高貴なるターゲット
冷門 風之助
前編
太鼓の音が重々しく弓道場に響く。すると、紋付きに黒い袴をはいた中年過ぎの女性師範を先頭に、白い稽古着、袴という、似たような恰好をした若い女性が四~五人、摺り足で、一旦入口で立ち止まり、一礼をして入ってきた。
全員、左手に弓を、右手に矢を二本構えており、正面にある神棚、そして居並ぶ観客に向かって礼をすると、まず師範が所定の位置につき、射法八節(というんだそうだ)に従って矢をつがえ、弓を引き絞る。
と、矢はまるで自然に手から離れるように、うなりを上げ、ざっと二十メートルほど離れた的の真ん中に刺さった。
観客から『おおっ』という歓声と拍手・・・・
続けて若い女性たちが次々と矢を射る。
その中に、
『姫君』がいた。
白い鉢巻に弓道衣、袴姿の彼女は、きりりとして美しかったが、どこからどう見たって普通の日本女性そのものだ。
とてもじゃないが、そんな『高貴な御方』には見えない。
俺は彼女が射場に立ち、八節に従って最初の一矢を射るのを見定め、そっとその場を離れた
俺の『乾宗十郎探偵事務所』と書かれたオフィスのドアをマリーこと五十嵐真理が開けたのは、じきに12月、そろそろ寒さが感じられるようになろうという、そんなウィークデーだった。
このところ、俺は仕事にあぶれっぱなしである。
正確にはゼロという訳ではないのだが、大抵は半端な依頼ばかりで、労が多い割には実入りが少ない。
従って当然ながら右から左、殆どが酒代と諸経費に消えていってしまう。
幾ら独り身の中年私立探偵だって、少しは貯えがないと、まともに年も越せない。
『1日、たった1日でいいわ、彼女のボディーガードをして頂戴』
一杯に引き絞った弦を、今まさに放たんとしている一瞬を横から捉えた写真を俺に示しながら、彼女は言った。
ベージュのスーツにタイトスカート、大きく切れ込んだスリットから、大昔ハリウッドで『百万ドルの脚線美』と讃えられたドイツ出身のあの女優よろしく、見事な太腿をちらつかせて、高々と脚を組む。
警視庁外事課特殊捜査班のエリート警視にしてはセクシー過ぎるな。
真理はこっちがまだOKも出していないのに、バッグからシガレットケースを出し、真っ赤なルージュで彩られた唇にシガリロをくわえ、ジッポの金属音を響かせて火を点けた。
『探偵はお巡りの下請けじゃない。一度くらい寝たからって、例外は認めないぜ』
『貴方らしいわ』
俺の答えに彼女は紫煙を吐き出して怪しげに笑った。
『で、何者なんだい?』
『ヨーロッパのさる小国の王女様なの。現在日本のミッション系の大学に留学中よ』
『どうしてそんなやんごとなき方が日本なんかにいるんだね?』
真理は一本目を喫い終わり、ガラスの灰皿で消すと、二本目に火を点けた。
彼女によれば、何でも母親・・・・つまりは現王妃様が日本人なのだという。
『元華族のご令嬢でね。欧州にご留学中にその国の国王様・・・・当時は王太子殿下というべきでしょうね。その方に見染められたって訳、ニュースにもなった筈よ』
『生憎ガキの頃から新聞は殆ど読まない。スポーツ欄と天気予報ぐらいかな』
真理は意外ね。というような表情で俺を見た。
髪が揺れ、香水の香りがシガリロに交じって俺の鼻に届く。
多分、ゲランだろう。それ以上は分からない。
当然欧州の王室の事だ。
王太子の花嫁が東洋人なんてという声もあったらしいが、二人はそれを押し切って、見事にご成婚と相成り、やがて王太子は御即位され、国王となられた。
お二人の間には王女と王子という子宝に恵まれ、万事は幸せというわけだ。
王女様は名を『アリサ』という。
その国ではかつて男子しか王位継承権がなかったのだが、時の流れと共に制度が変わって、今では女性でも王位を継ぐことが可能になったので、今ではアリサ王女がその第一位とおなり遊ばしたのだ。
彼女は16歳の時、周囲の反対を押し切って母君の故郷である日本に留学された。
母君が卒業された由緒あるミッションスクールである。学業、スポーツともに優秀、特に日本の武道である弓道には熱心に取り組まれ、高校卒業時には弐段を許され、主将を務めたほどである。
周囲の評判もすこぶる良く、順調に大学へも進学。このまま卒業まで日本で過ごされる予定だった。
しかし、ここで思わぬ出来事が起こる。
かねてより病気がちだった父君が殆ど寝たきりに近い状態となり、このままでは公務もままならないという状態になったため、継承順位第一位のアリサ様が御帰国遊ばされて、近く即位式と言う運びになった。
そこで、学生時代の思い出にと、来る日曜日に学校内の弓道場で送迎を兼ねた『模範演武大会』が開かれることになったのである。
しかし、彼女の存在に異を唱える一派は、場合によっては命を奪ってでも即位を阻止しようと企んでいるという情報が入ったのだ。
『なるほどね。しかし、そんなやんごとなきお姫様だったら、警視庁がSPでも出して警備を厳重にするくらい朝飯前だろうに』
俺は少し嫌味を込めて彼女に言った。
『勿論、それが出来れば一番いいんでしょうけどね・・・・でも、当のお姫様が、
「それだけは止めて欲しい」とおっしゃるのよ。折角最後の思い出なのだから、普通の学生で終らせたいってね』
『なるほど』
俺はそう言って、口に咥えたシナモンスティックを噛んだ。
『ギャラはいつも通り・・・・と申し上げたいところだが、こっちもジリ貧なんでね。少し吹っかけさせて貰うぜ?それでもよけりゃ』
『言うと思ったわ。悪徳探偵さん。』
真理はそう言ってまた笑い、再び一本火を点けた。
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