19.指輪の結末
片刃剣を突きつけるレイゼルをリトは鋭く睨みつける。
足で身体を押さえ付けられているために身動きがとれない。蹴られた腹部が強く痛んだが、決して目をそらさなかった。
負けるものか。人の命を踏みにじる者なんかに、死んだって平伏したりしない。
視界の端で、剣の刃が鈍く光る。
さすがにもう殺されるか、とリトが思いかけた時。断りの声と共に、応接間のドアが開いた。
「…ライズ!」
入ってきた兵士が引きずってきたのは人型に戻ったライズだった。
足をやられたのかズボンが赤く染まっている。立てないようだが、意識はしっかりしているようで床に転がっているリトを見るとライズは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「すみません、所長。頑張ったけど無理でした」
やはり、病み上がりの彼にはきつかったのだ。黒髪の
「私の
リトの背中に悪寒が走った。
腹の上にかかっていた体重が消える。激痛に耐えながら身を起こすと、レイゼルは方向を変えてライズに歩み寄っていた。
「待て!」
「あそこにいる魔族の代わりに君を喰らうことにするよ。さきほどは何かの偶然で抵抗できたんだろうが、二度続くまい」
愉しげに笑んだまま身を屈めると、赤髪の
「レイゼル、やめろ!」
痛みに顔を歪めながらも、身体を回転させてなんとかうつ伏せになる。だが、やはり立ち上がれない。
「やめてください! 嫌です!」
必死に抵抗する声が聞こえていないかのように、レイゼルは暴れるライズの腕を強く掴み、押さえ込んでから彼の肩口に噛み付いた。青灰色の目が見開かれ小さな悲鳴がもれた後、声は聞こえなくなり、抵抗も消えた。
ライズの場合はリトのようには抵抗できず、意識を溶かされているようだった。偶然は二度続かない。レイゼルの喉元が小さく動き、ライズの顔から血の気が消えていく。
悲惨な光景に反応するかのように、心臓に再び激しい痛みが走った。
このままではライズの血がレイゼルに吸い尽くされてしまう。あのままだと、あの小さな命の灯が消えてしまう。
――刹那、リトは一気に思考を飛ばした。
「ぐああッ!」
ヒュッと風を切る音がした直後、レイゼルの悲鳴が部屋に響いた。兵士は新手の敵に警戒するように部屋を見回すと、目を見開く。
振り下ろされた腕。その手の指先の長く鋭い爪には血が滴っている。その爪が兵士の主を背後から襲ったのだ。
背中の痛みに耐えながら振り返ったレイゼルも同じように目を見開いた。
そこには肩よりも長く伸ばした黒髪の男が立っていた。
頭には黒髪の隙間から前方へ湾曲した角が生えており、背には大きなドラゴンの翼。鞭のようにしなる尾が絶えず揺れている。
そして、男は胸が大きく開いた袖なしの衣服を着ており、片手で心臓のあたりをおさえていた。
彼の手首にかけられた魔法封じの手錠と床下に散らばった鎖の欠片を見て、レイゼルは彼がリトであることを察したようだった。
「……貴様、
裂かれた背中の痛みに顔を歪めつつ、レイゼルはリトの片刃剣を握りなおす。それを相手に向ける前に、彼の喉元に鋭利な爪先が突きつけられた。
「ライズから離れろ、レイゼル。さもなくば、その喉元を引き裂く」
鋭い殺気のこもった目で睨みつけ、爪先をさらに近づける。一歩も動けないその状況に、赤髪の
その瞬間だった、応接間の両扉が大きな音をたてて開いたのは。
飛び込んできたのは、
「……なっ」
突然の事態に動揺が走った途端、目の前の視界が暗くなる。その隙を突いて、レイゼルがリトの片刃剣を振り上げる寸前、悲鳴があがった。
「がああッ!」
足元には月色の狼へと変身したライズが渾身の力をこめて、離すまいと噛み付いている。痛みをこらえつつレイゼルは振り払おうと小さな狼に無機質な目を向けた時、急に足元が崩れた。
直後、あとに別方向からきた何かに首を掴まれ、そのまま壁に叩きつけられる。
目と鼻の先には、睨み据える紺碧の双眸。短く切り揃えられた藍白の髪の男が、強い指の力でレイゼルの首を締め上げていた。
