【Ⅰ】PeaceⅤ「王都レンダ」
すっかり、辺りの日は落ち、暗くなっていた。愛は街まで歩いて、そしてチョコレートを少し砕くと、古物商に換金してもらい、それを大切な路銀にした。そして、宿に泊まる為に少し街を歩いていた。
「びっくりしたぁ……チョコレートってやっぱり値打ちがあるんだね。これからは大切にしないとなぁ」
愛がチョコレートを換金して手に入れた「千テル分の金貨」。三分の一のチョコレートはそれだけの価値を持っていた。彼女は、金貨を大切に麻の袋にしまい込むと、一枚の金貨を銀貨に細かく崩し、パンや干し肉、水などを購入しながら、愛は街を歩き、周囲を見渡していた。
「入った時は分からなかったけれど、白くておおーっきな壁が、この国を囲んでいるんだねぇ!」
街灯に照らし出された白くて高い壁。それは、街を外周を取り囲むように雄々しくそびえ立っていた。愛が西の門を押し開けて入ってきた時は、必死で全く気が付かなかったのだが、この壁が堅固な要塞を作り出していることが分かった。愛は改めて感じる異世界の風土と人々の特色に、すっかりと疲れを忘れて、息を呑んで感動していた。その時だった。暗い街灯の灯りに照らされて「二本足で立つ、白い猫のような小動物」が、彼女の前に姿を現した。そして愛の顔をじーっと見つめていた。愛は「その動物」に気が付き、ゆっくりと逃げないようにそっと近付いた。
「私はあなたを追って来なければ……ここに来ることもなかったのにっ!あ、待って!逃げないでよっ!」
「白い小動物」は、愛が捕まえられそうな距離まで来ると、彼女を挑発するような態度で、また逃げ出した。愛は捕まえようと必死になり、そのまま追いかけて暗い商店街を走り回った。
「待って!行かないで!私……寂しいの!一人にしないでっ!」
今、彼女は孤独感でいっぱいだった。だから無我夢中で走った。しかし路面に敷き詰められたレンガが抜けていたのか、足を取られ、大きく躓(つまづ)いて、前に投げ出されるように転んでしまった。
「あっ!」
愛は、空中に投げ出され、胸から倒れるようにして、大きく転倒してしまった。手を突いたが、間に合わなかった。しかし、防具のおかげで身体の痛みは少なかったようだ。しかし「白い小動物」は、またもや人垣を抜けて走り去ってしまった。
「いたたた。良かったー、防具を、身に付けてて。今度こそ、捕まえられると思ったんだけどなぁ」
荷物の一つ一つを確認し、埃を払って立ち上がった。すると、目の前の宿屋から激しい口論の声が聞こえてきた。「全身が美しい青色の竜鱗」で覆われ、「ハルベルトのような形の槍」を背負い、銀色の光沢の光る鎧を着た、ワニのような大きな口、眼光の鋭い目、トカゲのような顔をした長身の男性(?)が、宿屋の主人と激しい口論をしていたのだ。
「おい、泊まれないってどういうことだよ!!わざわざ、俺はヨハネス国王に、伝達があって、メシェバ原野とルノー山脈を二日掛けて越えてきたんだぞ!このまま帰ったら、寒くて死んでしまうよ!」
「悪いが、風習なんだよ。この国は『リザードマン』を受け入れないようにしてるんだ。うちだけ特別って、わけにはいかないんだ」
「お前、俺が今日こうして宿屋を何軒回ったと思ってるんだよ!確かに、俺らリザードマンは、長い歴史の中でお前ら、人間(トールマン)を虐殺して、奴隷にしてきたかも知れない。しかし、今こうして軍事提携や貿易の取引を通して、積極的に平和を保とうとしてるんじゃないか!それなのに酷くないか?この扱いは」
愛はその様子を黙って見ていた。周囲の人間は関わらないように、口論しているリザードマンに冷ややかな目を向けながら素通りしていた。我関せず、聞かず知らず。せかせかと顔を隠しながら早足で歩いていた。そしてリザードマンの男性は苛立って、背中のハルベルトを引き抜き、宿屋の主人に構えた。すると暗闇の中からいきなり出てきた、数人の兵士がリザードマンを取り押さえると、縄で縛り、そのまま連行していった。
「よく聞け!この国は腐っている!いいか?お前ら人間(トールマン)が、今は平和にのうのうと生きているかもしれない。だがな、それも今のうちだけだ!そのうちに大きな戦争が、起こるから覚悟しとけよ!」
「黙れ!いいから歩け!!」
