第7話-02 外彦
「沼御前。その子を押さえていてくれ」
巻き付いた植物ごと体中を泥でおおわれて、僕は身動きが取れなくなる。だが、もしそれがなかったとしても、僕は動くことはできなかっただろう。
それだけ信じがたい事実が僕の目の前には広がっていた。
降姫。どうして、降姫がここに。混乱する思考を映し出すように、霧はゆっくりと濃くなっていった。
熱を含んだ朱色の光が差し込んでいる。
西からのその陽光は、今が夕方だということを示していた。
窓の外にはわずかに雪が降っていて、私は布団に横たわっている。
蝕んでくる呪いのせいで手足はもう動かせず、声も出ない。だけど目だけは体中についているかのように四方をはっきりと見ることができていた。
私の傍らには外彦が膝をついていた。
「君を救う方法があるんだ」
外彦くん。
口をなんとか動かして彼の名前を呼ぼうとする。彼は私の手を取って、何を唱えたようだった。
全身から熱が吸い取られていくような感覚があった。同時に外彦は、腕から順番に無数の目に覆われていく。
呪いを肩代わりしているんだ。すぐにそれを悟ったが、私の体はまだ動いてはくれない。全身が目だらけになった外彦は自分の刀を抜くと自分の胸へと切っ先を触れさせた。
何をしようとしているのかはすぐに分かった。
「ごめんね、降姫。……さよなら」
――待って!
止める声を叫ぼうとする。だけど私ののどは張り付いてしまってろくに動いてはくれない。
外彦は勢いよく柄を押し込み、その刃は彼の体を貫いて背中へと突き出てくる。彼の体は一気に脱力し、私の目の前に倒れこんできた。
ちょうど私の顔の前に彼の顔はあった。彼はごぽりと血を吐いて、それでも何度か瞬きをしていた。
「はは、計算外だった」
首のあたりから順番に、彼の体は欠片に覆われていく。私は身動きが取れないまま、それを見つめることしかできなかった。
「心臓をつぶしても、鬼なら少し生きていられるんだ、ね」
震えるその声にはたしかに、さっきまでは隠されていた怯えがあった。彼の赤かった頰からはみるみるうちに血の気が引いていく。彼は泣きそうな顔でほほ笑んだ。
「もっといっしょにいたかったな」
その言葉を最後に、外彦は動かなくなった。触れるほど近くにある外彦の目が、だんだんうつろになっていく。広がっていく血だまりが、私の髪と顔を濡らしていく。
私は今度こそ、声の限りに叫びを上げた。
ふらりと立ち上がる。
外彦のいた場所にあった鬼欠片を持ち上げ、口に含む。
鋭い欠片が飴玉のように溶け、それを飲み下す。
腹の奥に痛みと熱がたまるのを感じた。
僕は姿見に映る自分を見て、首をかしげる。
なんで僕、降姫の服を着ているんだろう。
だって僕は外彦なのに。
外彦はこんな服は着ない。外彦はこんなに髪は長くない。外彦は降姫を守る人で、きっと降姫のことが好きなんだ。
髪を切り、服を着替え、僕は門の前までやってくる。そこには、赤い着物姿の降姫が立っていた。
はやく逃げなければ。追手が来てしまう。
「行こう、降姫」
差し出したその手を取らず、降姫は僕と一緒に歩き出した。
霧が晴れ、僕は息を荒げながら顔に手をやる。ガラスに映っているその顔は、やっぱり降姫のものだった。
「外彦くん……」
こぶしを握り締め、僕はあの子の名前を呼ぶ。いつも一緒にいたはずの彼女はもういない。ここにいるのは外彦の格好をした降姫だったものだけだった。
全部思い出した。
僕がしていたことは全部全部嘘で、必死で自分をだまし続けていただけなんだって。
もう、外彦なんていないんだって。
全身から力が抜け、地面へと崩れ落ちる。手のひらを見下ろす。刀を握るには頼りない小さくて白い手のひらだ。
刀がうまく扱えないのも当然だ。記憶が混濁しているのも、降姫にいら立ちを覚えるのも、鏡が壊れていたのも当たり前だ。
背を丸めて僕はうめく。涙が何度も地面に落ちては、黒い沼へと消えていった。
外彦くん、外彦くん。
どうしてこんなことに。私たちはただ――
『もっといっしょにいたかったな』
「大して時間稼ぎにもなりませんでしたか」
ふいに響いた声に、僕はそちらに目を向ける。そこには嫌な笑みを浮かべながら、こちらに歩み寄ってくる臨塔の姿があった。
「さあ、行きますよ。外への汽車が待っています」
ざわざわと僕の半身を覆う植物がうごめき、彼のほうへと近寄ろうとしている。沼御前の戒めを逃れて、僕を引きずろうとしてくる。
――だめだ。戻るわけにはいかない。だって僕は、僕たちは。
「ぐっ……!」
僕を縛り付けている植物を力の限りに引きちぎる。常人離れしたその勢いに、植物たちは無力に地面に落ちていくことしかできなかった。
「何っ……!?」
僕の抵抗に、臨塔は驚きの声を上げたようだった。だがそれは一瞬のこと。彼は懐から出した種を地面をばらまきながら、声を張り上げた。
「馬鹿が! 抵抗して何になる! 外彦はもういないんだよ、降姫!」
奥歯を噛みしめる。外彦の残した欠片が脈打つ。全身にざわざわと何かがはい回るような感覚が走る。
知ってる。
分かってる。
――それでも、それでも!
