6、父子家庭生活という名の地獄の始まり

 母がいなくなったことで、私たちは事実上の父子家庭になりました。

 今まで任せきりだった家事が一気に降りかかってきたからか、父はパンク寸前だったようでした。その頃、私はまだろくに料理もできなかったので、昔居酒屋で料理の仕事をしていた父が台所に立つようになりました。

 しかし、父が料理をする時の態度は、母のものとはまるで違っていました。至って柔和だった母とは違い、台所に立つ父は常に不機嫌でした。(一家の長がやることではない、と思っていたようでした)。細々とした洗い物など、何か手伝ってほしいことができた時も、父は具体的に言葉にするのではなく、わざと大きな音を立てて動くことでそれを示しました。

 私と妹は、父の意図を先読みして動かなくてはいけませんでした。父は何も言わなかったけれど、率先して手伝いを探さなければ、父はいつも物に当たり散らしたり、「俺は召使じゃない(奴隷じゃない)」といった大きな独り言で不機嫌を示したりしました。仮に、やるべきことが見つからなくてリビングで座って待っていても、「俺はまだ帰ってから一度も座ってないのに」などと怒鳴られました。何もすることがないときでも、私たちは立ってきょろきょろとしていなければなりませんでした。


 父との食事の時間は苦痛でしかありませんでした。父は「家族は揃って食事を囲むべき」という思想を持っていました。母がいなくなってから、父は理想の家族に近い「普通の家族像」を声高に掲げるようになりました。私からしてみれば、私たち家族を壊したのは他ならない父だったので、父の行動の大きな矛盾に、私は絶えずもやもやしていました。

 ある日の夕飯時。珍しく上機嫌だった父が、ピーマンの肉詰めを作ったことがありました。同じ食卓には、他のおかずもいくつか並んでいました。

 「いただきます」をしてから、私は他のおかずに先に手を伸ばしました。一応弁明をしておくと、私は好きなものはあとでゆっくり食べたいタイプです。決して肉詰めが食べたくなかったわけではありませんでした。

 その頃、やたら私を模倣する癖がついていた妹も、同じように他のおかずに箸をのばしました。

 そこで父が激怒しました。

「そんなに食いたくないなら食わなくていい」

 そう大声で怒鳴り散らした父は、大皿を台所に持っていき、皿の上のおかずを全部流しに捨てました。

 皿を乱暴に投げ捨て、音を立ててドアを閉めて去っていく父を、私は呆然と眺めているしかできませんでした。

 休みの日の親子そろっての食事より、父の仕事が遅い日、妹と私の二人で食べるレトルトのご飯の方が、ずっと美味しいものに思えました。


 食卓も苦痛そのものでしたが、私が一番嫌いだったのは掃除機でした。

 父は潔癖のきらいがありました。少し床に髪の毛が落ちているだけで「この家は汚い」「気持ち悪い」と絶えず口にしていたし、父に比べ髪の長い私たちのことを汚物のように扱うこともありました。私は小さい頃から整理整頓が苦手で、自室を散らかしがちだったので、余計に風当たりがきつくなりました。

 休日、掃除機をかけるときも、父は「俺の動線を予測して物をどかせ」という無理難題を押し付けました。少しでも父の思い描いていたものから外れると、父はわざとらしく音をたてながら投げるように物をどかし、あちこちぶつけながら掃除機をかけていました。平日の夜など、できる時には私たちなりに掃除をしてはいたけれど、父にとっては不十分なようでした。掃除をしているときの父は、いっそう気性が荒くなるように見えました。

 父が掃除機をかける休日の午前中は、手伝わなければならないと思っていても、起きられないことが増えました。仮に目が覚めても、掃除機の音がひとたび始まると、止むまでずっと自室にこもっていました。


 また、平日の夜でも、あからさまに機嫌が悪くなった父は、換気扇や排水溝、ゴトクやエアコンのフィルターなど、しばしば普段ではやらないような掃除をしました。父が掃除を始めることは、次第に彼の不機嫌のパロメーターになりました。


 父が感情的になることは日に日に増えていきました。夜に飲むお酒の量も、前の話で述べたように多くなっていました。言い訳がましいでしょうが、私は自分なりに努力しているつもりでした。父にとっては不十分だったようで「お前らは家事をやらない」「お姫様気取りだ」「俺を召使い(奴隷)扱いしている」と毎日のように喚きたてました。特に不機嫌な時には、3DSや入学祝のパソコンを壊されたこともありました。


 私は父のいる家が嫌いでした。

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