リザードマンは槍を背中に突き付けられて、城まで歩かされていった。周囲に大きな声で罵倒と文句を浴びせながら。そしてそのまま城の門を潜り、牢に投げ込まれてしまったようだ。
愛はその激しい一部始終を見て、心を痛めていた。
「ひどい。何にも悪いことしてないのに……」
「お嬢ちゃん、田舎の出身かい?最近はみーんな、あんなもんなんだ」
通りすがりの男性が、愛に教えてくれた。
「四半世紀前まで、近隣の国々の諸民族と人間(トールマン)は平和を保っていたんだ。しかし、いつだろうか。現国王のヨハネス王が『メフィストフェレス』と言う悪魔を崇拝し出してから、政策が悪化してね。あのリザードマンは、祖国では創造主を崇める熱心な『信仰者』だったんだろう。しかし、その崇拝していた創造主が、Ⅺ(ロファ)の国の方でも、悪魔にすり替えられてしまってな。今じゃあそこらじゅうの国々の人々は疲れ切っているんだよ」
「そうなんですか」
「『月の涙(フル・ドローシャ)の地脈』が枯れておよそ二百年。それから、ヨハネス王が『メフィストフェレス』を崇拝し始めて、早二十五年が経った。誰かがこの悪循環を食い止めなければ、世界はきっと滅んでしまうだろうよ……」
そう言い、通りすがりの男性は愛に軽く会釈をして、そそくさと家に帰って行った。愛は「幻聴の主」が、誰かは分からないが、頭の中で、少しずつピースが組み上げられていく感覚を感じていた。
**
愛はそれから、更に歩き、別の宿屋に一泊することにした。流石(さすが)に、「口論のあった宿屋」には、泊まる気がしなかったようだ。すっかりと日が落ち、夜も更けていたので、夕食は自分で簡単に済ませた。愛は、購入したライ麦のパンと干し肉を適当な大きさに切ると、それを齧(かじ)り、慣れないエールを、ゆっくりと口に含んで食事をした。そして防具を外して、制服に着替えた。そして疲れた身体をストレッチでほぐしたのだった。彼女はご飯が恋しかったけれど、贅沢(ぜいたく)も言ってられなかった。
ゆっくりと入浴したかったが、泥のように疲れ切った身体は、浴室まで動くことを拒んでいた。仕方ないので、明日の朝に入浴し直すことに決め、愛はベッドに倒れ込んだのだった。この世界に来て、四回目の晩が、既に訪れていた。今晩も生地が硬く、簡素で安いベッドだった。しかし彼女の疲れを癒すのには充分だった。
**
――「メグミ、ヨハネスに会いなさい。いいですか、旅はまだ始まったばかりなのです……」
「行かないで!あなたは誰なの?どうして、私をこんなにも苦しめるの?」
「ヨハネスに、ヨハネスに会いなさい。全てがその時、分かるはずです……」――。
愛はうなされて、毛布を払いのけて、寝言を言いながら、夢の中で必死にもがいていた。ラインヴァルトの名前を口にして。リザードマンの差別を見て。「ヨハネス王に会え」との命令を夢の中で語られて。悪夢のような、しかしうっとりとまどろむような声の主は、今宵(こよい)も、形なく掴めずに彼女の前から姿を消してしまった。
**
翌朝。愛はボーっとしていた。こうして充分に寝付けずに朝を迎えるのは何度目だろうか。酷いくまが目の下に出来ていた。疲れすぎていたのもあったのかも知れない。取りあえず、入浴する為に彼女はバスタブにお湯を溜め、冷水で顔を洗った。そしてゆっくりと入浴しながら考えた。
「まず、これからやることを整理しなくちゃ。少し図書館の文献を見るのもいいんだけれど、長居をする訳にはいかない。そもそもずっと聞こえてくる声の主は誰なんだろうか……」
身体を洗い、暖まった所で、黒く長い髪を結い、ラインヴァルトが買ってくれた「サラマンダーの鎧」を身に着けた。すると部屋がゆっくりとノックされ、給仕の女性が暖かい料理を持ってきてくれた。
岩塩に漬け込んだ豚肉を、柔らかくなるまで煮た料理。それから、ジャガイモを揚げたものとキャベツらしき葉野菜のマリネ、スパイスの効いたソーセージが数本、それらが皿に乗せられて、料理の品々がテーブルの上に置かれていた。柑橘(かんきつ)類を絞ったジュースもグラスになみなみと注がれてテーブルに置かれていた。愛は、湯気を立てている料理を見て、すっかりと食欲と元気を取り戻した。
ゆっくりと食事をし終わり、宿屋にお金を支払った後、彼女は少し情報を掴むために酒場に向かうことにした。未成年ではあったが、勇気を振り絞って扉を開けた。