「それでも僕は外彦だ!!」
刀を勢いよく抜きはらい、僕は目の前に広がる植物たちに切りかかった。刃には無数の目が浮かび上がっている。植物はまるで紙を切るかのように、あっさりと地面に落ちた。僕はそのままの勢いで臨塔に切りかかった。
「僕を見ろ、臨塔!」
体中に浮かび上がった目が臨塔を見る。新たな種をばらまこうとしていた臨塔は、まるで石にでもなったかのように動きを止めた。地面を蹴って距離を詰める。
「やぁああああああああ!!」
雄叫びを上げながら、下から振り上げる形で臨塔の胴体を切りつけた。袈裟懸けについた刀傷から、派手に血が飛び散る。よろめいた彼の首めがけて、僕は刀を振り抜いた。
最後に何か言いたそうな顔で臨塔は崩れ落ちていく。彼の周囲にあった植物もみるみるうちに萎れていった。
僕はそれを一瞥すると、犬崎が向かった駅のほうへと向き直った。
「いくの?」
臨塔の体を徐々に沼に飲み込ませながら沼御前は言う。僕は重々しく頷いた。
「僕が招いたことですから」
罪悪感が胸に満ちている。だけどそれ以上に、全てを投げ打ってもいいような、どこか吹っ切れた気分でもあった。
「せめて僕がケジメをつけたい」
許されないことをした。それを償うことができるのなら、こんな歪んだ命なんて安いものだ。
僕は刀を抜きはなったまま、駅に向かって駆け出した。
駅への大通りは、普段よりもずっと人通りが少なかった。きっと鬼切が大きく動いていることを察して、巻き込まれまいと息を潜めているのだろう。
霧の向こうに駅の輪郭が見えてきたあたりで、激しい剣戟の音が響き始めた。どうやら複数人と接敵しているようだ。
「……なっ、外彦!?」
振り返ると驚愕に顔を歪めた十賀淵がこちらを見ていた。僕は一瞬だけ躊躇った後、彼へと切りかかった。
「せぁあああああ!!」
間一髪で十賀淵はそれをかわす。僕が追撃をしようとした寸前、向かい側から刀を右手に持った犬崎が彼の逃げ場を塞いだ。
「十賀淵。お前には投降の機会がある。大人しく投降しろ」
彼の言葉を受けて、十賀淵はぎりっと奥歯を噛み締めたようだった。十賀淵は天を仰ぐと、霧の中に向かって声を張り上げた。
「どういうことだ、蜘蛛の神!」
警戒しながら僕と犬崎は距離をつめていく。
「援軍が来るんじゃなかったのか! 話が違うじゃないか!」
しかし彼に答える声はなかった。十賀淵はだらりと脱力し、肩を震わせ始めた。
「そうか。俺は、文字通りトカゲの尾ということか」
彼は懐から取り出した包みを丸ごと口に放り込んだ。――鬼欠片だ。そう察した僕と犬崎は数歩で距離を詰めて、彼に切りかかろうとした。
しかし、一歩遅かった。
「ただ捕まるものか。一人でも多く仕留めて死んでやる」
欠片を飲み下した十賀淵は、一気に体を肥大化させ、鱗に覆われた巨大な龍へと姿を変えていった。
「一旦距離を取れ!!」
犬崎の指示通り、僕は龍から距離を取る。龍は胴体を跳ね回らせて、僕たちを押しつぶそうとしてきた。
「おおおおおおおおおおお!!」
「くっ……」
雄叫びを上げる龍の隙を探り、僕たちは刀を構えたまま龍へとにじり寄っていく。直後、龍は犬崎目がけて突進した。
犬崎はそれを間一髪でかわすと、なんとか龍に切りかかろうとした。しかし、暴れる龍相手には半端な傷をつけることしかできない。龍はそんな犬崎から突然僕へと向き直り、僕目がけて突進してこようとした。
――その時。
「耳を塞いで!」
聞き覚えのある声が響き、とっさに耳を塞いだ僕にも聞こえるけたたましい高音が鳴り響く。龍はそれに怯んだらしく、動きを止めていた。僕は今のが何なのか考えるのを後回しにして、目の前の敵を倒そうと、龍の顔へと切りかかった。
「せぁああああああああ!!」
