第5話

第5話-01 鼻つまみ者

 事件から三日が経ち、自室謹慎を言い渡された僕は、ベッドの上で膝を立てて座っていた。膝に顔を埋めてぼそりと言葉を漏らす。


「……僕のせい、だったりするのかな」


 僕の証言と歌歌の失踪という事実を受けて、歌歌が笑鬼であったという認識は鬼切中に広がっていた。

 最初は懐疑的な見方もあったようだが、彼女の残していった荷物の中から笑鬼の所持物が出てきたようで、そういった意見も消えていった。


「外彦くんは悪くないよ」


 すぐ隣から声がする。顔を上げると、僕のベッドに降姫が腰掛けていた。


「外彦くんは正しいことをしたんだよ」


 僕は泣きそうな気分になってすぐそこにある彼女の手に手を伸ばす。しかし彼女はその手を引っ込めて、僕に触れられないようにしてしまった。

 こんな時でも彼女は僕に呪いが移らないように考えているんだ。僕はなぜか悲しくなって再び顔を膝に押しつけた。

 単調なノックがドアのほうから響いたのはその時だった。


「あ、はい!」


 寝間着のままだったが着替える暇もない。慌ててドアを押し開けると、そこにはいつも通りしかめっ面をした犬崎が立っていた。


「外彦くん、会議に行くぞ。着替えなさい」


 それだけ言うと、犬崎は戸を引いてぱたんと閉じた。ドアの向こうにもたれかかったような音もしたので、どうやら着替え終わるのを外で待ってくれるという意味のようだ。僕は慌てて寝間着を脱ぎ捨てて、ぶかぶかの軍服をハンガーから引き下ろしてきた。

 洗濯係の人が洗ってアイロンをかけてくれたシャツに腕を通し、もたもたと小さいボタンを留める。降姫に後ろを向いてもらい、ズボンにも同様に足を突っ込んで、最後に上着とコートを羽織ってベルトを締め、完成だ。


