53、学生寮に入るまで

 友達の一人がプリンを差し入れてくれた、とツイートしたことをきっかけに、友人や、果てにはあまり交流のなかった同学のフォロワーから大量の「××余ってるけどいりませんか?」というメッセージが届きました。

 あまりにも大量に届いたため個別に処理しきれず、集合場所を決め、後日まとめて受け取ることになりました。

 結果として集まった物資は、段ボール一箱以上にもなりました。そうめん、缶詰、パックのごはん、カップ麺、レトルトカレーなどの保存食品から、タオル、洗面用具などの日用品まで。女の子は生理用品や薬などもくれました。本当にたくさんあって、運びきるのに苦労したくらいでした。箱の底に、ひっそりと、数千円程度のお金を入れてくれた人さえいました。

 どうしてみんな、見ず知らずの他人にこんなに優しくしてくれるのだろう。私は不思議でなりませんでした。性悪説過激派を謳っていた私でしたが、自分の身内が酷いだけで案外みんないい人なのかもという気持ちが、次第に芽生え始めてきました。


 週明けから、まず学生相談窓口へと顔を出しました。勘当を言い渡され「退学させる」と喚きたてられてていたのもあり、授業料と、今後の大学生活の相談をするためでした。

 私の担当となった職員さんは、相当に戸惑ったようでした。ひとまず、その人を伴って、学生生活課に相談に行きました。

 大学の籍に関しては心配なさそうでした。父から退学させろと連絡があったとしても、本人の意思確認は不可欠であり、父の一存で除籍にまでは至らないとのことでした。私はほっとするとともに、父をますます滑稽だと思いました。親の力というものを、どれだけ過信していたのでしょう!

 しかしながら、授業料に関しては、どん詰まりという他ありませんでした。授業料免除に関しては、私がまだ十九歳で未成年であること、学部生であることから、独立生計者としてはまず認められないことを告げられました。奨学金に関しても、独立生計でない以上、親の署名と所得証明が必要であると言われました。

 国立大学とはいえ、学費は一年におよそ五十四万円。月賦で五万円弱といったところでしょうか。授業料免除も奨学金も怪しいとわかった以上、アルバイトを増やすことをとりあえず念頭に置きました。

 十九歳という年齢は、児童でないからと守ってもらえず、未成年だからと大人の契約からも弾かれる。なんとも宙ぶらりんで、誰にも守ってもらえない年齢だということを痛感しました。

 その後、学生課や相談室とは継続的に相談していくことになりました。


 次に向かったのは学生寮の事務所でした。事務所は想像以上に柔軟に対応をしてくれました。十月末では、本来なら十二月から入居の手続きとなるのですが、「わけあって友達の家にいる」と説明したところ、十一月からの入居書類を渡してくれました。

 必要なものはざっと

 ・諸経費(保証金と家賃、合わせて五万円ほど)

 ・書類(誓約書や緊急連絡先など)

 ・印鑑

 ・通帳のコピー

 といったところ。印鑑と通帳に関しては、生憎持ち合わせていません。どうしたらいいかと絶望した矢先、天啓が降ってきました。「判子がないなら作ればいいじゃない!」

 私は苗字が非常に珍しく、百均で認印などまず買えません。そのため、大学の近くにある判子屋まで足を運びました。本来なら三日はかかるというところを、急ぎだと言うと、三時間程度で作ってもらえました。おかげさまで、物資の中に入っていた数千円のおかげで印鑑が作れました。

 本当に大変だったのは通帳の確保でした。自分名義の口座はあったものの、家を出る際に通帳は持ってきていません。再発行には手間と時間がかかり、現実的じゃない。そこで、銀行で新規の口座を作ろうと試みたのですが、持っている身分証明書が学生証しかないため一度は断られました。

 その日のうちに通帳が作れなければ、入居は不可能という状況でした。もう駄目だと思いましたが、受付の人に「身分証は取りに帰れない」と説明し、「仮免許証ならある」とゴリ押したところ、「警察署が発行している写真付き証明書」ということで、しぶしぶ了承されました。

「親御さんと喧嘩をしたのなら、仲直りした方がいいですよ」

 窓口のお兄さんは心配そうにそう言いましたが、私は曖昧に笑ってやりすごすしかできませんでした。


 入寮までの数日は、本当に目まぐるしく動きました。

 十一月一日。書類を提出し、ついに部屋を借りることができました。

 「刑務所」と揶揄されるような、六畳ばかりの狭い部屋です。家具はベッドと机があるだけで、ベッドにはシーツも敷かれていません。それでも、誰に侵害されることもない、父親の物音に怯えたり苛々したりしなくてもいい、初めてのプライベートな空間は、私にとってお城にも等しい尊いものでした。

 入寮できたとは言え、文化祭を次の日に控えバタバタしていたので、本格的な引っ越しは文化祭後となりました。しばらくは、継続的にMの家にお世話になりことになりました。

 多忙なMが部屋に戻るまでの間、行くあてもなかった私は、自分の部屋でぼーっとしていました。

 ひとりで部屋にいると、心が静かになると同時に、色々なことを考え始めました。やることに追われていた時間が過ぎ、緊張が解けたからかもしれません。

 ぷつんと糸が切れたように、何をすることもできず、スマホをいじっているだけの時間が増えました。ぼーっとしたまま、ベッドに横になる無為な時間ばかりが増えました。


 そんな時、私が読んでいたのは、毒親界隈の友人から借りた『毒になる親』という本でした。スーザン・フォワードという方の著書で、「毒親」という言葉をこの世に定着させた本でもあります。

 読んでいるだけで息が苦しくなるような内容ばかりでした。私にとって最も真に迫ったのは、「コントロールばかりする親」という項目の、ある一節でした。


”このタイプの「毒になる親」は、「何もできやしないくせに」となじるなど、子供をこき下ろして責める。事実はそうでなくても、そんなことはまるで認めない。つまりは、子供の言い分は全て圧殺するのである。”


 その後、このタイプの親は得てして経済的なコントロールをしがちであることにも言及されていました。まるでこの著者は自分の父を知っているようだ、と思いました。

 最初は数ページ読むごとに本を閉じていました。こんなに体力を使う読書は初めてでした。ある所から一気に読み進められるようになり、その後何回も読みました。

 読むたびに、私の心が未だに親に縛られていると自覚するばかりでした。

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