第6話

第6話-01 臨塔正孝

 とっさに降姫をかばいながら飛びのけたのは幸運だった。

 僕たちの前に現れた男――臨塔が手のひらを下にすると、ぱらぱらと種のようなものが地面へと落ちていった。その途端、地面から噴き出してきた弦が僕たちめがけてとびかかってきたのだ。

 残っていた数名の鬼切も、それを見て抜刀する。僕は腰の刀に震える手を置いた。


「なんで、あいつがここに……」


 臨塔正孝。かつて僕と降姫の監視役をつとめていた男。僕たちをおとりに退魔を行う集団のうちの一人。あいつらに捕まりたくなくて一緒に逃げてきたのに。僕たちはどこに行っても逃げられないのか。

 がくがく震える足をなんとか動かし、降姫を屋内へと押し込む。


「降姫、隠れてて」


 彼女の目にはわずかに涙が浮かんでいた。ここで捕まれば連れ戻されてしまう。せっかく、僕たちが暮らせる場所に来たっていうのに。


「あいつは僕が倒すから」


 刀を抜きはらい、屋外へと駆け出る。植物の中心に立つ臨塔と目があった。


「降姫は守ってみせる」


 にやにやと嫌な笑みを浮かべる臨塔が怖くないわけがない。だけど、それでも僕は震える手で魔食刀を構えた。


「だって僕は外彦なんだ!」


 臨塔は動きを止め、首を傾げたあと、心底おかしそうに腹を抱えて笑い始めた。


「お前が外彦? 外彦だと?」


 下品な笑い声が通りに響き渡る。一体何がおかしいのか。理解できずに僕は彼を睨みつける。

 だんだん濃くなっていく霧の中に、断片的な光景を見た気がする。

 降姫と僕が遊ぶ姿。外彦が襲名する姿。外彦が降姫を守って戦う姿。そして外彦が降姫を守れなかった姿。




 僕は、外彦だ。

 そうでなければ、どうしてこの光景を覚えているっていうんだ。




 頭痛をこらえて臨塔へと刃を向ける。彼の前にはうねうねと蠢く植物の弦があった。ここで退くわけにはいかない。ここを通したら降姫が連れていかれてしまう。


「やぁあああ!」


 地面を蹴り、植物へと切りかかる。しかし僕の刀は弦に阻まれてしまい、一本二本は切り捨てられても、それ以上の奔流が植物の根元からあふれ出してきていた。


「駄々をこねるのも大概にしてくださいね」


 あっという間に手足を拘束され、臨塔のほうへと引き寄せられる。このまま殺されてしまうのか。そう覚悟して目をぎゅっとつぶったその時、目の前に広がる光景があった。



 布団が血で濡れていた。

 その赤色はおびただしく、だけどすっかり乾いてしまったように見える。

 布団の上に僕は立ち尽くし、その足元にはひとつの亡骸があった。

 それは白く染まる庭が見える部屋、あの日の冬の――



 何かを切り裂く音で、僕はハッと正気に戻る。僕の前には植物の根元近くを切りつけた犬崎の姿があった。臨塔はそんな僕たちを笑い飛ばした。


「ハハ、随分と過保護なことだ」


 臨塔の周囲には鬼切の面々が抜刀して立っている。彼はそれを見ると、多勢に無勢と理解したのか、地面に種を数粒落とすと、鬼切たちの合間を縫って逃げ去っていった。

 鬼切のうち数名はそのあとを追っていったが、犬崎は僕の前に残っていた。


「犬崎さん……?」


 彼はすぐに言葉を返さなかった。その代わりに、その顔は苦悶にゆがんでおり、いっそ泣き出しそうにも見えた。


「――なんて、なんてことだ」


 小さく呟かれた言葉の真意を、僕は理解できなかった。





 暗澹たる気分で本部に戻った翌日、僕に下った指令は予想外のものだった。


「本部で待機、ですか?」


 直々に命令を下しにきた犬崎は、普段通りのいかめしい顔で僕を見下ろしていた。


「臨塔正孝」


 告げられた名前に僕は顔をこわばらせる。犬崎は淡々と業務事項を伝える口ぶりで言った。


「彼はジョロウグモと関わっている可能性が高い」


 そうではないかと思っていた。あの会議の時に聞き逃してしまったのは、やはりあいつの名前だったんだ。でもだったらどうして僕が本部で待機なんか。


「君とは因縁浅からぬ様子だったが」

「だから、僕も捜査に参加したいんです!」

「だからだ」


 犬崎は強く僕を否定する。


「因縁のある奴を捜査に加えるわけにはいかない。引き際を見誤りかねないからな」


 僕はその圧力に屈してしまいそうになるのをなんとか踏みとどまり、重ねて尋ねた。


「本当にそれだけですか」


 犬崎は言葉に詰まったようだった。この人は思いのほか感情が顔に出る人だ。だから、これが理由のすべてではないことはすぐに分かる。


「どうして僕を前線に出してくれないんですか」


 彼は答えない。僕は、さらに尋ねた。


「あの時、何か見たんじゃないんですか?」


 犬崎は答えなかった。あの時、僕が霧の中に記憶を見たあの時から、犬崎はどこかおかしかった。僕と視線を合わせたがらないし、こうやって僕を前線から遠ざけようとしてくる。

 数秒間睨みあったころ、犬崎はふと僕の後ろに目をやった。


「向井堂、あとは頼んだ」

「はいはいーっと」


 いつの間にか背後に立っていた向井堂に羽交い絞めにされ、歩き去っていく犬崎のことを追いかけられなくされる。僕は最初、ばたばたと足を動かしていたが、僕を抱える腕がびくともしないことを知ると、振り返って向井堂を睨みつけた。


「何するんですか! 僕はまだ犬崎さんに話が!」

「前線に出られないことか?」


 図星をつかれて僕はむすっと唇を尖らせた。向井堂はそんな僕を地面に下ろすと、向き直らせて両肩に手を置いた。


「そうはいっても、今回お前は現場でかなりひどい状態だっただろ? それをまた現場に送り込むほど犬崎隊長は非情じゃないってことじゃないか。何が不満なんだ?」


 ぐうの音も出ない正論だった。僕はちょっとうなった後、それでも残ってしまった苦い思いをぼそりと口に出した。


「昨日、殺されたのって、全然悪い人じゃなかったんです」


 目を伏せて、拳を握り込む。そうでもしないと、泣き出してしまいそうだった。


「なのにみんなあっさり殺しちゃって……鬼切ってそんなところなんですか」


 向井堂は僕から手を放し、頭を何度かかいてから、僕に視線を合わせた。


「すぐに割り切れとは言わないがな」


 彼はきゅっと何かを我慢しているような表情になった。


「慣れていかないとつらいぞ」


 それが答えのようなものだった。僕はそんな彼と目を合わせたくなくてそっぽを向き、またぽつぽつと文句らしきことを言った。


「犬崎さん、僕の昔のこと知ってるみたいなのに教えてくれないし、僕は臨塔のことを追い返さなきゃいけないのに……」


 ぶつくさと呟く僕を見て、向井堂は大きく息を吐くと、僕の頭をぽんぽんと撫でてきた。


「そんなに現場に行きたいなら支援部隊に混ぜてもらえばいい」


 帽子のつば越しに見上げると、向井堂はいつも通りに明るく笑っていた。


「俺が口利きしてやるからさ。それでいいだろ?」

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