27.エピローグ

 その日のうちに来客が来た。

 太陽が真上にさしかかった昼ごろで、ちょうどロッシェ達は買い物で出払っていたため、出迎えたのはルティリスだった。


 扉を開けると、そこには気の抜けたように笑ったライズが立っていた。

 リトに劣らず負傷して青い顔で弱々しく笑っていた姿がまだ記憶に新しい。昨日の今日で出歩いたりして、大丈夫なのだろうか。


「ライズさん、お怪我は大丈夫なんですか?」

「大丈夫ですよー。いっぱい寝てきましたから」


 へらりとした笑みを浮かべるライズの顔色は血色がよくて、彼をまとう雰囲気も明るい。つられてルティリスも笑顔になる。


「所長いますか? お見舞いにきたんですけど」


 ライズの手には花束が握られていた。片方では白い紙袋を提げている。


「リトさんは今、寝ています。朝ごはん食べた後、すぐに寝ちゃったんです」

「所長、満身創痍な上に寝不足だったみたいですからねー。じゃあ、寝ててもいいから部屋に入ってもいいですか? ちょっと顔を覗きたいんですけど」


 狐の少女はにこりと微笑んで、扉を大きく開けた。


「はい、もちろん大丈夫です!」


 快い了承にライズは、また人懐っこくへらりと笑った。






 朝食を終えると、身体にとうとう限界がきた。寝不足と疲れのせいか、リトは倒れるように宿のベッドで眠り込んでいた。

 一体、どのくらい寝ていたのか。


 目が覚めると、窓から見える太陽は真上を過ぎ、傾きかけていた。昼も中ごろを過ぎた頃だろう。


「……重い」


 起き上がろうとしたら、身体がずんと重かった。まるで腹に重石をのせられているかのようだ。違和感を覚え、リトはやや不安になる。


 妙だ。身体の悪いところはカミルに治してもらったはず。ここ数日の間色んなことがあったし、それほどまでに疲労が蓄積していたのだろうか。


 起きたばかりでぼんやりとする頭の中でリトが腕を使って少し身体を起こすと、見覚えのある月色の頭が見えた。


「なぜここにいるんだ、こいつは」


 ベッドのそばにある椅子に座ったまま、突っ伏してライズは眠っていた。布団をかぶったリトの腹の部分に腕と頭をのせて、小さな寝息をたてている。どうりで身体が重いはずだ。

 わざわざ、帝都から訪ねて来たのか。

 リトはまじまじと自分の懐で眠るライズを見つめ、口元を緩める。


 魔族ジェマは【瞬間転移テレポート】の魔法が使えるから足を運ぶのに手間はかからないだろうが、それでもひどい怪我だったくせに。


 もともと腕力があまりないリトが、腕をたてたままの体勢を長く保てるはずがなかった。筋肉が悲鳴をあげ辛くなって、すぐに枕の上に頭を沈ませる。何を考えるでもなく天井をぼんやりと見つめていると、不意に身体にかかっていた重みがなくなった。


「あ。しょちょー、おはようございますー」


 起き抜けのせいかいつもよりさらに間延びした声で、ライズは笑顔を見せた。彼が起き上がるのを確認すると、リトは身体を起こす。


「いつから来ていたんだ?」

「ちょっと前ですねぇ。所長の寝顔を見てたんですけど、いつの間にか眠っていたみたいです」


 疲労を押して見舞いに来たせいだろう、と言いかけたがリトはあえて飲み込んだ。代わりに別の言葉を口にする。


「つまらないものを見るな。おまえの方はいいのか?」

「大丈夫ですよー。いっぱい寝てからこっちに来ましたから。それより、所長は大丈夫ですか?」


 青灰色の目が、心配の色を滲ませて見つめてくる。


「ちゃんと嫌ってカミル様に言いましたか?」


 意味深な言葉だった。

 たった一つの質問で昨晩の出来事がよみがえり、頭が重くなってくる。それでも答えないのも変だし。リトはしばらく黙ったまま昨夜のカミルとの会話を思い返し、それから結論づけた。


「……言えなかった」


 これと言って、あの名誉顧問には何かされたわけではない。それなのに。

 時間が経った今となって、衝撃が身体中に走った。

 たった一晩のうちに、人生における何かを奪われたような気がしてならなかった。


「そうですか。よく頑張りました」


 頭から重みと温もりが伝わってきて目を上げると、ライズが腕を伸ばして手のひらをリトの頭の上にのせていた。ゆっくりと手を動かして、幼い子に対するように撫でていく。

 まるで子どもに対する扱いのような動作にいつもなら腹が立つのだが、リトはこの時ばかりは不思議とそんな気力は失せていた。動かずにライズを見ると、彼は青灰色の目を和ませて笑んでいた。


 今までカミルに絡まれていたライズだからこそ、この時ばかりはリトを気遣っていた。上司ということもあるが、カミルの本性を初めて知ったリトを心配していたのかもしれない。

 いつだって、ライズはそうだ。どんなに突き放しても手を伸ばして、優しく接してくれる。

 今度からは画策して通信珠を使うことはやめてやろう、とひそかにリトは決意した。


「それにしても。本当に所長はアイツがもう二度と目の前に現れないと思ってるんですか?」


 神妙な顔つきで見つめてくる青灰色の瞳。それを見返して、リトははっきりと言った。


「いや、また俺の前に現れるだろう。今すぐにではなく、少なくとも数年後に」


 カミルに言われるまでもなく、リト自身にもレイゼルにかけた【制約ギアス】は付け焼刃の魔法だと分かっていた。

 魔術具マジックツールにこめられた呪い魔法は他の種族の魔法で解呪できる。時間と金をかければ、方法は少なくとも呪いを解くことは可能なのだ。


「それって、【制約ギアス】の指輪が外せるってことですよねー。うわぁ、嫌だなぁ。オレ、今度アイツに会ったら殺されちゃいますよぅ」


 眉尻を下げて、ライズはかくんとうなだれた。レイゼルとの数日間の出来事がよみがえったのだろう。ため息をついて、本当に嫌そうに口を引き結んでいた。


「そうだろうな。それは俺の場合も同じだ。むしろ、【制約ギアス】をかけた俺を恨んでいるだろうよ」


 狂ったような目をした吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマ、レイゼル=ヴィ=シューザル。リトの記憶を読み取ったカミルは帝国の守護者だ。すでに、女王にその名を伝えているだろう。

