第6話-03 決別

 鬼の目が僕を見る。真っ赤な目がこちらを見る。その瞬間、僕は急に視界が狭まった気がした。

 足元に広がる赤色、混乱、怯え、恐怖、混乱。しかしそれよりも湧き出てきたのは――怒りだった。

 鬼の手が僕へと振り下ろされる。飛び退った僕の手には、いつの間にか足元に落ちていた犬崎の刀が収まっていた。


「せぁああああああ!!」


 雄叫びを上げながら鬼に切りかかる。鬼はそれをまるで子供にしているかのようにやすやすと振り飛ばし、僕は犬崎のすぐそばまで弾き飛ばされる。足元に広がる犬崎の血は赤色よりも黒色の方がまさっていた。

 僕はぎりっと奥歯を噛みしめ、鬼を睨みつけた。構えた腕に、刀に、次々と目玉が現れる。興奮で真っ赤に染まる視界の中で、まるで顔中に目がついているかのような鮮明さで鬼だけははっきりと見据えていた。


「あぁあああああ!」


 切り掛かり、弾き飛ばされ、切り掛かり、振り払われる。

 遊ばれている。頭の奥でそう理解しても、僕にはそれ以外のことをするという選択肢はなかった。

 五度目の交錯。不意に、鬼が何かに足を取られたように体勢を崩した。すかさず僕は、地面を蹴り、がら空きになった鬼の首を狙って刀を薙ぐ。

 鬼は苦悶の声を発しながら、地面へと倒れこんだ。僕はその機を逃さず、鬼の上へとのしかかり、その首へと何度も刀を振り下ろした。


「よくも! よくもよくもよくも――!!」


 刀を振るうたびに血が飛び散り、最初蠢いていた鬼もやがて動きを止めていく。


 一度。動脈を切り裂き。

 二度。気管を切り裂き。

 三度。骨をへし折り。

 四度。顔へと刀を振り下ろし。

 五度、六度、七度ーー


 鬼が沈黙した後も、僕は刀を振り下ろし続けた。鬼の血は黒い足元に吸い込まれていき、足元の肉は徐々に原型を失っていく。


 数分だったのか、数刻だったのか。

 唐突に赤色の水音を響かせていた僕を、後ろから羽交い締めにする人物がいた。


「外彦くん」


 冷たい印象を受けるその女性の声は、僕の頭上で淡々と事実を述べた。


「もう、死んでます」


 刀を取り落とし、目の前の鬼の残骸を見る。震える手は赤く染まり、足元は黒い水たまりになっている。落ちるように拘束から逃れた僕は、地面に膝をついて、慟哭した。






 目を覚ますと見知った天井があった。首を巡らせるとどうやら鬼切の自室のようだ。全身がだるく、喉がからからに乾いている。体を起こすと僕が目覚めたことに気づき、降姫がベッドのそばへと駆け寄ってきた。


「外彦くん……あの……」


 きっと降姫は慰めの言葉を発しようとしていたのだろう。僕はそれを受け止めることもできず、涙も枯れた目でぼんやりと手元を見つめることしかできなかった。

 二人は死んでしまった。こんなにあっさりと。浮かんでくる涙をこらえられず、僕はうつむいて膝を立てた。

 どうしてこんなことに。もっといい選択が僕にはあったのかもしれないのに。後悔と悲しみでどうにかなってしまいそうな気分でいると、部屋のドアがノックもなく開き、一人の女性が入ってきた。


「ああ、起きましたか」


 冷たい印象を受ける彼女は、たしか、犬崎班副官の桂坂だ。


「外彦くん。あなたは謹慎です。部屋から出ずに待機をしているように」


 それだけを言って立ち去ろうとする桂坂を、僕は慌てて立ち上がって呼び止めた。


「待ってください!」


 どこか不機嫌そうな眼差しがこちらに向けられる。僕はそんな彼女を睨みつけた。


「なんで二人がおとりになったんですか」


 彼女は一瞬だけ言葉に詰まったようだった。しかし、すぐにいつも通りの鉄面皮に戻ると、ただ一言端的に答えた。


「上からの命令です」


 その言葉をすぐに飲み込めないでいる僕に、彼女は重ねて宣告する。


「あれほどの鬼を野放しにするわけにはいきませんので」


 僕は一気に頭に熱が集まるのを感じた。ぎゅっとこぶしを握り、泣きそうになる目を床に向ける。


「だから……だから二人を見殺しにしたんですか」


 涙でうるみそうな声で問う。桂坂は一言で答えた。


「あそこで逃げなかったのは、最善の手だと私は考えます」


 ――限界だった。

 僕は桂坂を突き飛ばして、涙でゆがむ視界のまま部屋の外へと駆けだした。






 何度もしゃくりあげながら、僕は霧深い街を歩いていった。

 本部を飛び出したところで行く当てもない。だけどあれ以上本部にいたくない。犬崎さんと向井堂さんを見捨てた鬼切なんかに。

 壁を背にして道端にしゃがみ込む。声は必死に押し殺していたが、あふれ出る涙はどうしても止められそうになかった。


「……あれ?」


 聞き覚えのある声が響き、僕は顔を上げる。そこには警察服を着た十賀淵の顔があった。


「どうしたの、外彦くん。こんなところで」


 心底こちらを心配しているのが分かるその表情に、僕は情けなくすがりついてしまっていた。


「十賀淵さんっ! 犬崎さんが、向井堂さんがぁ!」


 しどろもどろになっている僕の話を、十賀淵は親身になって聞いてくれた。


「それでっ、急いで行ったんですけどっ、間に合わなくてっ……」


 しゃくりあげながらの僕の言葉を聞き、彼は顎に手をやって少し考え込んだ。どうしたのかと尋ねようとした寸前、十賀淵は僕に向き直って尋ねてきた。


「前に捜査協力を頼んだのを覚えているかい?」

「へ、あ、はい……」


 僕がうなずくと、十賀淵は僕に顔をさらに寄せて、小声でささやいてきた。


「実は鬼切の上層部に駅から鬼欠片を密輸しようとしている輩がいるらしくてね。駅付近はたしか犬崎班の担当だったはずだから、それが目障りでもしかしたら――」


 急激に頭の底が冷えていく思いがした。まさか、そんなことのために二人は殺されたっていうのか。


「確証はないけどそうかもしれない。だから君に手伝ってほしいんだ」


 涙は止まり、僕はふつふつと沸いて出る感情を抑えきれないまま、十賀淵を見返していた。


「だから、駅の警備の配置資料を持ち出してくれないかな」


 はいちしりょう。

 そう復唱すると、十賀淵は重々しくうなずいた。

 資料を持ち出す。それはつまり鬼切を裏切るということだ。確かに助けてもらった場所だけれど、犬崎さんと向井堂さんがいないのなら、きっと僕があそこに留まる意味もない。

 少しだけ視線を下にして逡巡していると、十賀淵は「ああそうだ」と付け加えてきた。


「……もし協力してくれるなら降姫も一緒にここに来てね。バレたら鬼切に捕まっちゃうから」


 手帳のページを破った地図を、僕に手渡し、十賀淵は僕の前から去っていった。





 鬼切を裏切るのは危険なことかもしれない。だけど、それで鬼切の上層部が正されるのなら、犬崎さんたちの仇が取れるのなら。

 だったら、僕は。





 自室のドアを引き開け、僕は彼女に手を差し伸べる。


「行こう、降姫」


 彼女はその手を取らないまま、こくりとうなずいた。

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