第3話-03 人肉装置

 その森には血の匂いが満ちていた。

 月が煌々と輝く夜。小柄な体には見合わないほどの刃を構えて、外彦はそれを向かい討つ。人間と同じぐらいの体長を持つその鬼は、数体が外彦たちを取り囲み、その周囲にもこちらをうかがう個体がいるようであった。


「やぁああああああ!」


 雄たけびを上げながら、外彦は刃を振り下ろす。すぱん、と軽々と鬼の手は両断され、ガラ空きになった首を彼は跳ね飛ばした。

 鬼たちが囲う中心には、降姫が震えていた。外彦に言われた通り、しゃがみ込んで外彦の戦いが終わるのを待ち続ける。


 十数分だったのか、数十分だったのか。やがて息を切らしてきた外彦に、鬼はいっせいに襲い掛かる。もはやこれまで、と思われた瞬間、光の矢が降り注ぎ、鬼たちは一匹残らず打ち倒されてしまった。

 気配を殺して近づいてきていた別動隊は、来た時と同様に音もなく消えていく。そんな中、一人の男が降姫たちに歩み寄ってきた。


「お疲れさまでした。降姫様におかれましては、お役目を果たされましたようで何よりです」


 降姫の役目は退魔の囮になることだ。生まれつき鬼に狙われやすい一族に生まれた降姫は、そのためだけに生かされ続けていた。


「次も、逃げずにお願いしますよ」


 へばりつくようなその言葉に、降姫は顔をうつむかせることしかできなかった。






 ぱちりと目を開くと、そこは見知らぬ部屋だった。

 灰色の壁には一切の装飾はなく、だけど床にはところどころに赤黒いシミが付着している奇妙な部屋だ。僕が体を起こすと、ちょうど部屋の対角線に位置する場所に何に使うのか分からない巨大な装置が置いてあることに気がついた。


「お? 起きたか、坊ちゃん」


 すぐ隣から声がして、慌ててそちらを振り向く。そこには気絶する直前に見た覚えのある男の顔があった。


「起きないほうが良かったかもなあ」


 見るからに友好的ではないその男を見て、僕は腰につってあるはずの刀に手をかけようとした。しかしその手は宙を掴むことになる。

 刀の不在に気づいた僕は、自分がコートを脱がされていることにも気がつき、警戒と恐怖から目の前の男を睨みつけた。


「俺? 俺たちはブローカーだよ。鬼欠片を作るエキスパートってやつさ」


 自分たちが何なのか尋ねられていると思ったのだろう。聞いてもいないのに、男はニヤニヤと笑いながら僕を眺めまわし続けた。

 その時、ドアが開かれて二人の男が部屋に入ってきた。男の肩には手足をだらりと脱力させた子供が担がれており、何故かその少年は全裸にされていた。


「お。用意できたか?」


 男の問いに、彼は嫌な笑みを浮かべる。一緒に入ってきた男が装置の電源を入れたようだった。


「おら、よーく見とけよ、これからお前がなるものなんだからな」


 無理やりに立たされ、僕は装置のそばへと連れていかれる。なんとか逃げ出せないかと体をよじったが、男が両肩を掴む力と、怯えで震える手のせいで逃れることはできそうにない。

 装置には鋭い刃が連なった入り口があった。電源の入ったその部分は音を立てて動き、吸い込んだものを今にもぐちゃぐちゃに砕いてしまいそうなことはぼんやりとした頭でもすぐに理解できた。


「まっ……!」


 何が起きようとしているのかを察し、僕はつるされた少年に手を伸ばす。しかしすぐにその手は男たちに押さえこまれ、僕はその光景を真正面から見てしまった。


「ぎゃぁぁああああああ!!」


 足から機械に放り込まれた少年の叫びが、部屋中に響き渡る。噴き出た血が僕の顔にかかる。きっと彼は鬼だったのだろう。足を砕き、腹まで刃が到達しようとしているのに、残酷なことに彼の意識はまだあった。


「ハハハ、恨め恨め! それが俺たちの力になるんだからなぁ!!」


 腹が食い破られ、心臓もつぶされ、伸ばされていた手もだらりと落ち、白目をむいた顔が音を立てて砕けていく。僕はガチガチと歯を鳴らしながら、それを見ていることしかできなかった。