凍った両目に宿る、無機質で透明な殺意にレイゼルは萎縮する。
「彼らに何をしたんだ、あんた」
「何だ、貴様は」
塞がれた喉から絞り出した掠れた声に、ロッシェは口許だけ笑って、言った。
「氷月といえば分かるかな」
リトが後に彼の知り合いに聞いたところによると、〝氷月〟とはロッシェが
一瞬の出来事に呆気にとられる中、茫然と見ていた兵士がようやく自分を取り戻したようだった。自分の主を捕らえているロッシェに表情を宿さない目を向け、剣を引き抜いた。
まずいと思ったが、それはすぐにリトの杞憂で終わった。
兵士が走って向かう寸前。それを遥かに凌ぐスピードで駆けてきたルティリスは高くジャンプし、睨み据えたまま容赦なく彼の後頭部に蹴りを入れた。
何も抵抗もなく、男は崩れるようにうつ伏せ倒れた。
「よしっ」
躊躇いのない攻撃と獲物を狙う鋭い目つきから一変して、機嫌よく微笑む狐の少女にリトは戦慄した。普段はほわんとした雰囲気をもつ彼女は、意外と肉弾戦向きらしい。
とにかく、これで状況は一変した。
未だに痛む心臓をおさえつつ、リトはライズに歩み寄る。
「ライズ、動けるか?」
呼吸が荒くなっていき、心臓の痛みが増していく。加えてひどい目眩で視界が狭まりかけていた。
最悪の状態だが、それでもリトは生きている。
「……所長、オレ足動かないです」
消え入りそうな声だった。ズキリと痛みが増した。
「ああ、分かった。そのままでいろ」
言い切り、リトは目を閉じる。
仰向けになったままのライズは、下から夢魔の男を眺めながら言った。
「しょちょーの夢魔の姿って、キレイですねぇ」
小さいが間延びした声とへらりとした笑みに、リトは危うく膝を崩しそうになった。
緊張感のない言葉に張り詰めていた糸が切れ、一瞬にして胸の痛みが消え去る。
そこまでが限界だった。
リトはずるずると座り込んで、大きく息を吐き出した。
あらためて身体を見ると、むき出しの右肩と左腕には少し
視界の隅に見慣れたものが床に転がっていた。
ゆっくりと立ち上がって、襲撃のはずみでレイゼルが落とした自分の片刃剣をしなる長い尾を器用に使って手に取り、リトはそのまま赤髪の
恐怖に似た彼の表情をみて、リトは艶やかに笑んだ。
「そんなに怖がらなくてもいいだろう。何も取って食いやしないさ。俺はお前のようにヒトを喰うような趣味は持ち合わせていない」
闇色の両目に嫌悪感と軽蔑が宿る。長く鋭い指先で掴んだ片刃剣を壁に立てかけられていた鞘におさめて壁に立てかけると、リトは人の姿に戻った。
「そういえば、お前はこれを欲しがっていたな」
黙って見守る中、リトは血と汗が染みつくシャツのポケットからおもむろに黒い袋を出す。
ライズは目を丸くしたが、何も言わなかった。
そのまま手のひらに、アメジストの魔石がはめ込まれた鉄色の指輪をのせる。
すると、皆と同じく黙って見ていたロッシェが、ぽつりと聞いた。
「……ご主人様、それは例のあれですか?」
「ああ、【
顔色を悪くしつつも、自慢げに口端をつり上げたリトにロッシェは無表情になる。そのやり取りを見て、眉をつり上げたライズが小さい声で口を挟んだ。
「所長……まさかその人に使うつもりで、その
声は小さくても、ライズは眦をつり上げて鋭く睨んでいる。元気だったなら、間違いなく大声で叫んでいたことだろう。
「やかましい、ライズ。後で聞いてやる」
一瞬、空気が和みつつも、リトはライズからレイゼルに視線を戻す。
「何だ。私にそれをくれるとでも言うのかね、リトアーユ」
掠れた声の少し挑発的なその言葉に、リトは人の悪い笑みを浮かべた。
「ああ、くれてやる」
レイゼルは目を見開く。それを一瞥し、ロッシェが押さえつけている彼の手を無造作に持ち上げ、その指にアメジストの指輪をはめた。そして、唱えるように命令する。
「今後、俺と王立
呪いの発動と同時に、ロッシェは赤髪の男を離す。すると、レイゼルは何もかも興味を失ったように振り返ることなく、部屋を出て行った。
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