4.鍵の真相
「所長!」
王立
しかし、所長室にまで踏み込んで、荒々しく上司を怒鳴りつける者は彼の部下の中でもたった一人しかいない。
「何の用だ、ライズ」
机の上の書類に集中していたリトは顔を上げずに、そう言った。
項目に決まった数字を羽ペンで書き込み、引き出しから取り出した所長印を押し、次のページをめくる。
「何の用って、一つしかないに決まっているでしょう。あの文献のことです!」
感情が高ぶっているのか、ライズは声を和らげなかった。だが、相手にするのも面倒で、リトはまだ顔を上げる気になれない。
部下の一人であるライズは背が低くて見かけもだいぶ幼く、十代後半くらいの顔立ちをしている。
「文献? ……ああ、まだそんなものにこだわっていたのか、お前は」
「重要な文献です! 所長、前にカミル様が持ってきた物品とその文献、どこにやったんですか」
眦を釣り上げ、ライズはリトを強く睨みつける。ついに、黒髪の
無造作に取り出したのは、焦茶色の表紙の本と鉄色の鍵。本はさほど厚くはないが、手書きによるものらしく丁寧な文字で綴られている。
その二つを机の上に置き、闇色の目がライズを見据えた。
「それなら、こうしてあずかっていると言っているだろう」
「考古学的に重要なものなんですから、勝手に私物化しないでください!」
白い布製の手袋をはめて、ライズは鍵を丁寧に確認し始める。
さしてリトは興味がなさそうに、また書類に目を落とした。直後、再び所長室に怒号が響いた。
「この鍵、魔力がなくなってるじゃないですかー! 魔法製の鍵だったでしょう。何に使ったんですか、所長っ」
ぐいっと眼前に突きつけられた鍵は、何の変哲もない鉄色の鍵だった。
考古学的に価値あるものとされているその鍵は一種の魔法道具で、聖地の宝物庫に保管されているはずなのだが、リトの上司がどこからか見つけて持ってきたものだ。
文献によると、その鍵は星刻の鍵と呼ばれている。
「お前には関係ない。文献と鍵は、お前が保管していても構わん。分かったら、さっさとそれを持って出て行け」
有無を言わせない言葉と闇色の目に睨まれたライズは、それ以上反論できるはずもなく。
黙ったまま、大人しく出て行った。
矢継ぎ早と出される部下の抗議に、不快な顔をしたリトが適当なことを言って強引に追い出す。それが研究所で起きる日常茶飯事で、当たり前の光景だった。
所員達のほとんどは度々追い返されるライズを気の毒に思っていたが、王家の立場に近い爵位を持つリトのやることに文句を言えるはずもなく、黙って見ていることしかできない。
自然と時間だけが流れて、傍若無人な所長の身勝手な所業は見過ごされるはずだった。
少なくとも、本人はそう思っていた。
「所長」
都合のいい予想は打ち砕かれた。
時間はすでに夕刻、定時を迎えようとしていた頃だった。
いきなり所長室の扉が開いて、ライズが入ってきたのだ。
「何だ?」
笑顔を見せず、睨みつけるように見てから刺のある声で返した。それでもライズの青灰色の目は怯まない。
「星刻の鍵、本当は何に使ったんですか?」
昼間と同じ質問に、呆れてリトの目は半眼になる。
まだ聞いてくるか。今日は、いつになくしつこい。
もうすぐ定時で、そろそろ退勤する準備をしなければならない。
あえて部下に答えを返さず、リトは椅子から立ち上がって、すぐ後ろにある備え付けのクローゼットの扉を開けた。
「答えないなら質問を変えます。星刻の鍵を使用するために、誰を巻き込んだんですか?」
いつも羽織っている黒の外套へと伸ばしかけていたリトの手が、ピクリと止まった。振り返り、ライズを見る。
「所長、カミル様に全部聞きましたよ。
ライズが表情と言葉に怒りを露わにすると同時に、リトは眉間に皺を寄せる。
確かに上司である北の白き賢者、つまりカミル=シャドールは星刻の鍵を持ってきて、文献と共に渡してくれた。
だが、鍵を使用するまでの出来事はカミルにはおろか誰にも話していないし、目撃されているはずもない。関わった
「やかましい。もう済んだことだ」
「過去のものにしないでください! とにかく、今すぐ被害者に謝罪に行ってください。特に
「剣士は旅の者だったから故国にはいないし、今はどこにいるのかも分からん。それに、
出会った人の顔を思い起こしながらひとつひとつ答えていったが、実のところリトの言葉は投げやりで適当だった。
無責任すぎる上司の行動に、根っからの常識人なライズが腹を立てないはずはなく、眦を吊り上げた。
「そんなわけないじゃないですか!
ヒートアップしていく会話にリトはげんなりしていたが、止められなかった。ライズの言動には腹が立つものが多いが、そのほとんどは正論で、今回は彼の言葉に反論の余地がなかったからだ。
気分が悪くなっていく中で彼を鬱陶しく思い始めたせいか、自然と反応は鈍くなり、オウム返しのようにリトはポツリと返す。
「親?」
「ま、まさか所長……」
部下が言わんとしていることが、リトは本気で分からなかった。この時、彼は彼女の親の存在など、本気で考えもつかなかったのだ。
「親御さんに連絡しなかったんですか!?」
さらに剣幕が強くなるライズに圧倒されそうになりながらも、黒髪の
「どうして連絡してあげなかったんですか。心配するでしょう! 子どもさんがほぼ一週間行方知れずでどんなに心を痛めていたのか、所長には分からなかったんですか?」
今度はリトが目を丸くする番だった。ライズの言葉をただただ受け止めて、そのまま返すのが精一杯だった。
「……心配?」
「そうですよ。どうして、そんな簡単なことに気付かないんですか。ああ、もうっ……」
続けて説教という名の小言をもらしていたが、すでにリトの耳には入ってこなかった。
頭の中で、「親」や「心配」という単語がぐるぐると回る。
正直なところ、リトは親が心配するとか子どものことで心を痛めるというアタリマエのことが理解できなかった。なぜならば、リトにとって「親」は子どもの頃からは存在せず、大人になるまではずっと独りだったからだ。
「所長、思いやりとか優しさを持ってくださいなんて、無理なことは言いません。ただ、最低限の一般常識は持ってください。相手の立場を考えると、分かるでしょう」
「やかましい。俺は一般常識くらい持っている。分からないことばかり言うな。他人のことまで構っていられるか」
部下のくせに説教してくるライズという名の月色の
「所長の性格は歪んでいるんですよ!」
いつもならひと睨みで流せる、生意気な台詞だった。
だが、この時ばかりはリトの身体に大きな重石としてのしかかった。現在に至るまで、ずっと。
そして、その言葉が真実であることに気付くのに、それほど幾日もかからなかった。
確かにリトは歪んでいた。
考え方はおろか、他人と接する時も。
ヒトとしてのアタリマエを全く理解していなかったのだ。
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