 女王は思慮深く、行動が早い。じきにレイゼルの爵位は剥奪されるに違いない。


 けれど。

 あの紅い魔族ジェマはいつか再び現れる、とリトは確信していた。


「あいつが再び来るようなことがあったら、所長はどうするつもりですか?」


 それはカミルと同じ質問だった。リトは昨夜の会話を少し思いだして口角を上げ、


「その時は、今度は逆に俺の方が奴を追い詰めて【永久の眠りスリープ】でもかけてやるさ」


 自信たっぷりに、そうライズに言ってのけた。


 リトの得意分野は、闇魔法と魔術具マジックツール開発だ。生まれつき魔力が強い体質で、彼の発動させる闇魔法はより強力なものなる傾向がある。

 それを恐れてなのか、今回は徹底的に闇に対する弱点を突いてきた上に、魔法を封じるという手を尽くされた。だから今回は、今までにないほどの怪我と疲労が重なった。


「所長、怒ってます?」


 ふと黙り込んで思案していると、顔色をうかがうように見てくるライズの目が合った。ふっ、と息を吐き、リトは笑う。


「ああ、そうだな。今回の自分の行動がいかに愚かで無謀だったかに、腹が立っていたところだ。だから」


 吸血鬼ヴァンパイアの吸血は所有印。カミルが与えてくれた情報と、ライズの怒りから出た言葉が重なる。


 ――簡単に、手放したりしないでください。生きるのをあきらめないでください。


 諦めるのは、簡単で楽だ。ゆえに、諦めないようにするのは難しい。すぐに生きるのを諦めないようにすると軽はずみで宣言することはできないし、約束できない。

 それでも。


「今後は何事においてもあきらめないように、一応の努力はしてみるさ」






 陽が傾きかけた頃、ライズは帰り支度を始めた。見舞いという名目で足を運んだ彼は花束を持ってきて、リトが眠ってる間に花瓶に生けたらしい。

 ふと、その隣にある白い紙袋から見えるガラスの瓶が目にとまった。


「ライズ、酒を持ってきたのか?」


 荷物を鞄に詰め込んでいた後姿が振り返る。


「そうですよー。グラスリード産の果実酒です。所長は好きでしょう」


 病み上がりでも、気遣いができる要領の良さを持っているのがライズの良いところだ。きっと、リトの好みを視野に入れたのだろう。


「酒に限らず、俺は何でも食べるし飲む。おまえも飲むか? ライズ」


 少しの嫌味と意地悪な含みを持たせて目を向ければ、小柄な青年は不機嫌そうに言った。


「よく言いますよ、所長。オレが酒に弱いの知ってるくせに。以前、所長の別宅に行った時だって、オレを追い出すためにブランデー入りのチョコレートを食べさせたでしょう。所長が酔いつぶれたオレを外に放置するから、風邪を引いて大変だったんですよー!」


 よくもまあ覚えているものだ、とリトは苦笑した。


 以前から、無断欠勤の癖がある上司を引きこもりがちな屋敷から引っ張り出すことが、次長であるライズの仕事のひとつだった。研究所に出勤しろと必死に訴えるライズを疎ましく思ったリトが、悪戯と嫌がらせのつもりで彼に酒を盛ってやった時があった。さらに酷いことに、家に寝かせてやる義理もないと思い、ライズを外に置き捨てることまでしたのだった。


「あれくらいで酔うおまえが悪い」

「オレはそういう体質なんです! 所長はザルどころかワクですから分かんないでしょうけど!!」


 ひとしきり叫ぶと、ライズはカバンのショルダーを肩にかけた。それを見て、ベッドに腰を下ろしていたリトが立ち上がる。


「そろそろ帰るのか?」

「はい。なにしろ、オレ二日間無断欠勤してますしねー。ただでさえ滞っているのに、あいつのせいでまた仕事が山のようにたまってますよ。所長も早く帰ってきてくださいね」


 文句というよりは、仕方ないなというような表情だった。へらりと笑って、ドアノブに手をかける。


「ライズ」


 名前を呼んだ瞬間、リトは言おうと思っていた言葉を飲み込んでしまった。


 まだ旅は始まったばかりだ。旅立った理由を知るライズにかける言葉がすぐには浮かばない。

 途端、人懐っこい笑顔がくるりと振りかえった。


「オレ、待ってますから。所長の探しているものが見つかったら、また開発部に戻ってきてくださいね」


 待つ者がいるということは、帰る場所があるということだ。不意に、どこかで読んだ本の文章が頭によぎる。


 物心をついた時から独りは慣れている。だがこの時、誰かと一緒にいるというのも悪くない、とリトは思った。

 無意識に口元が緩む。


「ああ、分かった。なるべく早く戻るようにするさ」


 必ず生きて戻れると、誓うことはできない。

 世界はきれいで美しいがあまりに残酷で、今回のように謀略や策略が常に潜んでいる。諦めないようにする、とは断言もできないけれど。


 きっと、二年後にはあの研究所に自分はいるのだろう、と確信に似たものを感じて、リトは闇色の目を細めた。





 Fin.

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