8、信じる者は馬鹿を見る
その頃まだ私は歪み切ってはいませんでした。
人の良心という物を、きっと少しは信頼できていたんだと思います。
不機嫌な時は粗暴で手が付けられなくなる父も、機嫌がよいときには気の良い友達のようでした。母に言わせれば、私のある種の気の強さは、父とそっくりだとか。性格が似ていることは私も自覚しています。それだけに、父と話が合う時は、楽しい会話の相手になったのかもしれません。
手放しで私をほめてくれることもありました。友達と大きい喧嘩をした時など、誰にも相談できなかったことを相談したこともありました。父は快く相談相手になってくれ、親身なアドバイスを私にいくつもくれ、寄り添ってくれました。……その時だけは。
父に対して与えた私の奥深くの情報、大切にしているものや、好きなもの、友達。そういった類のものは、あとになっていつも私を害するための「とっておき」になりました。
この時私は、最も仲の良かった友達との隔絶に悩んでいました。私はまだ精神的に幼くて、人と持つべき適切な距離感をわかっていませんでした。私はその子のことを深く信頼していて、文字通りべったりとくっついていて、そのせいで「重い」と言われた。それだけのこと。至極当然の拒絶でした。
自分が悪いと薄々感じてはいても、私にとっては大きな喪失でした。だから父に吐露せずにはいられませんでした。
「お前がそんな甘えた性格だから友達に嫌われるんだろ」
ある日、いつものように不機嫌を爆発させた彼は、その時の私の悩みの種を切り札のように掲げました。親身になって聞いてくれたのは嘘のように、私が相談したことを並べ挙げては、笑いながら論うのでした。「そうやって自分が思うように生きてみろよ。皆がお前から離れて一人になってくだけだからな」「皆お前のことなんか鬱陶しいし嫌いだよ」
受け流すことのできる性格ならまだ要領よく生きられたものだけれど、思っていたより愚直で素直にできていた私の頭は、父の言葉を何度も反芻しては、そのたびにむかむかとした不快感に襲われました。
信頼を寄せたらいつか手のひらを返されるんだということを、この時刻みつけられたような気がします。
別の話になりますが、この頃から、家のことを友達に愚痴ることが増えました。初めてツイッターという物を覚えて、そこに吐き出すこともありました。(父の一方的な毛嫌いでLINEは使わせてもらえなかったのですが)
誰しも味方になってくれる、なんて甘い期待は最初からしていなかったけれど、それと知ってか知らずか、心無い言葉も少なくはありませんでした。
「でもお父さんにもいい所あるんでしょ?」「お父さんだって頑張ってるじゃん」「お金は出してくれてるんでしょ?」「いいお父さんじゃん」
周囲の認識はそんなものなんだと思うと、落胆を覚えずにはいられませんでした。
私の父への反発を「反抗期」という言葉でひとくくりにした親戚たちとまるで同じだ、と思いました。
被害者ぶっていると言われたら確かにそれまでです。
こんなものを書いているのも、単なる自己憐憫にすぎないのかもしれません。
だけどこの時、私は、誰一人信用なんかできないと、確かに思ったのです。
誰も味方になってくれないと思いました。
信用した私が馬鹿だったんだ、と。
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