20、Day1 されど人の温かさを知る
もうこれ以上、父に抑圧され続けるのはごめんだ。
そんな思いが、私の胸の奥深くを占めていました。
翌日、月曜日の放課後。その週は面談期間で、四限目までしか授業がありませんでした。学校近くのスーパーのイートインという、お決まりの場所に居座りながら、私は友達と長い放課後を満喫していました。私とYちゃんを交えた三人でおしゃべりをしていたのが、やがて一人が帰り、私とYちゃんの二人になりました。
話題は昨夜の出来事になりました。Yちゃんと話をしながら、私は途方に暮れていました。まるで話の通じない父と対峙するはめになると思うと、根が張ったように体が動きませんでした。
母はもちろんのこと、学校にも相談したところでどうにもならないとわかってはいても、このまま帰るのだけは絶対に嫌でした。
帰る時間をとうに過ぎても、私は「帰りたくない」とダダをこねていました。そんな私を見ていたYちゃんは、少し考え込んだ後、「もしよければうちにこれないか、お母さんに聞いてみようか」と申し出てくれました。
Yちゃんは母親に電話をかけ、ふんわりと事情を説明しました。Y母は快く承諾してくれました。私は彼らの好意に深く感謝し、申し訳なさを感じつつも、全力で寄りかかることにしました。この時は、もしYちゃんに断られたら、身体を売ってお金を作ることすら視野に入れていました。それほど思い詰めていました。
うかつに警察などに届け出られては面倒だと思い、妹に「今日は帰らない」と連絡をしました。「ただ怖くて逃げてるんじゃない。なんでも力で抑え込もうとするあいつに、私は怒ってるんだ」というようなことを言った記憶があります。
あの時は認めたくありませんでしたが、私は家に対する恐怖を感じていました。しかしながら、「怒ってるんだ」と言ったのは存外見栄というわけでもなく、理不尽に対する怒りも確かに胸の内にありました。
暴力と経済力で屈服させようとする父への怒りだけではありません。馬乗りになって殴られる私をただ傍観していた妹への怒りも、その時は気づいていなかったけれど、決して救い出してはくれない母への怒りも。
Y母は待ち合わせ場所として、Y家の最寄りのJRの駅を指定しました。迎えに行くのは九時ごろになるというので、私たちは駅で時間を潰しました。本を見たり、普段は寄らないスタバに足を運んでみたりして過ごす時間は、焦燥感を紛らわせてくれました。
初めての家出でした。私は浮足立っていたけれど、反面、「ずっとYちゃんの所にいるわけにもいかない」ということも理解していました。父に頼ることでしか生活がままならない今、いつかは家に帰らなくてはならない。それを自覚しているからこそ、嫌で嫌でたまりませんでした。
待ち合わせの時間を少し過ぎて、Y母が現れました。私がおどおどと礼をすると、彼女は「いいよ~そんなの。困ったときはお互い様だからね」と優しい笑みを浮かべました。
「その代わり、ちょっとスーパーでの買い物付き合ってくれる?」
Y母はそう言い、「えー」と不満げなYちゃんを引き連れて、近くのスーパーへと私を促しました。Y母はそこで、「食べたいものがあったら入れていいよ」と言い、私とYちゃんのためのお菓子も買ってくれました。
少しの出費にも「誰の金だと思ってるんだ」と不機嫌を顕わにする父のおかげで、私は自分に対するコストに敏感になっていました。私が食べるものにお金を使わせてしまうと、恐怖すら感じていた私に反して、Y母は特に気に留めているようには見えませんでした。
Y家の人々は、突然の私の来訪を歓迎してくれました。
夕飯は鶏肉のゴロゴロ入った鍋でした。塩味ベースの出汁の中に、ほろほろになるまで煮込まれた手羽元や、やわらかくなった白菜などが入っていました。
「いいんだよ、座ってて」
立ったままおろおろしていた私に、Y母がそう声をかけてくれました。山盛りによそわれたお椀の温かさや、つゆの控えめな塩味が、じんわりと身体に沁みました。
食事の時の監視されるような目はない。調理者の行動を先読みし続けないといけない準備の時間もない。食べてすぐ洗い物をしないと怒鳴る人もいない。
それどころか、Y家は私にお風呂や寝床も用意してくれました。
この時はまだ、きちんと事情を話しているわけではありませんでした。
家とのあまりの落差に、私は泣きそうになっていました。他の家の温かさを知れば知るほど、浮き彫りになる残酷さに打ちひしがれそうでした。
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