24、 Day7 ふがいない僕は空を見た

 日曜日の午前中まで母の家でゆっくりして、夕方に帰路につきました。

 帰りはおじさんが車で送ってくれました。「パパのお仕事の車だー!」と言って、同乗した子供たちは楽しそうにはしゃいでいました。私はどこか沈んだ気分で、夕暮れ色の空の中、家が少しずつ近づいていくのを、じっと窓から眺めていました。

 帰り際、家の近くのショッピングモールに寄り、おじさんは本を一冊買ってくれました。私とおじさんの共通の好きな作者の本でした。

 家の前に車が停まると、子供たちを置いて、私と母だけが下りました。


 お父さんと向かい合ってきちんと話しなさい、と母から再三言われていました。

「結局お金を出してもらっているのは事実なんだから」

「あなたにも非はあったんだから」

「家事をきちんとやるから協力してくださいって言えば、お父さんだって鬼じゃないんだから、協力してくれるよ」

 家に帰るのが嫌でふて腐れる私に、母はそう何度も諭しました。私はだんまりを決め込んでいましたが、「大丈夫、お父さんは、なんだかんだでゆきこのことがすごく好きなんだから」という母の台詞には、すぐに「私は嫌い」と返しました。母は苦笑していました。


 家に着くまでの時間は、ひどく長いものに感じました。家に着いてからも、再開の挨拶をする父と母の傍らで、私はずっと黙り込んだままでした。

「ほら、話すことあるんでしょ」

 母はそう言って、私を父の前へと引っ張り出しました。

 二度と口をきくまい、と思っていた父。私のことを何度も蹴り殴った父。この人に頭を下げて、「娘だから」という理由でどんな理不尽も呑み込まなきゃいけなくて、ずっとこの家で暮らして行かなければならないのか。お金を稼いでいるのが父だから。

 私は悔しさに、ぎゅっとこぶしを握り込めました。体裁だけでも謝っておけば丸く収まるのだと、母から何度も言われてわかってはいたけれど、歯がゆさと無力感にどうしようもなく打ちひしがれました。


 私は頭の中が真っ白になっていました。何か言わなくちゃ、と思っても、何を言っていいのか全くわからなくなりました。心配そうな母と怪訝そうな父の目。気づくと私は、何一つ言葉を見つけられないまま、ぼろぼろと泣いていました。

 母は困ったような、悲しいような、曖昧な笑みを浮かべていました。彼女は私の肩に手を置くと、「これから、家事も勉強もきちんと真面目に頑張るんでしょ」「だから受験の時も協力してほしいんでしょ、ね」と、私の言葉を代弁するような口調で父に告げました。私は少しだってそんなこと思っていませんでした。

 その後はなんとなくなあなあになって、ことが収まりました。

 父の気持ちは知りません。

 私は父を許してなどいなかったし、金輪際許す気もありませんでした。

 今回のことだけじゃない。小学校の時のことも、母のことをあけすけに罵っていた時のことも、そのくせ被害者面ばかりしていたことも、たくさん蹴られたし殴られたことも、馬乗りになられたことも。あの人の中ではまるでなかったことになっても、私はずっと根に持っていました。

 それでも日常はやってきて、いつもと変わらない月曜日、いつもと変わらない平日が始まりました。まるで私の家出なんてなかったみたいに。



 ここから先は少しだけ後日譚です。翌日の月曜日、私は通常通りに登校しましたが、どうも体調がすぐれませんでした。妙に頭も痛いしお腹も痛い。とりあえずまっすぐに帰って、すぐにベッドに横になりました。

 八時ごろになり、すさまじい吐き気で目が覚めました。体を起こした途端、胃から出てきたものを抑えられなくて、私は布団の上に嘔吐しました。吐瀉物の中には昼ご飯に食べたパンやおにぎりが未消化のまま残っていました。十年以上も嘔吐なんてしていなかったから、私は半ばパニックに陥りました。

 その後も長い間トイレで吐き続けました。数時間の間は、食べ物の名前を聞いたり想像したりするだけで、吐き気が止まらないほどでした。

 翌朝は三十八度の熱が出ました。原因はストレスだろう、と母は言っていました。

 私が寝込んでいる間、父はポカリスエットやゼリーを買ってきたり、学校に連絡をしたりと、色々なことをしていました。どれだけ父のことが嫌いで憎くても、いざ倒れたら父の力に頼るしかない自分が、ひどく情けなく、ふがいなく思いました。


 

(今回の題は窪美澄さんの『ふがいない僕は空を見た』をそのまま引用しました。敬愛してやまない窪先生の、とても大好きな作品です)

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