第4話-04 笑鬼の正体
標的は薬屋付近に出没し――
警官数名を殺害――
桂坂と接敵するも逃亡――
無線から聞こえてくる情報を頼りに、路地を駆け抜ける。僕の推測が正しければ、笑鬼は僕のところにやってくるはずだ。
「僕はここだ!」
ちょうど街灯の死角になる街角で立ち止まり、声を張り上げる。その声は霧の中を突き抜けるかのように響きわたり、僕はもう一度息を吸い込んだ。
「外彦は――僕はここだぞ!」
仁王立ちになって何度も声を上げる。拳を握る。膝が笑ってしまいそうだ。
話が通じない相手だったらどうしよう。そんな恐怖を押し隠し、僕はもう一度声を上げようと口を開く。
霧の向こう側から人影が現れたのはその時だった。
「と、外彦くん!? どうしてこんなところにいるんですか!」
駆け寄ってきた人影――歌歌は僕の前に膝をつくと、僕に怪我がないかと全身をぱたぱたと探ってきた。
僕が怪我をしていないことを確認すると、歌歌は大きく一度ため息をついてから僕に視線を合わせてきた。
「ここは危ないですよ、早く本部に戻って下さい!」
僕は一度目を伏せ、そうしてからぐっと真面目な顔を作って歌歌に切り出した。
「話があるんです」
きょとんと歌歌は目を丸くする。僕はこのまま聞かないでいたいという思いを無理矢理押し殺して、その言葉を発した。
「歌歌さん。……あなたが笑鬼ですよね?」
虚を突かれた。歌歌の表情は、そんな言葉が似合うようなものだった。
その顔を見てもしかしたらこの推測は間違いであったのでは、という思いに駆られる。いや、間違いであってほしいのだ。こんなものはただの推量なのだから。
「えっ、急にどうしたんです? どうしてそう思ったんですか?」
歌歌は立ち上がり、いつも通り優しい、だけど困り切った様子で首を傾げる。僕は葛藤を表に出さないように顔をひきしめた。
「どうして前線まで出てきているんですか。支援部隊なら後方にいるはず。不自然です」
「……それだけで?」
彼女の一言は冷え冷えとした響きで僕たちの間に落ちた。だけどここで引くわけにはいかない。だって僕は鬼切なのだから。
「笑鬼は音一つたてずに犯行を繰り返しているんですよね。音使いであるあなたならできるはずです。それに――」
一度言葉を切り、僕は彼女の目を見る。鮮やかなエメラルドグリーンの瞳を見る。
「それに、笑鬼のあの緑色の目は、僕のことを心底心配している目でした」
歌歌は無表情だった。僕は悲しみが押し寄せてきて、目を伏せた。
「……だからここに僕がいるって叫べば出てきてくれると思ったんです。僕のことを心配してくれているあなたなら、きっと来てくれるって。たとえそれが……笑鬼として振る舞っている最中だとしても」
十数秒の沈黙。それを破ったのは、ぽつりと呟かれた歌歌の声だった。
「まあ、はい」
僕は視線だけで彼女を見る。彼女は今まで見たこともないほど奇妙な表情をしていた。目は見開かれているというのに口はいびつに歪んでおり、笑顔なのかどうかすら分からない表情だ。
「そろそろバレるんじゃないかと思っていたところです」
ただの世間話をしているかのような声色で、歌歌は肯定する。
しまった。やっぱり一人で会うべきじゃなかった。きっと彼女は説得に応じてくれない。
しかし彼女はそんな表情のまま、歌でも歌うかのように言った。
「もしかしたら犬崎隊長は薄々気づいていたかもしれませんね。だけど、確証がないそれを黙認していたのかも」
歌歌は、爛々と輝く瞳を僕に向けてくる。
「見逃してください。犬崎隊長が私にしたように」
その申し出に僕は首を縦に降らなかった。一歩も引かずに、両足をうんと踏みしめる。
「見逃せません」
僕の言葉を受けて、彼女は何度か瞠目した。僕は震える声を悟らせないように、声を張って宣言した。
「どんな理由があろうと、あなたはたくさんの鬼を殺して食べた犯罪者なんです!」
その拒絶を受けて、彼女は急にいつも通りの優しい笑顔に戻って言った。
「若いわね……でもそれが君のいいところかも」
彼女の言葉の真意を掴みかね、だけど頭の冷静な部分で自分のすべきことは分かっていた。
「笑鬼を見つけました。応援を願います」
歌歌を睨みつけたまま、腰に吊った無線で連絡する。雑音混じりではあるが反応が来る。もう数分も経てばこの場に鬼切が到着するだろう。僕がすべきなのは、それまで彼女をここにとどまらせること。
「歌歌さんは」
ここから逃がさないために、浮かんでしまった疑問を晴らすために、僕は歌歌へと問いかける。
「……元は人間だったんですか?」
ぼそぼそと尋ねると、彼女は吹っ切れた表情で返してきた。
「まあね。鬼を食べ過ぎて、もうきっと半鬼とすら呼べなくなっているだろうけれど」
鬼を食べる人間。蛤様から聞いた情報。彼女の目的はきっと復讐だ。だけど。
「そんなになってまで、歌歌さんは――」
泣きそうな気分になりながら僕は口を開きかける。しかしその時――銃声が鳴り響き、棒立ちになっていた僕に彼女は覆い被さってきた。
「う、ぐ……!」
銃弾が何発か彼女の背中に命中し、僕の足下にぱたぱたと血が落ちてくる。彼女は銃声がした方向を振り向くと、とても人が出せるものとは思えないほど甲高い音を口から発した。すると銃声は止み、僕は彼女の腕の中から解放される。
「……なんで」
どうして庇われたのか分からず、僕は顔をゆがめる。歌歌は膝を払いながら立ち上がった。
「私は、家族を殺した警察と無法者が嫌いなだけなんです。それ以外はむしろ好き、なんだと思います」
腰をかがめて、歌歌は僕に視線を合わせる。
「犬崎隊長や君のような存在でも多分、ね」
頬に優しく触れられる。ごつごつとした皮の感触が肌を撫でていった。僕は迷子になったかのような気分になって、困惑の目を彼女に向ける。彼女は立ち上がって背筋を伸ばした。
「さてと」
霧の向こうから追手がこちらを探す音が聞こえてくる。
「ここで一旦お別れです。また会うことにはなるでしょうが、その時は敵同士ってことになりますね」
「ま、待っ……!」
歩きだそうとした歌歌を引き留めようと手を伸ばす。しかし彼女はその手を引き寄せて、僕の額にキスを落としてきた。
「外彦くん、どうか元気で」
それだけを言い残し、歌歌は壁を蹴って何処かへと逃げ去っていった。
僕は、手を引かれた勢いのままに転倒し、その後ろ姿を泣いてしまいそうになりながら見送ることしかできなかった。
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