龍の鼻先に大きく傷がつく。龍は首を引いてそれから逃げようとした。しかし、その直後に背後から犬崎が現れた。
龍の体の上を伝って飛びかかってきた犬崎は、龍の頭蓋目がけて勢いよく刀を振り下ろした。刀は深く龍の頭に突き刺さり、龍は一気に力を失い、地面へと倒れていく。僕たちは顔を見合わせると、刀を収めて龍から離れようとした。
しかしその時、龍は急に目を覚ましたがごとく体を跳ね回らせ始めた。
「まだ動くか!」
犬崎は刀を構える。僕も慌てて刀を再び構える。手負いになった龍は、先程よりもずっと凶悪な顔でこちらを睨みつけていた。しかし――
すぱん。
そんな呆気ない音がして、龍の首は傾いた。憎悪の眼差しからは光が消えていき、音を立てて切り落とされた首が落ちていく。
「ふむ、終わったかの?」
何が起こったのかわからないまま振り返ると、そこには見覚えのある少女が、輿に乗って首を傾げていた。集まってきた他の班員たちも呆然と闖入者を見ている。彼女はそんな視線を愉快そうな顔で受けていた。
「カッカッカ! わらわは千代乃守。暗都警察の事実上のトップというやつよ」
この場の空気を一気に彼女が握ってしまった気がした。僕は刀を右手にぶら下げながら自分よりも高い位置にある彼女を見上げた。
「おいたが過ぎたのう、十賀淵」
扇で口元を隠しながら心底楽しそうに少女は言う。その振る舞いに業を煮やしたのか、犬崎は何事かを言おうと口を開こうとしたようだった。
「そこな半端者よ。此度はわらわの下が迷惑をかけてすまなかったな!」
先んじて謝られ、犬崎は怒りの行きどころが分からず、ただでさえ険しい顔をさらに歪めて彼女を見ていた。
「愉快よのう愉快よのう。カッカッカ!」
高笑いを残して千代乃守は去っていく。僕たちはそれを見送ることしかできなかった。
鬼切の増援が到着し、変わり果てた十賀淵の体を片付け始めた頃、僕は犬崎と向かい合っていた。
「犬崎さん。僕を処分してください」
彼は何も答えなかった。僕は鞘に収めた魔食刀の柄を差し出した。
「覚悟はできてます。……それだけのことを僕はしたんですから」
しばしの沈黙の後、犬崎はそれを受け取った。刀が僕から離れ――急に力が抜けてしまった僕は、その場に崩れ落ちた。
次に僕が目を覚ましたのは、見慣れてきた鬼切の自室だった。体中の怪我には包帯が巻かれ、枕元には服まで整えられている。そして、そんな僕のベッドのすぐ隣では、犬崎が何か書き物をしているようだった。
「どうして」
なんで僕は拘束されていないんだ。牢屋にも入れられず、どうして無防備にも自室に寝かされているんだ。
「僕、裏切り者なのに……」
顔を伏せる。僕はこんな扱いを受けていいはずがないのに。殺されて当たり前なのに。
俯いて震えていると、がたりと立ち上がる音がして、犬崎は僕に歩み寄り――僕の頭に手を置いてぐしゃぐしゃと撫でてきた。
「子供がひと時道に迷っただけだ。それを処断するほど俺は狭量ではない」
顔を上げる。潤んだ視界に犬崎のいつも通りの視線が注がれている。
「今は休め」
もう一度ぐしゃっと頭を撫でた後、犬崎は書類を片付けて僕の部屋から出ていった。
一人残された僕は自分の手の平を見つめていた。たくさんのことがあった。嘘もついていた。許されないことをした。そしてそれを許されもした。
ぽたぽたと涙が手の平に落ちていく。泣き声は徐々にしゃくり上げるほどになり、僕は体を震わせて泣き続けた。
一気に肩の荷が下りた気がする。前に進まないといけない気もする。もう一度手のひらを見る。そこには、百目鬼の目が浮かび上がっていた。
大丈夫。ここにいる。降姫も外彦も、僕の中にいる。
「一緒に行こう。降姫。外彦くん」
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