第1話-02 鬼のお巡りさん
大きな鞄を引きずりながら、灰色の街を息を切らして走っていく。まばらに自動車が行き来する大通りを通り過ぎ、狭まっていく道を真っ直ぐに。駅前から離れていくごとに徐々に活気は失われていき、ただでさえ薄暗い街に、白い霧が立ち込めてくる。
人通りの少なくなってきた路地で立ち止まり、肩で息をする。目の前には、汗一つかいていない降姫の姿があった。やっぱりこれは鬼と半鬼の違いなのだろうか。それでも同じ年ごろの女の子に体力で負けて情けない気分でいっぱいになる。
両手で握っていた鞄から手を放し、どさりと地面に落とす。来て早々にこの街の洗礼を受けてしまった僕は、子供でもここで生きていけるという自分の目算が甘すぎたことを痛感していた。
「これから、どうしよう……」
乱暴な男たちと、軍服の彼の姿を思い出し、疲れがドッと押し寄せてくる。僕は道の端に腰掛け、すぐ横に降姫も腰を下ろした。
「……大丈夫だよ外彦くん。私たちならなんとかできるよ」
「降姫……」
傍らに目を向けると、降姫は気丈に微笑んでいた。だめだ。この子を守ると決めたのは僕なのに。そう思うと僕は、さらに情けない気分になった。
突然、頭上から明るい声が降ってきたのはその時だった。
「ねぇ君、どうしたの?」
弾かれるように見上げると、そこには鬼らしい人物の姿があった。鬼らしい、というのは、少なくとも鬼なのだろうと思われる姿を、彼がしていたためだ。
彼の頭は黒い霧になっていた。ゆらゆらと揺れるその黒霧は半透明で、霧の向こう側の景色を見通すことができた。それでいて青色の目だけは爛々と光ってこちらを見つめており、僕は小さな悲鳴を上げた。
「ひっ……」
後ずさろうとするも、当たり前だが背後は壁だ。彼は少し考えた後、僕の怯えを含んだ視線に気づいたらしく、ぽんと手を叩いてみせた。
「ああそっかこの姿じゃ怖がられちゃうか。ごめんごめん」
そう言うと彼は頭部の霧を一気に濃くし、ほんの数秒後にはそこから人間らしい顔が生えてきた。糸目で笑顔が胡散臭いその人物は、まだ三十歳にも至っていない若い男だった。
「僕は
お巡りさん、という言葉に改めて彼の服装を見ると、右胸に『暗都警察』と書かれた重苦しい制服を彼は身に着けていた。見るからに怪しい人物だったが、警官だというのは間違いないようだ。僕はまだ警戒は解かないまま、降姫を軽く指した。
「ぼ、僕は外彦です。こっちは降姫」
「……へぇ、そうなんだ」
何かが彼の琴線に触れたのか、雲上は屈みこんで降姫の顔をまじまじと見つめはじめた。顔の造作をじっくりと眺め、赤色の着物を上から下まで舐め回すように観察してくる。
「あ、あの」
降姫が困惑の声を上げる。しかし雲上にはそれが聞こえていないらしく、もう十秒ほど彼女を眺め回し、不意に僕の方を振り返ってきた。
「そっか、可愛い子だね!」
「なっ……!?」
思わぬ褒め言葉に、降姫は顔を真っ赤にして俯く。僕は慌てて二人の間に割り込むと、にやにや笑う雲上を睨みつけた。
「おやおやぁ? 嫉妬してるんだね。かーわいい」
最大限の恐ろしい顔を向けているというのに、彼は一切気にすることなく、逆に威嚇している僕のほっぺたをつんつんと突いてきた。僕はますます腹立たしくなって、文字通り彼に嚙みつこうとしたが、その寸前にとある人影が僕たちの間に割り込んできた。
「なーにやってんだ雲上、こんなとこで」
声の主は雲上の後ろからやってきた男性だった。雲上と同じ制服を身につけた同年代の人物だ。ただし雲上よりも彼の方が筋肉質であり、細身の雲上と並べると雲上が情けなく見えるような体格をしていた。
「ついに小児誘拐でもしたのか? 変態っぽいもんなあお前」
「失っ礼な言い方だなあ。僕はただ迷える仔羊たちに声をかけていただけだったのに」
「ははは、気持ち悪いなあ」
軽口を叩きながら、男は雲上を押しのけて僕たちの前に膝をついた。
「暗都警察の
差し出された手を取って会釈し返す。十賀淵はにこっと人の良さそうな笑みを浮かべた。
「君、ご家族とか保護者の方は?」
十割が善意でできているその声色に泣きそうになりながら、僕は俯きがちに答えた。
「えっと、いません。僕たちだけでこの街に来て、それで……」
ここがこんな場所だなんて思っていなかった。僕たちを食べようとする奴らがいるだなんて。
だけど今は何と言ったらいいのか分からず言葉を濁していると、十賀淵は僕の頭にぽんと大きな手を置いて撫でてきた。
「怖い目に遭ったんだね、よしよし」
久しくかけられていなかった優しい言葉に、僕は今度こそ涙が堪えられなくなって、俯いて肩を震わせた。
駄目だ。こんな情けない姿、降姫には見せたくないのに。
なんとか目尻に浮かびかけた涙を拭い去ると、十賀淵は「よっと」とか言いながら立ち上がって僕たちに声をかけてきた。
「ついておいで、ちょっとだけなら保護してあげられるから」
差し出されたその手を取ると、十賀淵は力強くそれを引き寄せて僕を立ち上がらせた。
「――それで、危ないところに黒い軍服の人が来て……」
警察署に向かう道すがら、今日あったことを十賀淵に話していく。すると彼はとある単語に反応して顔を歪めた。
