Consecutive 7 鬼

 奇妙な噂があった。真夜中の街に人気の無い道では黒い巨人が暴れ回っていて、それが人を喰う化物だとか魔物らしく、今も獲物を求めて影の中に潜んでいるという。そいつは影そのものだから、昼間は表に出てこられない、という尤もらしい理屈も合わせて流布されている。

 馬鹿馬鹿しい、とクラスメートたちが噂話で盛り上がるのを尻目に、少年は携帯端末でゲームを続ける。彼にとっては現実よりも最近流行りだしたそれにハマり込んでいて、どうすれば効率良く稼げるのか、あの難しいコンテンツをどうやって攻略するかを考える方が何倍も大事だった。

 少年にも友人と呼べるものはいるが、違うクラスにいるのですぐには会話できない。そもそもゲームをやり始めたのも、中学三年生に進級してから別々の教室で過ごすようになったからだ。今でもたまに会話はするが、向こうは向こうで新しい友人を作っていて、疎外感か嫉妬からか、進んで絡みに行くことはかなり減った。

 最初は寂しさを紛らわせる為に評判の良いゲームに手を出したつもりだったが、思いの外趣味に合っていたのか暇さえあればやる程度にはのめり込んでいた。

 本来は受験に向けて少しずつでも準備しなければいけないのだが、まだ志望校すら決まっていないのに少年は楽観的に構えていた。特に頭が悪いわけでもなかったのは確かだが、頭の良いところに入るつもりなんてない。その辺の手頃なところで大丈夫だろう、と調べもせずに気楽に考えていたからだ。

 ただ、少年のように考えているものも多くはないものの、一定数いたのは事実だ。そのいずれもが自然と楽な方に、考えたくないものを片隅に追いやっているだけ。

 今しがた耳に挟んだ都市伝説のような話も、少年がゲームをするのと同じような現実逃避の一種だった。違うのは個人て完結しているか他人を巻き込んでいるかで、大した差はない。心の中で毒づく少年も、無駄に囃し立てる同級生たちも、無自覚の不安を押し隠そうとしているだけだ。


 少年は帰宅後もゲームをし続けて、気晴らしに外へと出かける。散歩ついでにコンビニでも言って、菓子でも買って帰ろうか……そう考えながら夜道を歩く。

 住宅街の道路は中途半端に伐採された林と民家が隣り合っていて、街灯のスポットライトがところどころにある。まだ夜も更けてはいないので、民家は窓から明かりが漏れているところも多く、場所によっては遅めの食事になったのか料理の香りが漂ってくる時もあった。

 他人の生活感を感じながら歩く道は最早慣れ過ぎていて、感慨すら浮かばない。若干肌寒い風を上着越しに感じながら、少年は少し足早に進んでいく。

「黒い巨人、ねえ」

 ふと学校で耳に入ってきた噂話が頭の中に浮かぶ。馬鹿馬鹿しいとは思ったものの、噂が流れるからには何かしらの根拠があるのかな、と少し考察を試みてみる。

 大体は見間違いか勘違いの目撃証言だろうし、そこに尾ひれがついただけとは思う。そもそも本当に黒い巨人なんてのがいたら、日本どころか世界中のニュースになるくらいの大事だろう。地球上には未知の生命が存在した、なんて謳い文句の番組はそれこそ昔からよくある。

 能天気なもんだ、と考えているうちに商店街の通りの前まで辿り着いた。自宅から最寄りのコンビニまでは歩いて10分ほどで、今いる場所は中間地点に当たる。一応上着を羽織ってきてはいるが、その下は室内着なので未だ冷える夜風を受け続ければ風邪をひきかねない。歩いていれば身体も温まるし、立ち止まらずに行こう。

 止まっていた足を再び動かそうとすると、不意に商店街の方から人の声が聞こえる。それも悲鳴のような、只事ではないものだ。

「なんだ……?」

 尋常ではない様子を窺おうとするが、今いる場所からは何も確認できない。何が起こっているのか確かめようと、商店街へと足を踏み入れる。

 しばらく進んでみるが、表通りには何も変化が見えない。叫び声めいたものが聞こえた以上は何かしらあるはずだが……もしかして路地裏の方だろうか。

 夜中に通るには薄気味悪いとは思ったが、好奇心から歩みは止まらない。一応は身構えながら、街灯すらない道へと入っていく。

 しばらく歩いてから、少年はふと我に返る。もしかしたら何かやばい事でも起きてるかもしれないのに、自分の身すら守る手段も持たずに野次馬根性で近付くには無謀すぎる。急に怖くなって、少年は踵を返そうとした。

 その瞬間、道の奥から轟音が聞こえてきた。なんだ、と思った瞬間誰かが逃げるように走ってくる。

「なんだよあいつ! 化物かよ!?」

 暗がりの中から誰かがそんな事を口走りながら突っ込んでくるので、少年は慌てて避けるように道を空ける。

「がっ!?」

 その時だ。少年の身体が急に鉛を背負ったかのように重くなって、ろくに受け身も取れずに地面に突っ伏してしまう。

「ど……」

 どうなってる、と少年は言おうとしたが、喉も圧迫されていて声が出ない。全身が重いものに押し潰されているようで、痛い。骨すら軋むくらいの重さが身体をまとわりついていて、指など今すぐにでもへし折れてしまいそうだ。身体中から嫌な汗が噴き出てきた。

 死ぬ。殺される。真っ先に浮かんだのは恐怖。全くわけが分からないまま身を襲う何かが怖くてたまらない。

(お……俺は何も悪い事なんてしてないのに! 俺は何も悪くないのに!!)

