24.開発部の名誉顧問(中)
待っている間、何もしないでいるのも退屈だと感じたリトは本棚から適当に一冊選んで読みふけっていた。
どのくらい時間が経っただろうか。おそらく三十分ほどだろう。
ようやく治療を終えたらしく、カミルは楽しげな顔で歩み寄ってきた。
「所長、おまえも酷い傷だな」
「言うほど、俺はひどい怪我はしていないが」
手元の本を閉じて、リトは首を傾げる。
治療が必要かどうかなど、見れば分かるだろうに。
「ほう? ならば、少し診てやろう」
人の話を聞いていたのか、名誉顧問。
カミルはライズだけでなく、リトも治療するつもりでいたらしい。向けてくる深紅の双眸を見て、リトは首を横に振った。
「俺は別にいい、カミル様。待っている人がいるから早く戻りたいんだ」
ルティリスやロッシェだけでなく、旅の同伴者であるセロアやルベルもリズの宿屋で待っている。みんな心配しているだろうし、早く帰って事情を説明しないといけない。
聞くところによると、全員でリトを探し回ったという話だ。ちゃんと埋め合わせをしてやらなければならないだろう。
そう考え、立ち上がろうと腰を浮かせた時だった。白い手がリトの肩をつかみ、グッと力を込めてリトを押し戻す。
そして。
「今夜は帰らせてやらないよ」
白い
「——は?」
思考が停止した。すぐに我を取り戻して、カミルの腕を払いのけようとしたがビクともしない。この細腕のどこにそんな力があるのか。
「何をする気だ」
少し前に交わしていたライズとカミルの会話が、リトの頭の中でぐるぐるとめぐる。
弱ったライズに触れる白い指先。耳もとで囁かれる甘い言葉。
一気に鳥肌が立ち、背筋が凍った。
今日は一体、どういうことなんだ。
名誉顧問である彼とは、たまに会って研究分野についての話をしたり遺物の解析を依頼されたりと、そういう普通の上司と部下の間柄だったはずだ。
今まで、今回のような妙な雰囲気になったことはない。
身の危険を感じて鋭く睨みつけると、平然と紅い瞳がリトの顔を見返してきた。
「何をされると思う?」
白い
からかうような口調だったが、嫌な予感しかしなかった。負けじと、リトは眉を寄せる。
「冗談言ってないで、早く帰してくれ」
「こんな状態で帰れると思っているのか。さあ、服を脱げ。自分で脱げないなら私が脱がせてやろう」
素直に頷けるはずがない。
だが、今もカミルはリトの肩から手を離そうとはしない。
「なぜ脱がなきゃいけないんだ」
見下ろすカミルはその言葉には答えず、リトの裂けたシャツに手をかける。
「この服はどうせもう着れないだろう」
ビリビリと布の裂ける音が静かな部屋に響く。睡眠不足によるものではない、別の目眩がしたような気がして、リトは今すぐ意識を失いたくなった。
その様子をソファで見ていたライズがへらりと笑う。
「所長、嫌ならちゃんと嫌って言った方がいいですよ。カミル様、本気で嫌がることはしないですから」
「それを早く言えっ」
普段からカミルを使って陥れられているライズはここぞとばかりに嬉しそうに笑っていた。
日頃の恨みか、覚えておけよ。リトは心の中で呪いを吐いた。
「ところで所長、ここで私とライズがいつも何をしているか気にならないかね?」
カミルが口許を緩ませて尋ねた。
彼もやけに楽しそうだ。リトは半眼で尋ね返す。
「何をしているんだ?」
「今から同じ目に遭わせてやろう」
深紅の双眸が笑った。
瞬間、リトの頭が真っ白になる。普段冷静な彼がくるくると表情を変えるのがカミルは面白いのか、くつくつと笑った。
「いい加減しろ、カミル様」
だんだん腹が立ってきた。
おそらく、彼にからかわれているのだ。いつもライズをカミルに差し出したりするから、その報復なのか。もらっている立場の彼がなぜリトに報復するのかは不明だが。
闇色の目が白い
「まだ分かっていないようだな」
それでも悠然と微笑みながら、カミルはリトの肩からゆっくりと手を離した。
動き出すより前に、紅い瞳がきらめく。
「動くな」
目に見えないなにかがリトの身体を拘束する。指先ひとつさえ動かせず、息を詰めた。
この現象には覚えがある。
「……な、何の真似だ」
「ライズもそうだが、お前も綺麗な顔に傷を付けるな」
リトの言葉をまるっきり無視して、白い指先がリトの肩に触れた。
機嫌よく笑って、そのまま手を滑らせて首筋に触れる。その場所はレイゼルの噛まれた時にできた傷痕があった。
「誰が好きで怪我をするか。……っつ」
傷に触れられた途端、ピリッと痛みが走る。リトは顔をしかめる。
「誰に喰われた?」
「教える必要があるのか?」
カミルは決して、善人ではない。先ほどライズに危害を加えた相手を魔獣の巣窟に放り込んでやると言っていたが、その言葉は彼の本心でやると決めたら実行しかねないことをリトは知っている。
レイゼルに関しては、もう【
そう考えてはぐらかすと、カミルはリトの首から手を離した。
「お前は私の所有物だろう?」
紅い瞳が楽しげにリトを見つめる。
言っている意味が分からない。いや、リトはあえて理解したくなかった。
「一体全体、いつからそうなった」
「教える必要があるのか?」
「……っ」
先ほど放ったのと同じ質問を今度は逆に返されて、リトは何も言えなかった。そんな彼を見て、カミルは艶やかに笑う。
「大丈夫だ。痛むようなことはしない」
何の話をしているんだ、この男は。いや、本当に何をしようとしているんだ。
リトは後ずさって逃げたかったが、彼による金縛りはまだ効力を保っているらしく身動きが取れなかった。
「今から何をする気だ、カミル様」
「何をされると思う?」
尋ねると同時に、カミルは白い指先をリトの頰にゆっくりと滑らせる。
「撫でるな」
「ならば、どうしてほしい?」
明らかに、不毛な会話だった。すぐに戻るとロッシェやルティリスに言ったのに、リトはこの場から動けないでいる自分が嫌になった。
「……本当に早く帰りたいんだが。ルティ達が待っている」
「言っただろう? 今夜は帰してやらないと。諦めろ」
カミルの手はそのまま、リトの胸や腹を撫でていく。
感触だけは伝わってくるから嫌な気分だった。居心地が悪い気分で、げんなりとする。
しかも、いまだに魔法封じの手枷を取ってもらっていない以上、カミルに付き合わなくてはならないのだ。
「……ふむ。こんなものかな」
リトの身体から手が離れた。カミルを見上げると、満足げに笑っている。
「どうだ。だいぶ身体が楽になっただろう」
「何をしたんだ?」
訝しんで尋ねると、白い
「治療に決まっているだろう。見てみるがいい。傷痕など残さずに治してやったんだ。感謝しろ」
見れるわけがなかった。こっちは金縛りで動けるはずがないというのに。
けれど、先ほどまで感じていた気だるさがなくなっていたし、冷えていた身体も妙に温かくなっていたのも事実で。
常ならば何をされても、大抵のことには大げさに反応しないリトだったが。
この時ばかりは、あふれだしそうな感情を一気に爆発させた。
「誰が感謝するか! 普通に治せぇー!!」
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