「軍服? それは『鬼切』だね」
何かまずいことでも口にしてしまったかと、顔から血の気が引く思いがした。すぐ後ろを歩いていた雲上が僕たちの顔を覗き込んでくるのを見て、僕はさらに心臓が変な風に跳ねるのを感じた。そんな僕に雲上はにこにこと胡散臭い笑みを浮かべながら教えてくれた。
「あはは、十賀淵は『鬼切』が嫌いだからねえ」
話が分からずに目で問いかけると、雲上はにこにこと笑みを浮かべたまま答えてくれた。
「『鬼切』っていうのはね、この街の治安維持組織なんだよ」
「えっ? お二人みたいな警察とは違うんですか?」
警察を名乗っているのだから当然治安維持は警察の仕事とばかり思っていた僕は、素直に疑問を口にしてしまう。十賀淵はさらに顔を歪めた。
「まあね。奴らはただ鬼を切るだけの組織だからさ。街の平和のためなら何だって切る。しかもかなり法外な行動も許されてるんだ。僕たち警察にとっては結構面倒な相手なんだよ」
吐き捨てるように十賀淵は言う。僕は自分に向けられたものでもないのに、その悪感情を受けてビクッと肩が跳ねてしまう。そんな僕に降姫は歩幅に合わせてこちらを覗き込んでくる。僕は慌てて彼女から目をそらした。
「こんな話してごめんね。平和に暮らしていれば、どちらも同じようなものだから気にしないで!」
にこやかに微笑まれてしまえばそれ以上を尋ねるわけにもいかない。僕が小さく頷くと、十賀淵は笑んだまま視線を前方に移した。
目的地である警察署は、まばらではあるがまだ車の行き来がある大通りに面していた。署内に入ると十賀淵は屈みこんで僕たちと視線を合わせてきた。
「外彦くん。保護者はいないって言っていたけど、他に行くあてはあるの?」
僕は首を横に振った。この街にとって僕たちは異物だ。僕たちを迫害する奴らがいないということは、つまり僕たちに味方してくれる人がいないと同じ事。十賀淵は「そっか……」と呟いて立ち上がった。
「言いにくいんだけど、君みたいな子を保護してあげられるのは一日だけなんだよ」
きっとそうなのだろうと予想はできていた。だが、改めて希望を潰されると胸の奥がキュッと痛む気がする。十賀淵にとってもその言葉を口にするのは不本意なのだろうと推測できてしまい、さらにその痛みは広がった。
「ごめんね、誰か一人だけを贔屓するわけにはいかないんだ」
「……いえ、大丈夫です」
ぽつりと答える。傍らの降姫は無言で寄り添ってきた。
「今日は警察に泊めてあげるから、明日からは自分でお仕事とか探してね」
俯いて無言になる僕たちを置いて、十賀淵はどこかに行ってしまう。入れ違いになるように先に署内に入っていった雲上が戻ってきた。
「二人ともー寝られる場所はこっちだよ」
「あっはい!」
案内されるまま警察署の奥へと入っていく。様々な課に分かれたそこでは、人ではないもの――鬼たちが忙しなく働いていた。
「鬼が珍しい?」
まじまじと彼らを見ているのを気付かれてしまい、雲上は僕たちのことを覗き込んできた。
「あっごめんなさい。他の外にいる鬼ってなんていうかそう……イメージが違ったので」
「もっと野蛮なイメージだった?」
内心を言い当てられてしまい、僕は恥ずかしくて俯く。雲上さんは鬼だっていうのになんて失礼なことを考えてしまったんだ。
「気持ちは分かるよ。確かに鬼はその力ゆえ暴力に走る奴も多い。だけどこの街には鬼のための法もあるからね、僕たち警察は法にのっとって鬼や人間を裁くのがお仕事なんだ。……ふふっこう言うと僕ってとっても真面目なお巡りさんみたいだね」
どこかおどけたような口振りで雲上は言う。僕はそこに含まれている意味を問おうと口を開きかけ――突然立ち止まった雲上の背中に顔をぶつけてしまった。
「あぶっ」
「ん、ごめんごめん。ちゃんと前見て歩かないと駄目だよー?」
額を指でトントンと叩かれてたしなめられる。
「ほら、降姫ちゃんも笑っちゃってるよ」
振り返ると雲上の言葉通り、降姫は口を押さえてくすくすと笑っていた。
「わ、笑わなくてもいいじゃないか!」
「ごめんね、でも、ふふ、おかしくて」
外では見ることができなかった降姫の自然な笑顔。それを引き出せただけでもここに来たことには意味がある。あとは僕が頑張って食い扶持を探せばいいだけの話だ。
「はい、これ毛布。ちゃんと二人分用意したよ」
仮眠室の前で、雲上は二枚の毛布を手渡してくる。僕は鞄を持ったままそれを受け取った。
「冷えるからちゃんと被って寝るんだよ?」
パタンと音を立てて仮眠室のドアは閉まる。僕たちは狭いベッドに腰かけ、向かい合った。
「降姫。僕、頑張るから。明日からすっごく頑張るからね!」
「うん、ありがとう。外彦くん」
まるで薄命の花がほころんだかのような彼女の笑顔を正面から見てしまい、僕は赤くなる顔を誤魔化すために顔を伏せる。――すぐ近くで爆音と衝撃が響いたのはその時だった。
「な、何!?」
慌てて立ち上がり、降姫を庇おうとする。バタバタと荒い足音、怒声、悲鳴。辛うじて聞き取れた言葉に、僕は首を傾げた。
「
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