった。


 「これは鋼に、竜鉄鉱とリザードマンの牙を芯に入れてあるんだよ。俺の親友の亡骸から取ってある」


 「え、ちょっとそれって……私が使っていいの?!……そんな大事なもの、悪いよ!」


 愛はてっきり趣味で揃えていたものだと勘違いしたのだが、表情が険しいアルバーンを見て、急に戸惑ってしまった。そして想像以上の重い話に戸惑いを隠せない様子だった。


 「お前には期待してるんだよ。その真紅のメイルに、赤いフランベルジュ。カッコいいじゃないか」


 「……私に期待しても、知らないんだからね!」


 そう言って、愛はそっぽを向いて反抗した。その後アルバーンからフランベルジュと鞘を受け取ると、フランベルジュを鞘にしまい、そのまま鞘の肩ひもを肩に掛け、背中に背負った。そして、アルバーンから戦友との思い出話を聞いていると、アルバーンの妻が帰宅したようだ。




 「ただいま!……あなた帰ってたの?!」


 「ああ、帰ったよ。アウローラ」


 アルバーンの妻は全身を覆う美しい赤い竜鱗に丸みを帯びた綺麗な瞳をしていた。女性らしさがリザードマンの種族にもあるようだ。やや怒りを抑えたような表情だった。彼女はアルバーンにゆっくりと笑いながら近寄った。


 「問いただしたいことは山のようにあるけど……とりあえず」


 アウローラとアルバーンは抱擁を交わしていた。そして、アウローラはアルバーンの背中に手を回すと、鎧の隙間に手を差し入れて、鋭い爪を立てた。


 「いたたたた……いきなりなんだなんだ」


 「いつも命を粗末にするから、これは私からのお仕置き。勝手に指名手配書作って帰ってこないでよね」


 「悪かった悪かったって。お前……また、爪伸ばしただろ」


 アルバーンは苦笑いしながらアウローラの手を引き剥がした。愛はアルバーンがやっていた一通りの茶番劇を和みながら見ていた。そしてアウローラは愛の顔をまじまじと見てアルバーンに質問をした。


 「ねぇ、あなた、この異国人の人間(トールマン)の女の子はどうしたの?」


 「えっ、お前女って分かるのか?」


 「だって同じ女ですもの。それに、こうなんて言うか体格と背丈で分かるでしょ?……どちら様ですか?」


 「私は梶原 愛(かじわら めぐみ)って言います。……実は、いや、Ⅰ(シャオ)の国から来ました!」


 愛は適当に笑って誤魔化した。そしてアルバーンと出会った経緯を簡単に説明すると、妻のアウローラはにっこりと笑い、そして愛に優しく言った。


 「ここは危険な場所じゃないからゆっくりして行ってね。夫のことだから、……どうせ、あなたも何かに巻き込まれたんだと思うわ。匿(かくま)ってあげる。大丈夫。辛かったでしょ」


 「アウローラさん……私、色んなことがあって、辛くって」


 愛は堪(こら)えていたものが溢れ出たのだろうか。アウローラの胸に抱かれ、大声で泣き出してしまった。アルバーンは黙ってその様子を見守っていたのだった。




**


 さて、夕食時になる頃、メシェバ原野に冷たい風が吹き抜けた。牧者達は羊や牛を交代で見張っていた。その頃になってアルバーンのもう一人の息子「マルティ」が帰宅した。彼は宿営テントの入り口の幕をたくし上げて、寒そうにしながら、中に入ってきた。アウローラはオリーブオイルを入れたフライパンで、魚介類を炒めたり、香辛料の効いたスープを鍋で煮込んだり、忙しそうにしていた。リカルドは自分の部屋で、剣の手入れをしていたようだった。愛とアルバーンは、明日からの細かい話を打ち合わせていた。


 「……ただいま。お母さん」


 「マルティ、お帰り。あ、お父さん帰ってるわよ!」


 「えっ!」


 それを聞いて一気に表情が明るくなるマルティ。彼は因みに少し丸みを帯びた体形で、竜鱗はリカルドとはコントラストが逆だった。鱗が全身を青く覆っており、両手両足に掛けて赤く輝いていた。背中に重量感のあるアックスを背負いながら帰宅した。父親の帰宅を聞き、嬉しさのあまり、アルバーンにそのまま飛びつこうとしたのだが、アウローラからお叱りを受けて、しゅんとしていた。




**


 「おまたせ!ご飯出来たわよ」


 アウローラは机の上に魚介類とサフランのようなもので炒めたライスの入った鍋を置き、その横にブイヤベースのようなスープの入った鍋を置いた。とても見た目の色合いが鮮やかで、よい香りが漂っている。愛は久しぶりに食べる手料理を見て興奮を抑えきれずに言った。


 「うわぁ、おいしそう。これは地中海の料理に似てるかも……このご飯とか」


 「チチュウカイ?」


 リカルドが愛の言葉に首を傾げていた。愛は慌てて訂正した。


 「あ、いやー、こっちの話。アウローラさん、ありがとう!」


 「いえいえ。うちの子達は食べ盛りでねぇ。特にマルティとか食欲旺盛で。あと、旦那さんが帰ってきたのもあってね」


 「すまないね、いつも。それはそうと、今日は葡萄酒……そのー、あるかい?」


 「お父さん、いつもお酒ばっか飲むから、そうやってまたお母さんに怒られるんじゃんか!」


 マルティはアルバーンにお酒の飲み過ぎをきつく言っていた。そして、アルバーンが「息子に言われたら、頭が上がらないなぁ」と恥ずかしそうにしていた。笑いが絶えない中、愛は故郷にいる家族のことに思いを巡らしていたのだった――。


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