第7話

第7話-01 降姫

 書類を積み込んだ鞄を抱えて、夕暮れ時の暗都を駆け抜けていく。ただでさえ暗い昼が終わり、星の光もほとんど届かない夜が訪れようとしている。僕は息を切らし、歓楽街の中に建つビルへと駆けこんだ。

 息を切らす僕と降姫を出迎えたのは、いつもの警察服を着ていない十賀淵だった。


「待っていたよ、外彦くん」


 彼は僕から鞄を受け取ると、軽く中身を確認して僕の肩に手を置いてきた。その手にぐっと力をこめられ、僕は簡単には動けなくなる。


「本当に、よくやってくれた」


 僕を見下ろす目はどこか冷たく、僕は一歩後ずさろうとする。しかしそんな僕の後ろに、いつの間にか男たちが回り込み、僕の逃げ場をふさいでくる。

 困惑する僕の視界に、部屋の奥から一人の男が入ってきた。


「臨塔……!?」


 にやにやと嫌な笑みを浮かべたまま臨塔は僕へと近づいてくる。僕は十賀淵へと視線を戻した。


「十賀淵さん、これは……」

「うん。君はもう用済みなんだよ」


 いつも通りのさわやかな笑みで十賀淵は答える。


「これで、ジョロウグモは外へと出られる。こんな薄暗い街とはおさらばなんだ」


 数秒おいて、何を言われているか理解した僕は慌てて身をよじろうとした。

 罠だ。この人たちは僕をだましていたんだ。

 しかしそんな僕を男たちは押さえ込み、後ろから腕で首を絞めてくる。


「用済みだとは言ったが、最後に一働きしてもらおうか」


 抵抗する僕の首に、ちくりと痛みが走る。何かを刺されたんだ。そう気づいたが抵抗はできない。


「あまり無理はさせないでくださいよ」


 臨塔の声が遠くに響く。


「無事に街の外へと出てもらわなきゃ困るんですから」


 首の痛みは這うようにして広がっていき、僕はなんとか自由になった腕を、すぐ横で怯える彼女へと伸ばした。


「ふる、ひめ……」


 その腕が届くはずもなく、僕は痛みと苦しさの中で気を失った。






 まだしびれが残る頭のままゆっくりと目を開くと、どこかの応接室のような光景が広がっていた。僕は何度か瞬きをして体を起こす。どうやら自分はソファの上へと寝かされていたようだった。


「ああ、起きましたか」


 向かいに座っていた人物が視界に入り、僕は慌てて立ち上がった。臨塔正孝。僕たちを外の世界に連れ戻しに来た、憎き敵。


「降姫はこちらで拘束していますよ。返してほしいのなら、素直に私たちの言うことを聞くことです」


 僕に視線すらよこさず、臨塔はティーカップを傾けた。隙はいくらでもある。こいつを制圧してしまえば――


「座らないんですか?」


 カップを机に置き、臨塔はあのいつもの嫌な笑みを僕に向けてきた。


「逃げようとすれば降姫が死ぬことになりますよ」


 全身がこわばる。震えが走る。臨塔を倒すのは簡単だ。だけど、これ以上の抵抗は悪い結果しか生まないと僕は知ってしまった。


「……なんでお前がここに」


 身構えたまま問うと、臨塔は涼しい顔で答えた。


「外に出るには彼らの助けが必要でしたから。私は彼らに武力を提供し、彼らは私に力を貸す。対等な取引です」


 彼らに教えられたあなたについての有力な情報も得られましたし。

 臨塔の言葉に僕は首をひねる。

 情報。一体何の情報なのだろうか。

 それを口にする前に、僕たちを隔てる机の上に置いてあった、黒い箱が砂嵐のような雑音を響かせ始めた。


「あなたの持ってきた資料のおかげで鬼切の無線を傍受しているんですよ」


 一気に体中に震えが走り、僕は棒立ちになることしかできない。

 僕はなんてことをしてしまったんだ。裏切って、敵に情報を流して、鬼切の人たちを危ない目に遭わせているだなんて。


「――ああいけませんね。これはいけない」


 雑音交じりの無線の音に耳を傾けながら、臨塔は言う。


「このままでは本隊に鬼切が追いついてしまう。彼らが駅を占拠できなければ、我々も外には帰れない」


 臨塔はパチンと芝居がかって指を鳴らした。その途端首に激痛が走り、僕はそこを押さえて悶絶する。


「あ、ぐ……」


 触れた首筋には、ごつごつとした植物の根のようなものが這っていた。根は徐々に広がり、顎や肩へと広がっていく。


「彼らを迎えにいってください。あなたなら、時間稼ぎになるでしょう」






 ふらつきながら臨塔に指定された場所にやってくる。激痛で冷や汗が浮かび、痛みを逃がそうと息も荒くなる。大きなガラス窓についた手から、ひんやりとした温度が伝わってきた。