「準備できました!」


 声を張り上げると、犬崎はドアを開け――部屋の中へと目をやった。


「外彦くん。今日は降姫も連れてきてくれ」


 きょとんと僕は目を丸くし、背後の降姫を振り返った。降姫も僕同様に事情が掴みきれないようだった。

 返事を待たずに犬崎は部屋から出ていってしまった。僕はその背中を追いかけ、振り向かないままの彼に尋ねた。


「会議って、犬崎班の会議ですよね?」

「いや、今日は違う」


 珍しく緊張しているかのような硬い声色で、犬崎は答えた。


「鬼切の幹部会議だ」






 僕が連れていかれたのは、本部の片隅にある犬崎班の領域とは違う、もっと奥に位置する広大な会議室だった。正確には数えられないが、ゆうに五十人は収容できそうな広さだ。

 犬崎は入室すると、会議室の一番端の席に腰掛けた。僕と降姫もそれにならってすぐ横に腰掛ける。


「あの、犬崎さん。どうして僕が……」

「揃ったようだな。それでは会議を始める!」


 僕の問いかけとほぼ同時に、会議開始の音頭は取られた。僕は慌てて背筋を伸ばすと、会議室の最奥に座る老齢の男性を見た。


「最初の議題は笑鬼についてだ」


 重々しく告げられたその議題に、僕は緊張から唇をきゅっと引き絞った。男性は周囲を見回すと、朗々とした声で告げた。


「知っての通りだが――笑鬼は我が鬼切の一員だった。犬崎班担当の支援部隊だった女だ」


 ざわっと会議室中にざわめきが走った。もはや公然の事実として認識されていたとはいえ、こうやって改めて言われることはやはり動揺を誘うもののようだ。


「犬崎班は身内から裏切り者を出した上に、むざむざと取り逃がしたそうではないかね。どう責任を取るつもりかね」


 最奥の男性はトントンと指で机を叩いてみせた。今や会議室中の視線は僕たちへと向けられていた。僕は耐えきれなくなって縮こまってしまう。


「まさかお前たちも笑鬼とグルなのではないか」


 ぼそりと誰かがつぶやいた言葉に呼応して、ざわめきは徐々に広がっていった。


「お前たちも裏切り者か」

「以前から分かっていたことだろう、あいつらは――」

「いっそのこと犬崎班を取りつぶしにしたほうがいいのではないかね」

「そうだ。それを検討すべきだ!」


 ざわめきはだんだんと僕たちを紛糾する声へと変わっていき、僕は膝の上で拳を握りしめることしかできなかった。

 悔しい。たしかに身内から裏切り者を出してしまったのは事実だけれど、ここまで言われる必要があるのか。

 歯を食いしばってそれを耐えていると、それまで黙っていた犬崎は唐突に声を上げた。


「――皆様方!」


 凛としたその声に、会議室は静まりかえる。犬崎は糾弾の声にも一切動揺する様子を見せず、ピンと背筋を伸ばして僕の隣に座っていた。


「罰ならば私がいくらでも受けます。ですが――犬崎班には犬崎班でしか御せない存在がいるというのも事実でしょう」


 会議室中が静まりかえった。

 何のことか分からずに犬崎の顔をのぞき込むが、彼はまっすぐに彼らを見つめていて僕に視線を向けることはなかった。


「笑鬼の確保に犬崎班は全力を尽くします。そこに情を挟む余地はありません。我が班はそういったものに鈍感ですので」


 皆様もご存じのことでしょう?

 ほんの少しだけ口角を上げ、にやりと犬崎は笑む。会議室には沈黙が落ち、数秒後になって最奥の男はごほんと咳をした。


「まあその、それならばいい。笑鬼の追跡は続けたまえ」


 しっしっと手首を払われ、そのぞんざいな扱いにむっとしてしまう。


「次の議題に移るが、いいかね?」


 最奥の男の言葉に異議を唱える者はいなかった。次の議題が何なのか聞き逃さないように前のめりになったその時、突然男の視線が僕へと向けられた。


「それで、ソレがその――外彦と降姫かね?」


 急に名指しされ、僕は緊張で体を強ばらせる。

 僕が議題? 僕が何かしてしまっただろうか。もしかして笑鬼を見つけたこととか――

 しかしその予想は忌々しそうな視線で覆された。


「能力もさだかではない半鬼を鬼切に入れるなど、正気ではない」


 予想外の方向から責められ、僕は思考が追いつかないまま呆然とする。


「ここは鬼を切る組織なのだぞ? 分かっているのかね君」


 男の言葉に賛同するように、周囲の会議参加者からは僕を睨みつける視線が突き刺さってきていた。

 悲しい、苦しい、いたたまれない。

 僕は鬼切の一員として頑張っているだけだっていうのに、どうしてこんな視線を受けなきゃいけないのか。

 涙をこらえてうつむく。それでも敵意の視線は相変わらずそこにあったようだったが――それをものともせずに犬崎は口を開いた。


「彼の手綱は私がしっかりと握っています。鬼切にとって害があるものではないと考えます」


 ほんの少し、僕に向けられていた視線は犬崎に向いたような気がした。潤む目で彼を見上げると、犬崎は相変わらず汗一つかかずに前を向いていた。

 最奥の男はそんな犬崎に気圧されたような顔をした後、ぼそぼそと尋ねてきた。


「……沼御前はちゃんと御しているんだろうな。餌は与えたのか」

「問題ありません。彼女は私の支配下にあります」


 犬崎の声は揺るぎない響きで僕の鼓膜を揺らした。沼御前を御す。制御するという意味だろうか。犬崎と沼御前はそんな上司と部下のような関係なのか。そうは見えなかったけれど。