**
酒場には真っ昼間にも関わらず、ほろ酔いの兵士や貴族、商人達が出入りしていた。客層は男性が主(おも)で、女性はまばらだった。カウンター席に座って、楽しそうに料理をつまみながら、談笑する客人達。酒場の雰囲気は、うっすらとしたオイルランタンの灯りに照らされて、室内はふんわりとした雰囲気を放っていた。葡萄酒(ぶどうしゅ)やエールの独特の匂いが周囲に充満していた。カウンター席の周囲にある樽やワインの瓶がインテリアのように綺麗に並べられていた。愛は周囲を見渡した。すると魔導士のローブを着た、一人の老人が隅の席に座り、うつらうつらと舟を漕ぎながら、お酒の入ったグラスに、額をぶつけそうな勢いで、頭を上下に揺らしていた。「こういう時は、ご老人の知恵をお借りしよう」と愛は思った。そして、そっと愛は老人の隣の席に座った。
「お嬢さん、ご注文は?」
「『チェリー・ブロッサム』か『ボヘミアン・ドリーム』ってありますか?そちらのおすすめの物をお願いします」
「かしこまりました。では、チェリー・ブロッサムをお作り致しますね」
バーテンダーは、ブランデーやオレンジキュラソーなどを金属製のシェイカーに入れ、手際よく振り混ぜていた。無論、愛はお酒は呑まない。今回は口を付ける程度だ。「多少なりともカクテルの知識を持っていて良かった」と彼女は思った。そして、愛は隣に座っている老人を揺すり起こした。
「お爺さん!起きてください。お爺さん!」
「んあ?そこに居るのは、可愛い可愛い孫娘のローゼじゃないか!」
頬を赤く上気させて、老人はうつらうつらと目を覚ました。しかしすっかり酩酊(めいてい)しているようで、自分の孫娘と愛の区別が付かなくなっていた。愛は面倒だったので、そのまま孫娘になりすまして、話を進めることにした。
「お爺ちゃん。私はローゼよ。お爺ちゃん、お願い。最近のヨハネス王のお話、聞かせて欲しいなぁ」
愛が老人に孫を演じるように、甘えた口調で話し始めた。すると、バーテンダーが愛の前に出来上がった「チェリー・ブロッサム」を置いた。綺麗なオレンジ色のカクテルにチェリーが入っていた。お爺さんはゆっくりと口を開くと話し始めた。
「ヨハネス=ヘンライン。あいつはひどい王様じゃよ。Ⅺ(ロファ)の国は、熱心な騎士団の聖地だった。Ⅲ(ギーシャ)の国もⅪ(ロファ)の国と最近になって、やっと平和提携を結んだばかりだった。しかし『創造主様の恩寵(そうぞうしゅさまのおんちょう)』に預かって、土地も肥え、豊かに恵まれていたのが、一気に悪魔崇拝の影響で廃(すた)れてしまった……」
「悪魔崇拝?」
「かの昔、お前が生まれる前に『月の涙(フル・ドローシャ)』の湧き出る地脈が、世界中に張り巡らされていたんじゃ。しかし、ヨハネス王の先祖の王が『メフィストフェレス』に魂を売った影響で、地脈はすっかり枯れてしまったと言う噂なんじゃよ」
「……それで、平和を回復するにはどうしたらいいの?」
「分からん。ワシももう、歳ですっかりと物忘れが激しくなってしまってのう」
愛は話半分理解した程度で、お爺さんの言ってることが殆(ほとんど)ど分からなかった。掴めたのは「ヨハネス=ヘンライン現国王が、リザードマンの差別に加担しているのではないか?」と言うこと。それから「メフィストフェレスの悪魔崇拝が、この国始め、世界に悪影響を及ぼしている」と言うことだった。「まったくもって、訳が分からない」そう愛は思った。取りあえず身なりを整えて、明日「一度国王に挨拶に行こう」そう思ったのだった。
「お爺ちゃん、ありがとう!じゃあ、行くね!」
「待ちなさい、ローゼ。お前さんにはまだ話したいことがたくさんあるんじゃ……ワシの若い頃はかなりの敏腕の錬金術師でな……」
「お爺ちゃん、私、急がないと」
「いいから黙って聞きなさい」
「……」
愛は、延々と老人の武勇伝を聞かされ、また一つ要らぬ疲れを抱えてしまったのだった。
**
さて、老人のお話を聞いた愛は、一通の手紙を持って城門の前に立っていた。宛名は「ヨハネス=ヘンライン国王、及びビョエルン=ゲイラー大臣宛て。無礼をお詫び致します。」と書いた手紙だった。
「疑心暗鬼の王に会えるだろうか?」そんな一抹(いちまつ)の不安を抱えて。
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