小学生の頃の話
1、最初はたぶん、普通の家族だったんだと思う
三歳ごろまで、青森の小さな町に住んでいました。
冬はほとんど晴れ間もなく、ずっと雪の降り続くような場所でした。私と両親は、祖父母の家に住み込む形で住んでいました。父と母は居酒屋を営んでおり、夜に出かけることも多かったので、私は祖父母に預けられていたそうです。甘やかしてくれる祖父には特に懐いていました。我ながらおじいちゃん子だったのではないかと思います。
三歳のいつだったか、私と両親は東京に引っ越しました。宮部みゆきさんの描く下町そのものといった雰囲気で、人情深い土地柄でした。向かいに住んでいる印刷所のおじさんや、下の階に住んでいるアパートの大家さんなどに、よく面倒を見てもらっていました。
私たち家族の住む家は、六畳三間の古いアパートでした。一部屋がリビング、一部屋が父の寝室、一部屋が私と母の寝室でした。四歳の時、妹が生まれてからは、私、母、妹の三人が同じ部屋を使っていました。
吹けば飛んでしまいそうなぼろいアパートでした。外に設置された階段は梯子みたいに急で、錆び放題になっていました。
父は仕事に出ていて、母はファミレスでパートをしていました。私は鍵っ子として育ちました。小学校二年まで学童に通い、上の学年からのあれこれ(トイレに閉じ込められたり、聞こえよがしにからかわれたりしました)が嫌になって辞めてからは、ひとりで留守番をしながら母を待っていました。
その頃私は、父のことを、「ふつうの怖いお父さん」だと思っていました。
決して穏やかとは言えなかった父。ピアノの練習をさぼったり、手伝いをしなかったときなどは、よく怒鳴られたし叩かれました。ほとんどが私に非がある時だったので、躾の範疇と捉えることもできるかもしれません。とはいえ、本当に小さい頃の話なので、よくは覚えていません。
ただ、母からよく「お父さんは痛くないように叩いてるから」とフォローのように言われたことだけは、鮮明に覚えています。痛くないように叩いているから父は優しいのだ、と言いたげな口ぶり。当時はそんなものかと納得していましたが、今思うと腑に落ちない台詞です。
当時は母に対するDVの方がひどく、よく怒鳴られたり暴力を振るわれたりして泣いていました。
母に矛先が向いていただけに、子供には向かなかったのかな、と思います。
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