 あわただしい足音が響き、霧の向こうから黒い制服の人たちが近づいてくるのが見える。鬼切だ。

 僕は彼らの前に立ちはだかるように、腕を道へと伸ばした。その途端、僕の腕に巻き付いていた植物たちは、彼らの前方をふさいでいく。


「外彦くん、何を……」

「立ち去ってください」


 先頭に立っていた桂坂に宣告する。僕の切羽詰まった声色に、彼女は腰に吊った刀へと手をやったようだった。他の犬崎班の面々も、僕の姿に――植物に半身を覆われた僕の姿に、言葉を失っていた。


「ごめんなさい、僕はもう……」

「――外彦くん!」


 響き渡った聞き覚えのある声に、聞こえるはずのない声に、僕は地面に落としかけていた視線を前へと向ける。


「……犬崎さん?」


 不機嫌そうな顔を焦りでゆがませ、手足が生えた五体満足の姿で


「え……、なんで、死んだはずじゃ……」


 確かにこの目で見たはずだ。つい昨日犬崎は、鬼に下半身を食われているはずなんだから。あれで生きていられるわけがない。

 見つめあう僕たちの間に、黒い泥が波打った気がした。次の瞬間、音もなく地面から少女が生えてくる。


「沼御前に助けられた。今、体の下半分は沼御前で補われている」


 僕は少女と犬崎を交互に見比べる。犬崎の足がゆらりと揺れた気がした。


「向井堂のことは残念だったが……」


 犬崎は苦しそうに視線をそらす。僕はそれでも声を張り上げた。


「な、なんでまだ鬼切にいるんですか! 鬼切はあなたを見殺しにしたっていうのに!」


 半ば泣きそうになりながら叫ぶと、犬崎は冷静に僕の目を見て答えた。


「誤解だ。俺とあいつがおとりになったのは俺たちの判断だ。上が俺たちを見捨てたわけじゃない」


 僕はよろめいて一歩後ずさる。そんな、じゃあ僕が裏切ったのは全部勘違いで。犬崎はそんな僕に手を差し伸べてきた。


「戻ってこい、外彦くん。まだ間に合う」


 僕はその手を取ろうと手を伸ばしかけ、すぐにだらりと腕を下ろした。


「も、もう遅いんです。だって僕は、みんなを裏切って、降姫を人質に取られて――」


 裏切った罪悪感と、人質である降姫への思いがあふれてぐちゃぐちゃになり、僕はぎゅっとこぶしを握り込む。犬崎はそんな僕をじっと見つめた後、口を開いた。


「できれば言いたくなかった」


 言われた意味が分からず、僕は犬崎を見る。うるんだ視界の中で、犬崎はやっぱり僕をまっすぐ見つめていた。


「そこに彼女はもう、いないんだ」


 ゆっくりとその言葉を飲み込む。彼女。きっとそれは降姫のことで。


「いないって、どういうことですか」


 今度は犬崎は数秒押し黙った。その代わりに、僕の視界の端に赤色の着物を着た少女の姿が映った。


「降姫……?」


 そこにいるはずのない彼女に目を向ける。彼女は悲しそうにこちらを見ていた。


「彼女は俺たちには。最初はそういう鬼なのだろうと思った。だが違った」


 なんだ。何を言っているんだ。僕はそれを必死で否定しようと、少女に手を伸ばした。


「降姫……!」


 しかし――僕の手は、彼女の体をすり抜けた。そこにいたはずの降姫はかすみのように消え去り、僕は呆然と自分の手を見下ろす。


「外彦くん。君が、


 目の前に窓がある。大きなガラスが僕を映している。夕焼けの最後の光が差し込み、ガラスにはっきりと僕の姿を映し出す。




 そこには、外彦の服を着た――




 姿

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