21.ライズの怒り

「そういえば、所長。これ、忘れてませんか?」


 座った姿勢のままライズが手錠につながれたままの手首を掲げた。ちゃり、という金属音が耳に届く。

 彼の言いたいことをすぐに理解したリトは表情を変えずに言った。


「ああ、そういえばレイゼルからキーワードを聞き出すのを忘れてたな」

「ええ!? 何、他人事のように言ってるんですか! 自分のことでしょう。少しは危機感を持ってください!」


 弱っているくせに、正論を並べてぶつける言動は変わらない。黒髪の魔術師は溜め息をひとつ吐き出す。


「危機感、と言われてもな。レイゼルはここにもう戻ってこないだろうし、仕方ないだろう。それに、以外に外す方法もある――」

「オレはそんなことを言ってるんじゃありません!」


 空気を突き破るような大声に、ルティリスが肩を震わせた。


 ライズは眉を跳ね上げ、眦をつり上げている。怒っていることは分かるのだが、いつもの怒っている表情と違うような気がした。

 まっすぐにリトを睨みつけたまま、彼は重い息を吐いて続けた。


「……所長、どうしてさっき【本性変化トランストゥルース】をしなかったんですか」

「何の話だ?」

「アイツに喰われそうになった時のことですよ」


 座ったまま、月色の髪の青年は怒りで手を震わせる。


吸血鬼ヴァンパイアの部族の魔族ジェマに噛み付かれたら、オレの時みたいに意識が溶かされて動けなくなるんです。所長の場合は、偶然そうはならなくて意識がはっきりしていたから助かりましたけど、本来なら抵抗できずに死んでいたんですよ!?」


 リトの表情に変化はない。ライズは青灰色の瞳をすがめる。


「所長は最初からそうでした。どうしてこの屋敷で罠にかかって窮地に陥った時に本性トゥルースに戻らなかったんですか。所長は夢魔ナイトメアの部族だから本性トゥルースになると物理的に攻撃できるんですから、さっきのようになんとかなったじゃないですか!」

「過ぎたことを言っても仕方ないだろう」

「仕方ないで片付けないでください!」


 一旦言葉を切ってから、ライズは弱々しく息を吐いた。そして、まっすぐにリトを見上げた。


「あの時、血だらけで瀕死の状態の所長が牢に放り込まれた時のオレの気持ち、分かりますか?」


 ライズの声は震えていた。睨みつけてくる青灰色の目は今にも泣き出しそうだった。


「オレが死にそうになった時、所長が心臓を痛めて泣いてしまったのと同じように。所長が死にそうになっていたら、オレだってこわいんです」


 そこでようやリトは目を見開いた。そんな上司を見返し、ライズは瞳を揺らして言った。


「簡単にいのちを手放したりしないでください。生きるのを、あきらめないでください」


 シンと部屋が静まり返る。闇色の目を瞬かせて、ようやくリトが口を開く。


「……なぜ、そんなに怒っているんだ? ライズ」


 それは素直に浮かんだ疑問だった。


 所詮ライズとリトの関係は、上司と部下でしかない。赤の他人だ。誰がどうしようと、自分がどうなろうと構わないものじゃないのか。


「じゃあ、どうして所長は泣いたんですか?」

「それは……」


 どうしてなんて、理由は分かりきっていた。だが、だからといってライズがなぜそこまで怒るのか、リトには分からなかった。

 口ごもり、動揺で目を泳がせる彼を見て、部下の青灰色の目から涙がぱたりと落ちた。


「オレは所長が好きなんです。理由なんて、それで十分じゃないですか」


 震える声でそう言い切ると、ライズは突っ伏してえぐえぐ泣いてしまった。傍らにいたルティリスが動揺し、金毛の耳と尾を垂らす。


 本気で分からない。人がどうなろうと、その人の勝手じゃないのか。

 少なくともリトはそのように生きてきた。ある時は二人、そして今までは独りで。


「……そんなものなのか? 俺は今までそんなこと言われたこともないから、よく分からない」


 それは心からの本音だった。ライズには分かって、リトには分からないもの。これが彼に大きく欠けていたものに違いなかった。


「分からないと言って考えることを放棄しても、失った時の痛みが軽くなるわけじゃない」


 黙ったまま成り行きを見守っていたロッシェが、リトの隣でぽつりと独り言のように呟いた。

 意味深な言葉だったが、彼は何も言わなかった。ロッシェにも分かっていて思うところがあるのだろうか。


 未知の世界に触れたような気分で波たつ心を隠せず、闇色の目を泳がせる。

 いつの間にか顔を上げたライズは涙でぬれた青灰色の目を見上げて、リトに言った。


「所長って、馬鹿ですよね」

「馬鹿って何がだ?」


 相変わらず遠慮のない物言いに不満を覚えて聞き返すと、ライズはいつものようにへらりと笑った。


「それに気づいた時、オレの気持ちが分かると思いますよ」






「――それでキーワードを念じる以外に、手錠を外す方法って他にあるんですか?」


 ひとしきり泣いて落ち着いたのか、ライズは座りなおして改めて尋ねた。


「ああ、簡単だ。手錠に書かれている術式を上書きすればいい」

「……これ、所長が作ったんですよね? 所長の魔力を上回る魔法使いルーンマスターがここにいますか?」


 あまりに神妙な顔をして尋ねてくるので、リトは目を向けてくるロッシェとルティリスを見る。


 ロッシェは剣士だし、ルティリスは狩人だから除外。そして目の前にいるライズは一応精霊使いエレメンタルマスターだが、リトよりも魔力が高いかと問われれば、答えはノーだ。


「いないな」


 どこかマイペースな様子のリトに、ルティリスは狐の耳と尾を垂らしたまま心配そうにオレンジ色の目を細めた。


「じゃあ、ずっと手錠を外せないままなんですか?」

「そうじゃないさ、ルティ」


 ゆっくりと立ち上がりながら、リトは言った。切れた鎖が手錠と重なり、ちゃりと音を立てる。


「北の白き賢者。彼ならこの手錠を外せるだろう」


 魔術具マジックツール開発部の中でも最もよく知られる大賢者、カミル=シャドール。魔術や学問を志す者の間ではその名を知らぬ者はいないほどの有名人だ。

 同時に、リトよりも魔力の強い、世界でトップクラスの魔法使いでもある。


「そりゃそうですけど、所長はあの人に頭を下げる気ですか?」

「俺よりおまえの方がカミル様と仲良しだろう?」


 口端をつり上げてライズを見ると、眉を寄せて難しい顔をする。


「…………。分かりました。どのみち他に方法ないですもんね」

「その人はどこにいるんですか?」


 ルティリスがふと疑問に思って尋ねると、リトは黒い両目を和ませて言った。


「研究所にある通信じゅで連絡を取ればやって来るよ。あの人は開発部の名誉顧問でもあるからね」

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