「まあいい。信用しようじゃないか」


 男はため息をついた後、机を叩いていた指を僕へと向けた。


「だがそいつらが裏切るようであれば、貴様の椅子は鬼切にないと思え」


 その眼光は鋭く、それが脅しでもなんでもないということを示していた。犬崎はその視線を受け取り、ただ一言「はい」と答えた。

 犬崎の答えに満足したのか男は、傍らに立つ女性から書類を受け取った。


「では、次の議題に移ろう」


 ようやく自分たちから議論の矛先が逸れたことに安心し、僕は背もたれにぐったりと体を預けてしまっていた。


「最近、特殊な鬼欠片が出回っているらしくてな」

「取り込むと、自我を失ってただ暴れるだけの獣のような鬼と化してしまうらしい」

「幸いまだ甚大な被害は出ていないが、じきに……」


 進んでいく議論と報告をぼんやりと聞く。きっと重要な内容なのだろうが、なんとなくしか頭に入ってこない。――しかしその時。




「外から来た■■■という男が――」




「……え?」


 まるで周波数の合っていないラジオを聞いているかのような音が鼓膜を揺らし、思わず僕は声を漏らしてしまう。そんな僕の反応に気がつかないまま、会議は進んでいく。


「疲れてるのかな……」


 ぼそりとつぶやいて手元を見る。その手は異様に小さく、刀なんて握れやしないような形をしている気がした。






 会議が終わり続々と参加者が退出していく中、僕たちと犬崎は端の席に座ったままでいた。


「大丈夫か、外彦くん」

「え、あ、はい、大丈夫ですっ」


 ぼーっとしていた中に声をかけられ、僕は慌てて返事をする。犬崎はそんな僕の帽子のつばを持ち上げ、僕の顔を覗き込んできた。


「顔色悪いぞ」

「ひゃい……すみません……」

「謝らなくていい」


 帽子を元に戻し、犬崎は背もたれに体重をかける。ちらりと窺ったその表情には珍しく疲れの色が含まれているような気がした。


「すまないな。こんなところに連れてきてしまって」

「い、いえっ、僕が来る必要があるっていうのは理解したのでっ」


 ちょっと飛び上がって僕は返事をする。犬崎はそれに答えず、僕たちの間には居心地の悪い沈黙が流れた。

 それに耐えきれずに僕は、思い切って犬崎に尋ねてみることにした。


「あの、他の鬼切の人って、なんであんなに僕たちのことを……」


 犬崎は言葉に詰まっているようだった。口を真一文字に引き絞り、遠くを睨みつけて十秒ほど経った頃、ようやく彼は口を開いた。


「暗都警察が鬼による組織なら、鬼切は人間が主導して作った自治組織だ」


 ぽつりと彼はつぶやく。僕は複雑な表情をしている彼の顔を見ながら、その言葉を受け止めていた。


「人間が人間のためにこの街の平和を守る組織。そんな中に、人間なのかそれとも鬼なのか分からない連中がいたら、警戒するのは当然だ」


 たしかにそうだ。もし逆の立場だったら僕だってそうするだろう。そしてそれは、僕のせいで犬崎を不利な状況に立たせてしまったということで。


「あの、ごめんなさ……わぷっ」


 謝りかけた僕の帽子を、犬崎は上から押さえつけた。撫でられたのだと数秒遅れて僕は気付く。


「外彦くんが気に病むことじゃない」


 帽子に隠されて犬崎の表情を窺い知ることはできない。だが、彼はまっすぐに僕のほうを向いて言葉をかけてくれていることはすぐに分かった。


「君は俺が拾ったんだ。君が生き残るための術は、俺が全て教えよう」


 正面からの言葉に答えようと口を開きかける。そんな僕から犬崎は手を離し、椅子から立ち上がった。


「だから――死んでくれるなよ」


 ようやく帽子を持ち上げた僕に見えたのは、いつも通り堂々と歩く犬崎の後ろ姿だった。僕は今し方かけられた言葉を反芻しながらその背中を追いかけた。


「……はい、犬崎さんっ!」

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