9、母との再会
ここで一度、母との話に戻ろうと思います。
中一の冬に姿を消して以来、音信不通だった母。携帯の番号も変わっていたようでした。自分の携帯電話すら持っていなかった私は、母と連絡を取る手段は持ち合わせていないも同然でした。
一方、父が母とたびたび連絡を取り合っているのは知っていました。失踪からしばらく経つと、ごくたまにではありましたが、父と母の通話の最後に、私と妹が電話を替わってもらえることもありました。
この時、母自身は九州の実家にいると話していたのですが、父の話では「お母さんは嘘をついている。あいつは本当は東京にいる。俺は知ってるんだ」とのことでした。どちらの話を信じればいいかわからず、私も妹も混乱していました。真偽がわかるのは高校生になってからのことです。
母の動向には父も翻弄されていたようでした。ある年のクリスマスのことです。「今日はお母さんが戻ってくる」と言って、父が妙に上機嫌だったことがありました。父の言葉を信じて、私や妹も浮足立った気持ちで母を待っていました。父と共にスーパーで果物やお刺身を買い込み、リビングのテーブルに並べて、今か今かと母の帰りを待っていましたが、その日、とうとう母が帰ることはありませんでした。
この日、父は相当荒れました。暗いリビングで電気もつけず、「クリスマスってなんだよ、浮かれやがって」と何杯もお酒を飲んでは、物に当たり散らしていました。
中三くらいの時でしょうか。私がスマホを買ってもらう少し前のことです。妹のピアノの発表会の時、母がこちらにやってきました。弟は少しだけ大きくなっていて、最後に見た時には歩行器がないとつかまり立ちがやっとだったのに、元気に走り回れるようになっていました。
妹のピアノの発表会を終え、夕方になるまでの短い間、私たちは母との再会を楽しみました。夕ご飯を食べることもなく母は帰っていきました。
それから、年に一度、妹の発表会を口実に、母と会える日ができたのでした。
私がスマホを持つようになってから、母と連絡が取れるようになりました。頻繁に父とぶつかるようになっていた私は、理不尽に怒られたり叩かれたりしたときなど、母に電話で相談することが増えました。
父が怒る時のたいていは、私の家事が不十分だという内容でした。家事が多少おざなりになったことはあれど、できる範囲のことはしていたし、もちろんゼロではありませんでした。父はそれを毎回のように「お前は全く家事をやらないで俺に押し付けている」と誇張しました。私はそれが嫌でした。叩かれた時や酷い言葉で母や私を侮辱した時、私の泣き顔を見ながら、「悲劇のヒロインぶりやがって」と吐き捨てられるのも嫌でした。
電話口に出た母は、私のことをひとしきり慰めてくれましたが、「でも家事をやらなかったあなたにも非はあるでしょう」と反省を促すこともありました。だからといって叩かれたり「一人で生きていけ」と脅されたりする筋合いはないじゃないか、と私が主張しても、「お父さんを怒らせる原因を作ったのはあなたでしょう」と言われるのが常でした。
「怒られないようにするために、家事を先回りして全部やって、常に機嫌を取り続けなさい。それでも怒られた時は黙って耐えなさい。反論したり反発したら相手と同レベルなんだからね」
母に言われた言葉は要約するとこのような具合でした。
母の示したそれは、私には完全な服従としか思えませんでした。父に似て向こうっ気の強い性格、悪く言えばプライドが高かった私にとって、常に父に平伏し続けることは、とてつもない屈辱としか思えませんでした。立派な人格の人ならまだしも、子供のようなわがままを通そうとする癇癪もちの父のことは、尊敬するどころか軽蔑していました。(父の言葉を借りれば、「舐めていた」のかもしれません)
いやだいやだと子供のようにごねる私に、母はそれでも優しく話を聞いてくれました。
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