 神様がいるなら助けてほしいと、ろくに信じてもいないのに生まれて初めて神様に縋りたくなった。とにかく助かりたかった。逃げ出したいのに逃げられない。叫びたいのに叫べない。このまま押し潰されるようにして自分は死んでしまうのだろうか。

「結局暴力で生きてても肝が据わりきってねえんだな? それとも弱い者ばっかり虐めてたから腕が鈍りすぎちまったんか? ああ?」

 動けないなりにどうにか逃げようともがいていると、不意に何処かから声が聞こえてくる。直前に走りながら化物と口走った誰かがやってきた方向だが、少年には考えている余裕などない。そんな事より正体不明の声が何者なのか考えて、すぐに誰かが言った『化物』や、噂で聞いた『黒い巨人』といった単語が思い浮かぶ。

「結局さぁ、手前らよりも強い暴力にはてんでダメなのは百歩譲っていいけどよ。尻尾巻いて逃げるってのは、その世界で生きてるワリには義理堅さが足りないんじゃね?」

 世間話をするような軽さで、声は陽気に喋っている。姿が見えない方に顔が曲げられていて容姿は確認できないが、少年にはあまり年齢が離れているようには聞こえない。だが、だからこそ余裕を感じる悠長さが不気味で、恐ろしい。

「なあ、いつまで寝てんだ? ちゃんと立って、相手の目を見てお話しようぜ? 親に習わなかったのかよ?」

 声と一緒に足音が近付いて……頭の後ろを通り過ぎていく。どうやら少年にぶつかりそうになりつつも逃げようとしていた誰かを追っていたらしく、そいつに近付いているようだ。

 ぶちり。と、何かが裂ける音が聞こえる。と思っていたら、頬に生暖かい何かが降りかかった。なんだ、と思っていると鼻孔に生臭さが届いて、人の血だと即座に気付く。

「あ……ぎ……」

「悪い悪い、腕がそんなに脆いとは思わなくてよ。ま、てめーらは散々弱い者いじめをしてたんだからそれくらいはされてみねーとなあ?」

 全く悪気の無い様子で声は言うが、つまり逃げていた誰かは声に腕を引き千切られたというのだけは伝わる。当然、並の人間の筋力で簡単に断てるほど、人の身体は柔らかくはない。玩具のように腕や足をばらばらに出来るのは、最早人間ではなく………

(ばけ……も、の……!?)

 そんなヤツがすぐそばにいるかと思うと、怖くて仕方なかった。もしある程度身体の自由が利いていれば恐怖に震えていただろうが、それさえも出来ずに押し潰されるしかできない。

 泣きたくなった。次は自分が玩具にされるのだと思うと、頭がどうにかなってしまいそうだった。死にたくない、死にたくないと頭の中で念仏のように唱えるしかなかった。

 また、ぶちり、と裂ける音が聞こえる。身体のどこだかは知らないが、誰かはまた身体の部位を離されたらしい。再び血飛沫が少年に降りかかって、一帯の生臭さがさらに強まるのを嫌でも感じた。

「……あれ。おいおい、もう死んだのかよ。今からでも医者に行けば手も足も繋がりそうなもんだけどな」

 やはり声は大して悪びれていないように、間違って道具を壊してしまった程度の軽さで誰かの死を告げた。

「おい、そこのガキ。さっさと帰りな」

 先程までの楽しげな様子とは別に、つまらなさそうに声が言う。

「気が変わる前に行けよ。あんまりぐずぐずしてると殺したくなっちゃうかもなあ?」

 一瞬何を言われたのか分からなかったが、自分をどうにかするつもりは無いらしい。だったら一刻も早くここから逃げ出したいが、正体不明の重さによる負荷と恐怖で上手く立ち上がれない。何度も何度も立ち上がろうとしたが、腰が抜けてしまっているのか足に力が上手く入らない。地面も何故だか滑る。

 ふと、目の前の地面を見れば……黒い水たまりが出来ていた。いや、それは水たまりなんかじゃない……目を凝らして見ると赤くて、さらにその先を見れば……腕と足を失って、白目を剥いた誰かが、無造作に転がっていて………ただでさえ蒼白だった顔からさらに血の気が引いて、吐き気がこみ上げてきた。

 堪えるよりも前に、胃の中のものが逆流する。血溜まりと混ざり合って、鼻を突くような匂いがした。

「あ……あああ、ああああああ!!!」

 転がるように、地を這うように、少年は必死にこの場から遠ざかる。

 最早思考する事すら忘れて、ただただ死にたくない一心で少年は逃げる。死んでいない。死んでいないけど、人が死んだ。目の前で死んでいた。だから、ただただ遠ざかりたかった。それしか頭に無かった。

 ………後に、少年は恐怖から数週間は家の中に引きこもり続け、自分の部屋の外にすら出ようとしなかった。その間、彼はずっとうわ言のように「“鬼”が出た」と呟きながら、部屋の片隅で震え続けていた。

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Spirit Ciel 数多一人 @K-Amata

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