22、Day3-5 何かを変えたかった

 三日目。水曜日でいつもよりも授業が早く終わる日でした。私は家に人がいない隙を見計らって、足りない着替えや荷物を取りに、一度帰宅しました。

 母が出て行ったあとは惨憺たる有様だったから、きっと家の中は酷いものだと思っていましたが、思っていたよりは荒れていませんでした。ボストンバッグに下着、寝間着、体操服を詰め、自転車で学校まで戻り、Yちゃんと落ち合いました。学校についてから、ブラウスの替えを持ってき忘れたことに気が付きました。こんな時にも抜けている自分の性格に嫌気が差しました。

 夕方、母から「家にはちゃんと帰った?」と連絡が来ました。週末まではYちゃんの家にいることを伝えたつもりだったのですが、私と母の間には齟齬があったようです。母に言わせれば、私は水曜日には自宅に帰り、父に頭を下げる寸法になっていました。

 母はまた「いつまで迷惑をかけるつもりなの」と語気を荒くしました。

「状況が変わるまでは帰らない」ということを、この時母にはっきりと伝えました。何かあっても父の機嫌一つでなにもかも変わってしまう現状が、父がそれを当然だとさえ思っていることが、私は嫌でした。ことあるごとに経済力をカサにして、「その論理はおかしい」と反論をすれば暴力で返され、私の必死の訴えも鼻で笑われる。家事をどれだけやっても「お前は全くやっていない」の一言でなかったことになる。勉強に集中したいと言っても「勉強を言い訳に家事から逃げるな」と一蹴される。これから受験も控えているのに、話し合わなければいけないことだってたくさんあるのに、こんな状況では理性的な話し合いなど到底無理だと思いました。

 私の家出で、何かが変わってくれるんじゃないか。せめて、私も意思を持った一人の人間だということを、少しは自覚してくれるんじゃないか。私が傷ついていることを理解し、私の言葉に耳を傾けてくれるんじゃないか。甘いとわかっていても、そう思わずにはいられませんでした。

 黙って耐えているだけでは状況が変わらないことくらい目に見えていました。だからこそ、私は「家出」という行動で、意思表示をしようとしたのです。

 母は私の話を聞き、呆れたように溜息をつきました。

 それから、「金曜日まではY家でお世話になるが、土曜日には母の家に泊まり、日曜日の夕方には家に帰る」という形で、話がまとまりました。憂鬱だったけれど、お互い妥協した結果でした。

 その日の夜は、翌日に英語の小テストを控えていたので、Yちゃんと二人で勉強していました。ストーブにあたりながら、お菓子を食べながら参考書を開いていましたが、あまり頭には入りませんでした。


 四日目と五日目は、何事もなく過ぎていきました。実行委員会の仕事を少しサボったりしたくらいでしょうか。陽が黄味を帯びてきた頃、駅のホームで食べたコンビニのご飯がおいしかったことを覚えています。私は親子丼を食べました。Yちゃんは何だったかな。

 夜にはYちゃんとオセロやトランプに興じました。久しぶりにやるボードゲームはとても楽しいものでした。最初は私が神がかり的に勝てていましたが、後半は負けが続き、結果的にはおあいこといった具合でした。

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