中学生の頃の話

5、母が出て行ってから

 母が心療内科に通っていることは知っていました。

 わざわざ都心近くまで。原因が父のDVであることは明確でした。母は鬱と診断されていて、そのために療養をしなければならない。父から離れなければならない。私はそんな母の事情を理解していたし、母のためにもそうするのが一番だと思っていました。だから、家出を繰り返すことも、連絡が途絶えてしまうことも、表面上は少なくとも受け入れていました。私は母に同情していました。幸せになってほしいと思っていました。


 母の作る料理のにおいと、弟の赤ん坊特有の甘いにおいに満ちていたリビングは、すっかりがらんとしていました。床にはまだ仕舞いきれなかった玩具が転がっていました。母の私物は部屋にそっくりそのまま残っていました。

 五人家族は三人家族になりました。残っているのは父、妹、私。

 父の荒れようは酷いものでした。もともと酒癖がいい方ではなかった父は、ますますアルコールにのめり込むようになりました。父の飲む焼酎をグラスに作るのは、おおむね私たち子供の役割でした。

 しばらくの間、誰もいないリビングの中で、父が電気もつけずに深夜まで飲み耽ることが増えました。一人で飲んでいるうちはまだいいのですが、時には「おい」と私にまで声をかけ、母への恨み言を懇々と聞かせるのでした。

「あいつは家族を裏切った」「あいつは母親失格だ」「お母さんはお前らを捨てたんだ」

 完全な被害者面。母に対してした仕打ちのことなど、まるで頭にないようでした。

 父が悲壮に暮れ酒に溺れるほどに、父に対する不信感と怒りは燃え上がるように高まっていきました。

 今のこの状態の元凶は、あんたがお母さんを殴ったり酷い言葉をあびせて罵ったりしたことだ。あんたがお母さんを人並みに大事にしていればこんなことにはならなかったんだ。怒鳴ったりなじったり馬鹿にしたりしなければこんなことにはならなかったんだ。

 なのに、自分のせいで母がどれだけ傷つき苦しんでいたかなんて少しも思い至らずに、まるで被害者のようにふるまうなんて!

 信じられませんでした。そんな私の心などつゆ知らず、父は私に「妻に逃げられた哀れな夫」という同情を求め続け、果てには「お前は俺の味方だよな」とさえ口走りました。

 一番堪えたのは、「お母さんはお前らを捨てたんだ」という台詞でした。母が自分自身を取り戻すためにはきっとそうするしかなかった。そう思っていた私は、むきになったように心の中で反論していました。

 お母さんは私たちを捨てたんじゃない。あんたが捨てさせたんじゃないか、と。

 父が母のことを好き勝手に罵ることが、私は悔しくてたまりませんでした。


(父と母の離婚騒動は、弟が生まれた後もたびたび起こっていました。一度は母が離婚届の書面をそろえ、「もういいでしょう。名前を書いてください。明日提出しに行きます」とさえ口にし、親戚に電話をしたこともありました。しかし、父は母の書いた離婚届を受け取らないばかりか、目の前で破り捨て、怒鳴り、手当たり次第に物をぶつけて喚き散らしました。私はそれを目の前で見ていたから、よく覚えています。

「もしお母さんたちが離婚しても、ここの親戚はみんなお父さんの味方だし、実際に経済的に大きな利があるのは向こうだから、親権はお父さんが持つことになるだろうね」

 出ていく前、いつかの母の言葉。私は母と共に父から逃げられないことに絶望していました。実際、父が母に向かって「お前みたいなろくに経済力もない奴に子供が養えるわけない」という旨のことを話していた記憶もあります)


 どれだけ気を張っていても、どれだけ父に腹を立てていても、私はやっぱり寂しかったんだと今なら思えます。

 誰に相談していいかもわかりませんでした。相談するという選択肢すら芽生えなかったような気がします。その時一番仲の良かった友達に泣きつく想像をしてみても、実際は行動に出すことも、人前で泣くことすらできませんでした。いっそ皆の前で感情的になれればいいのにと思いました。毎日夜になるのを待って、布団の中でみじめな気持ちになりながら泣いていました。

「一番辛いときには、誰も助けてくれないんだ」

 心の底からそう絶望していたことが、未だに鮮明に記憶に残っています。

 小さい頃からずっと持っていた、サルの大きいぬいぐるみを抱きしめながら眠っていました。サルのぬいぐるみは人間の赤ん坊と同じか、それより少し小さいくらいの大きさでした。小さな弟の存在感を感じようとしたのかもしれません。誰にも言えないことをたくさん喋りかけたこともありました。中学生とはいえ、まだずっと幼かった私は、寂しさを紛らわせるのに必死でした。


 母のためにはここがどれだけ地獄だとわかっていても、それでもやっぱり、いつか母が戻ってくることを願わずにはいられませんでした。そんなことを考える自分の身勝手さに嫌気が差していました。


 一時期は、電車やスーパーマーケットの中で、小さい子供と両親が揃っているのを見るだけで、胸が握りつぶされたように辛くなりました。

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