7、「正面から受け止める」は「正面からねじ伏せる」だった

 中学生ごろというのは、自我が少しずつ確立してくる時期なのだと思います。

 親や先生の言うことが絶対でないと感じ始め、自分の頭で物事を考え始める時期。

 世間一般には「第二次反抗期」とか呼ばれています。大なり小なり、多くの人が経験することなのではないか、と思います。もっとも、ごく一部の穏やかな人たちの中には、「反抗期がなかった」という人が存在することも事実ですが。

 うちの父はというと、本人曰く、なかなか激しい反抗期を送ったようでした。彼の母親、つまり父方の祖母に当たる人も、父そっくりの厳しい人でしたから、バトルはかなり激しかったそうです。灰皿を投げつけられたこともあるという話を、父はさも当然のように話していました。

 さて、そんな父ですが、私に対して「お前に反抗期が来たとしても、俺は正面から受け止めてやる」ということを何度も口にしました。まだ純粋で愚直だった私は、その言葉を文字通りに解釈しました。私が何か言いたいことがあった時にも、頭ごなしに否定せずにきちんと話を聞いてくれるのだろう、と。

 なんて馬鹿な期待をしていたんだろうと、今なら思えます。


 父の不機嫌が爆発することは頻繁にありました。多いときは週に何回もありました。食べてすぐ洗い物をしなかった。洗濯をこまめにしなかった。郵便受けを見ていなかった。冷蔵庫の中身をちゃんと把握してなかった。ガス代がかかるにも関わらず、父の遅い日にお風呂を沸かした。帰った時に「おかえり」と返さなかった。家族団欒の時間を作ろうとしなかった。原因はそういったものがほとんどでした。

 父の要求は後出しじゃんけん的なものが多くありました。「言われなきゃわかんねえ馬鹿なのか」と何度も怒鳴られました「何も言わなくても自分の望んでいることをわかってほしい」という態度に、私は辟易していました。

 「せめて自分のしてほしいことを言葉にしてほしい」という私の要求は、父親に鼻で笑われました。ずっと小説を書いてきた私に向かって、「小説を書いてるくせにそんなこともわかんねえのか」「お前の書いている小説なんか、どうせ仲間内で傷を舐め合うだけの自己満足だろ?」と、勝ち誇ったように言われたことも、一度や二度ではありませんでした。大切なものや好きなものはいつだって人質にされました。

 「俺のことを舐めてんだろ」「馬鹿にしてるんだろ」というのが、不機嫌な時の彼の常套句でした。逆鱗に触れるのも、父親に言わせれば、私の「親を敬わない舐めた態度」のようでした。必ずと言っていいほどでした。私のようなただの未熟な子供に、親たる自分が見下されることが、何よりの屈辱であると、笑ってしまいそうなほど透けて見えていました。


「お父さんだってお母さんのこと馬鹿にしてるじゃん」

 いつだったか、いつものように「俺のことを馬鹿にしてんだろ」と繰り返す父親に、そう言ったことがありました。父は何かと出ていった母のことをやり玉に挙げていました。「あいつは母親失格だ」「お母さんはお前らを捨てた」という台詞の他にも、母の学歴を揶揄する言葉と共に「あいつは何をやっても駄目だ」という台詞、「お前にもあいつの血が入っているんだよな、親子そろってロクデナシだな」と言われたこともありました。父が自分の行いなど顧みないのは相変わらずでした。

 私は母が悪く言われ続けることに嫌気が差していました。だから、父の前では何も語るまいと口を閉ざしていたけれど、つい言い返したくなりました。それが件の「お父さんだってお母さんのこと馬鹿にしてるじゃん」という台詞でした。

「俺がぁ? あちゃー、お前なんかと同じにされちゃったよ」

 私の決死の反論の後、父はにやにやと笑いながら言いました。それからまくしたてるような罵声。この人には何を言っても無駄なんだということが骨身に染みました。


 怒鳴られているとき、叱られているとき、反論を呑み込んで何も言わない私に向かって、「なんだその目は、言いたいことがあるなら言え」「俺はエスパーじゃないんだから言わなきゃわかんねえだろ」と言う父は、それでもやっぱり、自分のしてほしいことを口にしないまま、勝手に不機嫌になっていました。

 彼は「子供は親の背中を見て育つ」という言葉を過大解釈しているようでした。「なんで俺の背中を見て学ばないんだ」と言う彼の台詞は、私にはとても滑稽でした。どうして、子供が自分の一挙一動に興味津々だと思い込んでいるのだろう? どこからその自信がわいてくるのだろう? そう思って不思議でなりませんでした。

 要約すれば「なんで俺を常に注視しないんだ」という彼の台詞に、ある日私はひとつ爆弾を投げ入れました。

 その頃はまだ、父は私の言い分を聞こうとしてくれるんじゃないかという、甘い期待をどこかに抱いていました。

「そもそもそんなに興味ないから、お父さんのこと」


 もう一度言ってみろ、とどろりとした目で父が言いました。

 私は何も言いませんでした。

「さすがの俺も我慢の限界だ」と彼が言いました。


 彼は私の前にゆっくりと歩み寄り、足をかけて私をなぎ倒しました。父は柔道経験者でした。背中から後ろに倒れた私のことを、父は何度も蹴りました。本気でないことが力加減からわかりました。だからこそ腹立たしいと思いました。

 父は私の上に馬乗りになりました。強く掴まれた手首の先がじんじんと痺れていました。

「俺には興味ないか」

 そう言い、平手が顔を叩きました。

「そうか、よくわかった」

 もう一度平手。

「お前が俺のことをどれだけコケにしてるのがよくわかったよ、なあ」

 また平手。


 最後に父は私の頬を強く掴み、自分の方へ向かせました。

 泣きたくなんかないのに、父の前で自分の弱みなんか見せたくないのに、目からひとりでに出てくる涙が、恨めしくてなりませんでした。


 それまで、物を投げつけられたり、壁や食器に当たり散らしたことは多かったけれど、土下座を強要されたこともあったけれど、こんなにハッキリと殴られたのは、おそらくこの時が初めてのことでした。

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