「じゃあ坊ちゃん。今度はお前の番だぜ」


 恐怖でろくに立っていられない僕の服に手をかけ、男たちはそれを無理やり脱がしていく。きっと服を着たままだと装置に引っかかって面倒だということなのだろう。

 今から僕はあそこに放り込まれて、鬼欠片になってしまうんだ。それとも、僕が半鬼で鬼欠片ができるとは限らないということを伝えれば、見逃してもらえるだろうか。

 そんなはずない。


「や、やだ、やめっ……」


 あっという間に上着を脱がされ、ナイフを引っ掛けて一気にシャツのボタンを引きちぎられる。男は気持ち悪い手つきで、僕の腰と胸を触った。


「へぇ、なんだお前」


 何がお気に召したのか、男は絶望的なまでに楽しそうな目つきで、僕を眺めまわした。 


「ちょうどいいな、楽しんで絶望させてから殺してやるよ」


 男の指がズボンに差し込まれていく。もうだめだ。僕はここで殺されてしまうんだ。

 ぎゅっと目をつぶって顔をそらしたその時、何かが飛来して、僕にのしかかろうとしていた男の側頭部を貫いた。


「え……」


 顔を上げ、崩れ落ちていく男を見る。そこに刺さっていたのは、一振りの魔食刀だ。部屋の入口には、すさまじい形相で僕たちを見る犬崎の姿があった。


「け、犬崎さん……」


 ぜえぜえと肩で息をする犬崎を見て、涙があふれてくる。男たちは一瞬ひるんだ後、僕を掴み上げて文字通り盾にした。そのころになって、追いついてきたらしい雲上と十賀淵が姿を現す。

 彼らは僕が盾になっていることによって出方をうかがっているようだった。


「ごめんなさ、犬崎さん、僕のことはいいのでっ、こいつらを倒してくださっ」


 首に腕を回されて息が苦しくなりながら、僕は必死で主張する。犬崎と十賀淵は苛立たしそうに目を細めた。


「見くびるなよ、外彦くん」

「子供一人救えないほど俺は落ちぶれちゃあいないぞ」


 直後、犬崎と十賀淵は動いた。

 十賀淵はすでに手に握っていた拳銃を構え、男のうちの一人に向けて数発発砲する。だがそれで倒れるほど彼らがやわではないことも分かっているようで、男がひるんでいるうちに牙をむき、爪を鋭くして、体を爬虫類のような姿に変えていった。

 あれが、暗都警察。市民のための鬼の組織。

 十賀淵の作った隙をついて、犬崎は最初に投擲した魔食刀に走った。柄を握り、拾い上げ、今にも十賀淵に躍りかかろうとしていた男を背中から斜めに切りつける。かなり深くまで傷は届いたらしく、男はその一撃で倒れ伏した。


「邪魔するな、鬼切の!」


 叫びながらも十賀淵は二人目の男へととびかかる。変化を終えていたその鬼は、十賀淵を迎え撃とうとしたが、十賀淵の力のほうが圧倒的に上だったらしい。男は十賀淵に叩き伏せられ、そのまま頭を食いちぎられた。

 残された一人は多勢に無勢だと気づいたらしく、出口のほうに向かって駆け出した。しかし、そこにはもう一人の人影が待ち構えていた。


「はい残念」


 黒い霧のようなもので鬼の足元をすくった雲上は、身動きができないようにその黒色で男を押さえつけた。


「大丈夫か、外彦くん!」


 刃をしまった犬崎が慌てて走り寄ってくる。僕は安堵と情けなさでぼろぼろと涙をこぼしてしまっていた。犬崎は少し戸惑った後、僕にケープを差し出してきた。


「こんなものしかないが、隠しておきなさい」


 しゃくりあげながらそれを受け取り――僕は彼の背後で立ち上がる影に気づいた。


「――犬崎さん、後ろ!」


 僕の声になんとか気づいた犬崎は、背後からの攻撃を右腕で防御することができたようだった。しかし、その腕は引きちぎられて、あらぬ方向へと飛んでいってしまう。


「ぐっ……」

「犬崎さん!」


 苦悶の表情を浮かべる犬崎に、再び飛びついて来ようと鬼は身構えている。今度は防ぐべき腕はない。とっさのことで警察が助けてくれるのも間に合わない。

 しかしその寸前に飛来した影が、ブローカーの首を貫いた。男の体は音もなく崩れ落ちる。それを為した人物は、振り返った時には僕たちより遠くへと飛び退っていた。


「……笑鬼!?」


 僕が素っ頓狂な声を上げ、犬崎も鋭い目つきで彼を見る。彼の顔面には先日見た通りの精工な笑顔の面がつけられていた。


「なぜ仲間を殺す。お前はブローカーの一員じゃないのか」

「ブローカー? 仲間? 馬鹿げている」


 元の声が分からないよう電子的に変えられた声で、笑鬼は答える。


「俺は俺の敵を殺しているだけだ。ブローカーだのジョロウグモだのに使われる義理はない」


 そう言い置いて、笑鬼は来た通り、窓から飛び出していった。暗都警察は笑鬼を追いかけてここから走り去っていく。しかし犬崎はそれを追うことはせず、目を伏せて考え込んでいるようだった。

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