8. 2016年春 Part4
物語は進んでいく。
もし、キースが殺されるまでの再現だとするなら、このまま放っておけばロバートはどうなるのだろう。……殺されるって事態だけはどうにかしたい。そりゃあ確かに喧嘩もしたしムカつくことも多いが、あいつまで死んで欲しいと思えるわけがなかった。
***
その日、出勤すると僕のデスクに一冊の画集が置いてあった。
「……何ですか、これ」
「気になって知り合いの絵描きに頼んだ。嫌いじゃねぇんだが見ててなんか……とりあえず感想頼む」
いつも余裕そうに煙草をふかしてばかりのアドルフが、今日はやけに顔色が悪い。完全にため口になっているあたりに、理性の弱体化を感じる。とりあえず筆名を見ると……
「……Sang?」
アドルフさんが、横からそっと埃をかぶった辞書を差し出した。
表紙には赤みがかった空に飛行機雲という何とも平和な絵。
ページをめくると……
「……」
どうやら二連作だったらしい。中表紙には表紙より明るめな空に廃墟。『黄昏』と『夜明け』が二作のタイトル。ちなみに廃墟の方が『夜明け』。……悪趣味な作風なんだろうか、と苦笑した。
作者のプロフィールにも「詳細は不明」って、まあ芸術家は変な人が多いと聞くけれど……
「……あれ?」
次のページを開いて、驚いた。色彩のセンスはずば抜けているけれど、デッサンが表紙の絵とは違う。下手というわけでもなく、ただなんというか……しっくりこない。
別の画家が講評しているけど、
「この時代がSangと呼ばれる画家の黎明期と推測されている。当時の評価を見ると、『緻密な彩色に対しあまりにも荒く稚拙なデッサンには大きな隔たりがある』等と芳しくない。おそらく試行錯誤を重ねた時期だろうが、20年の月日による成長を感じるには欠かせない一枚ともいえよう」とのこと。
「そこまでひどい線だとは思いませんし、組み合わせが悪いだけなんじゃ……」
「芸術家先生の考えることは俺にゃわからねぇな」
それもそうだけど、過去の講評はなんというか、悪意を感じるような気もする。
ページを次々めくっていくと、突如寒気がして画集を閉じてしまった。背中に何かがじわじわと近寄り、静かに纏わりついていくような……。
思わずアドルフさんの方を見ると、とりあえず開けと視線で合図。
貧乏くじだ!!!!
心の中で叫びながら、そっと開ける。
金髪の女性が眠っている……ただそれだけの絵。女性は少し不機嫌そうに横になっていて、白い手がたぶん……起こそうと?している。本当にそれだけ。
白い手は男女どちらかわからないけど、細くて筋張った……おそらく左手。肩に触れるか触れないかの位置で止まっていて、よくあるほほえましい光景にしか見えない。タイトルは……
『悪魔』
な、何か知らないけど怖い!
耳元でどくんどくんと響くくらい高鳴る心臓と、じっとりと指先にまで噴き出す汗を気にしながら次のページへ。
絵を直視することがおそろしく、タイトルを見る。『女神』。なーんだ、大げさなだけか。そう思って絵を見て……
息が、止まった。
大したものは描いてない。確かに構図を説明したらそうだけど、でも、
何故か、手が震えて寒気が止まらなかった。
先ほどの女性は正面を向いている。そして確かに微笑んでいる。細い手……今度は右手が女性の頬に添えられている。本当に、ただそれだけの、平和すぎるほどの構図……
説明文を見ると、「『Sang』名義はこの絵が初出である。モデルの女性の素性は不明」とだけ。
それ以降、めくるたびに進化を遂げているのは素人目にもわかった。でも、先ほどの悪寒は襲ってこない。途中でぎくりと目に留まるものは数枚あったけど、それでも『女神』と比較すれば大した恐怖じゃない。
……後半になって気づいた。
「……これ、あの湖ですよね?」
「次のは郊外の森だな」
……どうやら、この街がモデルになっている絵もあるらしい。20年ぐらい前に描いていた作品を見るに、おそらく40歳は超えている人の気がする。すれ違っているかもしれない思うと、顔が少し熱くなった。
そして、最後のページ。
「……え」
夕焼け空に、繋がれた手。片方はおそらく子供。タイトルは、『憧憬』。
左側の小さな手が控えめに細い指を掴んでいる。……見覚えがある。『悪魔』『女神』で見た手だ。ずきんと胸の奥で痛みが響いた。
画集を閉じる。……裏表紙が目に入って、更に締め付けられるような痛みを感じた。
似たような背景だけど、今度は、右側に小さな手がある。『憧憬』よりはしっかりと繋がれているけど、特に大きな違いがあるとも思えない。タイトル表記はなし。
何となく気になって、カバーをめくった。
「……『追憶』……」
アドルフさんの方を見ると、怪訝そうな顔をしながら聞いてきた。
「……思ったより反応するんすね」
「……確かに、映画とかでよく泣くタイプですけど」
絵画に造詣は深くなかった。特に、現代画家なんてほとんど知らない。
それでも、僕は「Sang」を記憶に刻んだ。
後になって見返して、気づいたこともある。
『追憶』と、『憧憬』の小さな手が、同一人物の手ではなかったこと。
背景に書かれた景色の見え方が、微妙に違っていたこと……
***
ロバートが「向こう」に言ってから、さほど時間が経った様子はない。
だが、あいつが送ってくる文面からは、少なくとも数週間は経ったかのような表現がそこかしこに散りばめられていた。
電話先のロバートは怯えた様子で、沈黙が多い。……今は、送信済みメールを読み返す気力もないらしい。
……ふと、何かしらの情報が、記憶の端に引っかかる。
「……掲示板にあったな、「Sang」の話」
元々このBBSは、都市伝説について書き込むWebページだ。内容はよく覚えていないが、なんだったか……
「……サン? ファンが頻繁に自殺するっていう、あの絵描き?」
と、代わりにロバートが答えを出した。取り憑いた霊は知らなくても、本人は知っていたらしい。
……というか、めちゃくちゃ嫌だなその噂……。
「ロッド兄さん、どうしたの?」
「ファンが自殺とかしたらつらすぎだろ……」
「う、うーん……童話で人死ぬかな……?」
電話先の声が遠くなる。
……蘇る、いつかの記憶。
鳴り響いた固定電話、助けを求める声、……列車のブレーキ。そして──
忘れたかった、蓋をしておきたかった過去。
「ロッド」
呼ばれて、振り返る。……軍服の青年……ローランド兄さんが、そこにいた。
「ロブ、大丈夫そう? 様子みて来ようか?」
ロバートと同じ、茶髪に青い瞳。いつものようににこりと笑って、兄さんは俺の黒髪に触れる。
昔は俺もロバートのことを愛称で呼んでいたけど、今ではこの人ぐらいしか「ロブ」と呼ばない。……考えてみれば、俺のことを「ロッド」と呼ぶ人も、そんなに多くはない。
「……寝癖、ひどいなぁ……」
もう30も超えた俺をガキ扱いしながら、困ったように笑っていた。
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