15.狂気の魔族

 兵士に連れてこられたのは、昨日と同じ応接間だった。どうやらこの部屋にだけ家具があるらしく、私用に使っているようだ。


 黒い長衣は置いてきてしまった。もう着るにはボロボロどころか穴が空いているし、ライズが使うにしてもサイズが大きすぎて引きずってしまうだろう。


 体調が思わしくないせいか、手足を繋ぐ手錠や鎖が重たく感じる。意識を集中させるために、リトは目の前にいるレイゼルを睨みつけた。


「どうだい、指輪の在り処を話す気になったかね?」


 感情を宿さない薄いグレーの双眸。なにか嫌なものを感じて、リトは手を握りしめる。


「俺が話すわけないだろう」

「君も頑固だね。使うつもりで独自に作ったものだろう?」


 ふっ、と赤髪の魔族ジェマは口許を緩めた。


「確かに俺は使用するつもりで開発したが、興醒めして置いておくことにしたさ。お前は【制約ギアス】の指輪を何のために使うつもりなんだ?」


 魔力を封じられている以上、剣も取り上げられた今の状況では会話で隙を作るしかない。仮に、剣が手元にあったとしても剣術の腕前がそれほどないリトでは、貴族であると同時に騎士でもあるレイゼルに敵わないだろう。

 魔術師であるリトは腕っぷしはあまり自信はない。それでも、隙を突いて殴ることくらいはできるはずだ。


「それを君に話す義理はないだろう?」


 無機質の瞳を細めて、レイゼルは冷笑した。彼を見据えて、リトは口を開いた。


「【制約ギアス】の指輪には呪いをもたらす魔法が封じられている。これを使って禁止命令を与えれば、どんな相手でも従わせることが可能だ。ゆえに、この指輪の開発は禁止されている。使いようによっては国家を転覆させることも可能だからな。――レイゼル、お前も同じ目論見で【制約ギアス】の指輪を手に入れようとしているんじゃないのか?」


 口端をつり上げ、リトは軽蔑を込めて赤髪の魔族ジェマを睨みつけた。

本当はあえて暴かずに事なきを得ようと思っていたのだが、会話して隙を作り出すしかない。


 人はは自分の秘密が暴かれると、少なからず心が揺れるものだ。


 この男は感情的になるタイプなのか、それとも冷静に事を運ぶタイプなのか。リトは彼についてあまり知らないから、こんな安い挑発に乗るのかさえ分からないが。


「ほう、そう思うかね? もしそうだとして、君はどうするんだいリトアーユ」


 レイゼルは顔色ひとつ変えない。彼は後者のタイプか。


「そうだとしたら、俺はお前に指輪の在り処を言う意思はない」


 はっきりと告げると、赤髪の魔族ジェマはクッと笑った。


「なぜだい? 君は国家に忠誠を尽くすタイプには見えんが」

「女王がいなくなると、俺があの場所で研究できなくなるだろう? だから、お前に国家を転覆されては困る。俺やライズをいつまでも捕らえておきたいなら、捕らえておけばいい。だが、俺は何があっても【制約ギアス】の指輪の在り処を言うつもりはない」


 笑みと絶やさないレイゼルを黒髪の魔術師は睨みつける。どう返ってくるのかは分からない。もしかすると、この程度の挑発には乗らないのかもしれない。


 レイゼルは口端をつり上げたまま歩み寄ってきた。表情は笑んだままだ。リトには彼が感情的な性格だとは思えなかったが、明らかにこれは好機だった。


「そうかね」


 鎖で繋がれた手のひらを握って拳を作る。どういう理屈にせよ、挑発に乗ったのなら利用しない手はない。


 レイゼルが愉悦の笑みを浮かべる。


「それならば、仕方あるまい。私は君を喰らうことにするよ」


 驚愕のあまり、リトは固まって目を大きく見開いた。


 開いた口から僅かに見える二本の牙。尋常ではない無機質な薄いグレーの両眼。肌で突き刺すように感じる嫌悪感。

 レイゼルは吸血鬼ヴァンパイアの部族だったのだ。


「……ッ!」


 両腕を強く掴まれて、そのままリトは壁に勢いよく押し付けられた。昨日痛めた背中が強く痛んだが、今はそれどころじゃなかった。


 なぜ嫌悪感を抱いた時に気付かなかったのだろうか。

レイゼルは感情的なタイプでも、冷静に事を運ぶタイプでもない。彼は他種族の者を幾人も喰らってきた、精神を狂気に侵された魔族ジェマだ。


 リトが持つ価値観と常識で言うならば、百歩譲って魔族ジェマが他種族を喰らうことはあっても、同族を喰らうことなど有り得なかった。一体、彼は何人もの人を犠牲にしてきたのか。


 もう、ここまでなのかもしれない。と、リトは頭の片隅で覚悟を決めた。

 シャツの襟を力強く引っ張られ、留めていたボタンが弾け飛ぶ。肌がむき出しになった首筋にレイゼルは躊躇いなく噛み付いた。


 同時に、闇色の目が見開かれ、リトの腕が痙攣した。

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