後編
その日、俺は約束の時刻にその学校を訪れた。
青山にある女子ミッションスクールといえば、恐らく知らぬ者のないくらいの有名校である。
何しろ、教職員でさえほぼ8割が女性というから、その徹底ぶりはある意味素晴らしいものだ。
しかし、今日は別である。
小国とは言え、仮にも欧州の由緒正しい王家の継承者の姫君が、我が国でご披露なさる最後の晴れ舞台だ。
新聞は来る。週刊誌やテレビは来る。と言った有り様で、校門の前は静かな学園には不似合いな連中でごった返している。
学校側もそれを見越してか、警備員の数を幾分増員したらしい。
特に男性に関しては極端にボディーチェックが厳しいようだ。
幸い俺の場合、真理が話を通しておいてくれたせいか、ライセンスとバッジを見せただけで、殆ど何も言わずに通してくれた。
一人、気になる女性が目についた。
紺色のパンツスーツに身を包んだ、すらりと背の高い外国人女性だ。
栗色の髪に青い瞳、白い肌。そして細身の黒縁眼鏡をかけている。
なかなかの美人である。
目についたのはそれだけじゃない。
何の用があるのか知らないが、横長のアタッシュケースを持っている。
普通ならそれだけで警備員なら怪しむところであるが、警備員が声をかけると、何やら話しかけ、小さなパスケースのようなものを見せた。
警備員の顔色が少し変わり、彼は詰め所に戻ると何処かに電話をする。
間もなくもどってくると、彼女に向かって背筋を伸ばし、敬礼をした。
勿論、荷物チェックもしなかった。
多分、王女の母国の大使館の人間なんだろう。
しかし、妙だ。
だとすれば彼女は演武大会が行われる弓道場に向かう筈だ。
事実、他の人間は全員そうしていた。
しかし彼女は弓道場には全く関心がないように、黙って通り過ぎ、そのまま丁度真裏にある、時計台に足をむけて歩いていった。
弓道場はほぼ立錐の余地がないくらい、観衆や報道陣で埋まっている。
一体弓道と言う競技に、これほど関心があるとは思ってもいなかった。
もっとも、それも多分『某国のお姫様』という付加価値がなければ、普段はもっと静かなものだったのだろうが・・・・
俺だって、こんな機会でもなければ、まったく興味もなかったかもしれない。
(どうやら的に当てることよりも、当てるまでの過程を重んじる。という、昔誰かに聞いた話はほんとうだったのだな。ということは理解が出来た)
アリサの順番は師範から数えて三番目である。
俺は一射目を終えたのを確認して、そっと人垣を分けて外に出ると、すぐに時計塔に向かった。
時計塔は弓道場の真裏にあった。
周りを背の高い植え込みに囲まれていて、普段はあまり人気がなさそうだ。
普段は人が入れないようになっているらしく、正面にある鉄の扉は固く閉ざされており、大きな南京錠がかかっている。
しかし、俺が付いた時には、錠は外され、扉は軋みながらも内側に向かって開いた。
塔の中は螺旋状の階段が続いており、見上げるだけで目がくらみそうだ。
俺はゆっくりと、それでいて速足で階段を昇る。
さながら古の大泥棒か、かつての名探偵の大先輩の如しである。
塔の上には難なくたどりついた。
大時計の周囲は、回廊のようになっているらしい。
やはり一つだけある鉄の扉は鍵が外されていて、ノブを回すと軽く外に向かって開いた。
俺は石の壁に背中をつけ、ホルスターから拳銃を抜いた。扉があるのは弓道場から見て真西に当たる。
従って丁度西にあたるところに大時計があるのだ。
足を忍ばせ、俺はゆっくり歩いた。
角に当たる場所にたどり着くと、顔だけ出して様子を窺う。
大時計の『Ⅵ』の字の下にあの女がいた。
膝射の姿勢を取り、既に銃を構え、足元にはアタッシュケースが置いてある。
恐らくドイツ製の名自動小銃、H&KG3を狙撃用にカスタムしたものだろう。
やはり欧州人だな。こんなところでも同族意識みたいなものが出るのか、俺は腹の中で苦笑した。
ここからだと、射場に立つ射手の姿が良く見える。
距離は凡そ直線で100メートルといったところだろうか?
彼女の眼がスコープを覗き、トリガーに指がかかる。
俺は拳銃を構えて飛び出した。
『おっと、そのまま!言うまでもないが、下手に動くと撃つ。』
声が枯れた。
正直、銃撃戦になるのを覚悟した。
G3と俺のM1917・・・・どの途、勝負にはならない。
しかし、意外なことに彼女はあっさりと銃を捨て、手を挙げた。
『OK、そのまま回れ右して壁に手をつきたまえ。身体を触るぜ。もっとも他に武器を持っているんなら、先に申告してくれると助かる。余計な手間が省けるし、このご時世だ。後からセクハラのなんのと騒がれるのは御免だからな』
『ご安心を、何も持ってないわ』
彼女は流ちょうな日本語でそう答え、軽く微笑んだ。
『あなた警官?私を逮捕するの?だったら無理ね。これでも現役の外交官よ。ウィーン条約ぐらいご存知でしょう?』
『残念ながらそうじゃない』そう言って俺はポケットを片手で探り、認可証とバッジを見せた。
『ただの私立探偵さ。だから逮捕なんかするつもりはない。俺の仕事はお姫様を守ること。このまま黙ってひいてくれれば、これ以上何もしない。さあ、どうするね?』
弓道場からまた歓声が沸くのが耳に届いた。
『有難う』真理はそっと俺に礼を言った。
その日の午後8時過ぎ、俺たちは『アヴァンティ!』の止まり木に並んで座っていた。
彼女はコニャック。
俺はバーボンのストレート。
『お姫様、喜んでいらしたわ。「日本でいい思い出が出来ました」ってね』
グラスを置き、彼女は傍らのバッグから、安全剃刀のように鋭く見える小切手を一枚取り出して、テーブルに置いて、赤いマニュキアの指で俺の方に滑らせた。
『7』の次に0が六桁続いている。
『しみったれの桜田門にしちゃ、張り込んだな』
俺はそいつをつまみ上げ、内ポケットにしまった。
『ところで、彼女は?』
『彼女?二等書記官の事ね』
真理はシガリロを取り出し、ジッポをカチンと鳴らし、煙を宙に向かって吐き出した。
『どうにもなりはしないわ・・・・分かってて聞いてるんでしょ。意地悪ね』
そうとも、どうにもなりはしない。
痩せても枯れても某国の現役外交官だ。特権の壁は今は無きヴェルリンのそれよりも高く厚いのだ。
幾ら桜田門だって何も出来るわけがない。
ただ、件のG3だけはお引渡し願ったそうだが。
ま、そんなことはどうだっていい。
たったあれだけ(苦笑)のことで、俺は今年の年末を無事に越せるだけの稼ぎを手に出来たんだからな。
終わり
*)この物語はフィクションです。登場人物、設定、場所その他全ては作者の想像の産物であります。
高貴なるターゲット 冷門 風之助 @yamato2673nippon
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